将来
「イルナス様。知っておいて頂きたいのですが、日常生活では、師にもゼ・マン候にも援助は要求しません。私が生活費を全て工面します」
加えて、ヤンの稼ぎは魔医の助手としての給料だけで、副業での収益は全てゼ・マン候に渡す。そのことを伝えると、イルナスは納得がいってないような表情を浮かべた。
「……なぜ、ゼ・マン候に?」
怪訝そうに尋ねる。ヤンとしては、説明すべきかどうか悩むところだった。貴族の派閥関係はあまりにも生々しくて、童子の教育には向かない。
しかし、派閥関係はイルナスにとって避けては通れないものなので、必要最低限の説明はすることにした。
「理由は2つあります。1つは、可能な限り借りを作りたくないのです。イルナス様が天空宮殿に戻ったとき、一番の功臣がゼ・マン候となります。その時に無用な援助ばかり求めていれば、必要以上の功績ができてしまいます」
「一番の功臣は当然ヤンではないか」
イルナスは不機嫌そうに答える。自分のために怒ってくれるの、超可愛い。本当に、好き。そんなことを想いながらも、ヤンは笑顔で首を振る。
事実として言えばそうであるが、実際そうはならないだろう。まず、ヤンの功績は指示したヘーゼンであるというのが大前提だ。
「それは……そうかもしれないが、ではヘーゼンじゃないか?」
「いえ。師は功を辞退されます」
「……なぜだ? 功績をあげたいから、僕を救ったのだろう?」
「違います。師の目的は派閥を作ることです。そして、新参の師が最も功績をあげれば、派閥ができません。ゼ・マン候を一番の功臣にすることで、新しい派閥の旗頭になって欲しいと考えているようです」
ヤンは答える。彼女の考えでは、ヘーゼンが目をつけたのはゼ・マン候の帰属歴だ。現在は下から数えた方が早いほどの下位領地であるが、帝国が建国された当初から臣下であった歴史の深い領なのだ。
逆にヘーゼンなどは帝国に従事して3年足らず。下手に功臣などになっても、周囲から反発されて終わりだろう。
「それに加えて、ゼ・マン候は無派閥で地方の下位領地です。新興勢力を起こすには、現在の派閥以外の勢力を作る必要があります。同じく無派閥で不遇を囲っている領地。それこそが、イルナス様が頼りにすべき勢力です」
ヤンの説明に、イルナスは不安な表情を浮かべる。そこまで重い話をする必要はなかったのだが、ついつい話しすぎてしまった。黒髪の少女は気を取り直して、童子の頭を優しくなでる。
「何年後になるのかわからないような先のお話です。実現するかもわかりませんし、イルナス様がお望みでないなら、私は一向に構いません」
「……わかった」
イルナスはホッとしたように頷く。ヤンの思いとしてはかなりシンプルである。将来、イルナスが皇子に返り咲きたかったら、力を尽くす。返り咲きたくなければ、このまま平民として暮らす。
「ただ、現在のイルナス様がどちらを選択したとしても、私はあなたが皇太子になるよう力を尽くします。これは、決定事項です」
「……なぜ? 僕の判断を尊重するのでは?」
イルナスは尋ねた。それは、不愉快そうな感じでなく、純粋な疑問だった。ヤンのことは決して疑っていないが、話の内容に背反がある時にイルナスはこんな表情を浮かべる。少しだけ意地悪だったかとヤンは反省する。
「今のイルナス様が置かれている状況は、かなり特殊です。なので、将来を決めるのに十分な状況であるとは言えません。しっかりと平民の生活を熟知して、自分の状況をしっかりと理解した上で選択する決断が、私にはいいと思うのです」
しかし、なにもせずに平民生活を過ごしていれば、その年になって皇太子となるのは不可能だろう。だから、イルナスが2者択一……いや、どんな選択でも可能なように暗躍する。ヤンは自分の役目が、彼自身の選択肢を増やすことだと思っている。
「置かれている状況が複雑すぎて、気楽に考えることは難しいでしょう。ですが、あえて言います。なるべく気楽に考えてくださいませ。世の中は考え次第なところがございます。皇帝という身分で一生過ごす天空宮殿の生活は、必ずしも幸福であるとは限りません」
ヤンは言う。その日暮らしの生活をしていても、幸福に感じられる貧民もいれば、酒池肉林の毎日を送って満たされない人もいる。
ならば、こう考えればいい。むしろ、選択肢が増えたのだと。自分が一生を過ごしたい生き方を考える期間を天がイルナスに与えてくれたのだと。
「……わかった」
「エヘヘ……まあ、私なんて本当に脳天気ですから、イルナス様にも少し分けてあげたいです」
「はは……でも、ヤン。1つだけ違う。ヤンの説明には1つだけ全然違うことがあった。僕には、それがどうしても気に入らなかった」
「そ、そうですか? どこですか? 私の説明は違う所だらけだから、適当に流してくださいませ」
「いや、1個だけ。1個だけ……」
イルナスはフッと微笑んで答えた。
与えてくれるのは、天ではない。与えてくれるのはヤンなのだ、と。




