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護衛長


           *


「……ヘーゼン=ハイムを呼べ」


 天空宮殿の護衛長ビシャス=ダゴラが部下に指示をした。イルナスの行方不明が発覚したのは、ヤンたちが宮殿を出発してから5時間後のことだった。

 発見者は皇帝の側室ヴァナルナースが宴から戻り、自室に入った時、側近と共に消えていたと報告された。


 ビシャスは即断で天空宮殿を封鎖。内外での捜索を指示する。それから、3時間後に彼の側近が西区域の空き家で発見される。

 すでに記憶は魔法で消しさられており、犯行の痕跡は見つからなかった。程なくして、ヘーゼンの側近であるラスベルがヤンの行方不明の連絡をする。


 ビシャスは冷静だった。護衛長として20年以上務めた経験が彼に焦りを生ませなかった。暗殺、誘拐、脅迫、この天空宮殿にはありとあらゆる事件が起きる。そしてそれこそが、皇族、貴族の本質であることを彼は熟知していた。

 それから、10分後。ヘーゼンが護衛室へ到着した。


「お呼びですか?」

「……1人で、と申しあげたはずですか。その方は?」

「ああ、公認書記官ですよ。不当な捜査は権利の侵害に当たりますからね」


 帝国には、尋問時に公認書記官を連れていける制度がある。尋問中に会話した内容が、証言として公式に記録されるというものだ。そして、その情報は互いの承認があれば、表に出しても問題ないというものである。

 しかし、その周到さが逆に怪しいと、宮殿護衛長は長年の直感を働かせる。


「……あなたの弟子が一人、行方不明になったそうですね」


 ビシャスはそう尋ね、黒髪の魔法使いを見据える。目下、一番怪しいと思っているのは、この男。どこの派閥にも属さず、ひたすら戦場を駆け、帝国の魔法書を読みあさる天才魔法使い。

 しかし、この1年間、彼は実力ゆえの不遇を囲っていると聞く。そんな彼の弟子ヤンがイルナスと同時期に行方不明になったのだ。なにか関連があると疑うのは当然である。


「まぁ、いつものことです。そのうち帰ってくるでしょう」

「イルナス皇子も行方不明になったそうです」

「ほぉ……それは一大事ですな」


 ヘーゼンはそう答え、我関せずという表情を崩さない。長年、護衛長を努めて来たビシャスだったが、目の前にいる男の心はまったくと言っていいほど読めない。


「可能なら、魔法での聴取をさせてもらえませんか?」

「お断りします」

「……後ろめたいことがあるのですか? ご自身の潔白を主張されたいのなら、受けるのが適切かと思いますが」

「ならば、エヴィルダース皇太子を筆頭にベルクートル皇子、皇位継承位の高い順に聴取なさいませ。恐らく何かが出てくるのではないですか?」

「……不敬ではないですか?」

「冗談ですよ。しかし、片手落ちの捜査はつらいものですな。いかに怪しい人物がいたとしても、事情聴取も満足にできないのですから」


 ヘーゼンの嫌みに、ビシャスは苦々しく歯を食いしばる。確かに彼は有能な護衛長である。彼が務めたこの20年の期間で、犯罪者の捕縛率は実に99%。

 しかし、お蔵入りになった事件の中で、皇族関連の事件は約半数。いずれも、強力な派閥が犯行に及んだとされる事件に対しては、すべて未解決で終わっている。


 権力者の犯罪が、すべて黙認されているのだ。


 怪しい者に魔法での聴取を受けさせるなら、優先順位が違うだろうとヘーゼンは暗に主張する。そして、権威による圧力を黙認するビシャスに、位の高い自分が従う必要がないことも。

 現に、ヘーゼンの位は彼よりも少し上で、証拠がない限り、強引な捜査もできない。


「……犬狢ケバクを放ちます」

「ほぉ、それは素晴らしいですな。しかし、大丈夫ですか? 勇み余って虎の尾を踏むこともあるのでは?」

「……」


 この男は、完全に自分をおちょくっている。ビシャスは心の中に燃えるような悔しさを募らせた。

 捜査の末に、エヴィルダース皇子の関与が発覚したら大変なことになるだろう? 権威次第で捜査のするしないを決める男が、張り切ってもろくなことはないだろう?

 言外でこの男はこう主張している。しかし、それは逆効果だとビシャスはほくそ笑む。


「……私はこの天空宮殿の護衛長です。皇帝陛下より陛下以外の捜査権を頂いております。仮にどのような地位であれ、犬狢ケバクを放ち、犯人を捕まえて見せますよ」


 ビシャスはハッキリと言いきった。この事件に関しては、エヴィルダースやベルクートルが関与している可能性は限りなく低いと考えている。

 イルナスは皇位継承順位は低く、彼らの競争相手とはなり得ない。真鍮の儀式が控える中、仮にそのような失態が犯されたとすれば、皇子継承権を剥奪される可能性すらある。


「ほぉ……それは素晴らしい。あなたの仕事に対する誠実さを見習いたいものですな。仮に皇位継承権のある者が怪しくとも、犬狢ケバクを放つと」

「……ええ、もちろん」

「間違いないですね?」

「クドいですね。そうだと言っているでしょう」


 覗き込むような仕草に、ビシャスの心がざわめく。嫌な男だ。20年以上護衛長を務めあげてきて……いや、生まれてから今まで、こんなに嫌な男は見たことがない。

 しかし、これほどまでに念押しするほど、ヘーゼンの関与している疑念はますます強くなる。


「それを聞いて安心しました。ところで、1つ耳寄りの情報があるのです」

「なんですか?」

「これは、他言無用でお願いしたいのですが……真鍮の儀式の前段でイルナス皇子が皇太子に内定したという噂があります」

「……っ」


 それを聞いた瞬間、ビシャスの視界がグニャリと歪んだ。一気に胸の動機が早くなり、額から汗が噴き出してくる。

 もし、その事実が本当だとすれば、最も疑わしい容疑者は紛れもなく皇位継承権第一位のエヴィルダースだ。


「そ、それはどこからの情報ですか?」

「情報源は言えませんが、ビシャス殿ならば、そう時間がかからず裏付けが取れるでしょう。しかし、安心しました。犬狢ケバクは帝国でも一、二を争う優秀な捜査士たちだ。その彼らが動けば、必ずや犯人を捕まえてくれることでしょう」

「……っ、それは」

「おっと、ヴァナルナース様にも早くこの朗報をお伝えしなくてはいけませんね。今頃は悲嘆に暮れているので、さぞや安心するでしょうから」

「はっ……くっ……」


 ビシャスの鼓動がどんどん早くなる。そんなことをすれば、彼女を寵愛している皇帝グレイバールに知られるのは時間の問題だ。

 陛下に知られれば、もう犬狢ケバク派遣の撤回はできない。しかし、エヴィルダース関与の証拠があがったら、間違いなく揉み消され、殺される。


 ……どちらを選ぼうと、必ず殺される。


 ビシャスの動悸はますます激しくなり、呼吸がどんどん苦しくなる。

 ハメられた、とビシャスは確信した。この言質をとるために、ヘーゼンは会話の誘導をしたのだ。仮に犬狢ケバク派遣を撤回した後、この会話内容を見られれば、確実に皇帝陛下から処刑させられる。もちろん、陛下に証拠提示の拒否などできるわけもない。

 ヘーゼンの不敬な発言が、自分の口を軽くした。公式文書にあの発言を載せることができないという油断が生じた。

 しかし、彼は冗談だと言いきっている。仮に晒されたとしても大したダメージはなく、自身の失言とは次元が違う。


「……そろそろいいですかな? 一刻も早く、ヴァナルナース様にお伝えしたいのですが」

「はぅ……あの待って……ください」

「……まだ、なにか?」


 ビシャスは、深々とお辞儀をした。もう、自分が死なないためには、目の前にいる男に命乞いをしなければいけないと思った。ヘーゼンという男にすべてを差し出すことでしか、自分の生存の可能性はない。そう思った。


「お願いします……犬狢ケバク派遣の発言をどうか……取り下げさせて頂けないでしょうか?」

「……それは、どういう意味でしょうか」

「殺されてしまいます……犬狢ケバクを派遣して……仮に……エヴィルダース皇子やベルクートル皇子の関与があれば」

「いえ、大丈夫ですよ。あなたには皇帝陛下から頂いた捜査権があるではないですか」

「……そ、それは」

「なにより、あなたはその誠実さがあるではないですか? 自身の仕事に誇りをお持ちのあなたが悪辣な犯人などに屈するはずがないでしょう」

「……っ」


 悪魔だ。目の前で屈託なく笑っているこの男は悪魔であるとビシャスは確信を持った。

 しかし、あきらめるわけにはいかない。なんとしても、目の前にいる劣悪な魔法使いの言いなりとなっても、秘密裏に犬狢ケバク派遣の撤回をしなくてはいけない。

 ビシャスは地面に跪き、額を何度も擦り付けた。


「お願いします! なんでもします。あなたが望むことはなんでも。どうか……どうか……」


「はぁ……これ以上、見苦しいあなたの発言を記録するのは心苦しい。おい、退出せよ」


 そう言って、公認書記官を部屋から出した後、ヘーゼンはビシャスの折れ曲がった身体に腰かけた。



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― 新着の感想 ―
[一言] さすがアシュの師匠…… と書こうとしたら、すでに間咲さまが書かれていたww ヘーゼンさんはアシュのこと好きなはずですね! そっくりやんwww
[一言] 流石アシュの師匠やwwww
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