星読み グレース
翌日の朝、一睡もできなかったイルナスは、寝ることをあきらめて瞳を開けた。必死に思い出さないように別のことを考えるが、気を抜くとお茶会での光景が脳裏に浮かび、気分が沈む。
「イルナス様……元気出してください」
側近が感情のない声で励ますが、イルナスにはなんの足しにもならなかった。最近は、側で仕えている人々も彼を見放し気味である。ただ、皇子という身分であるが故に、彼らは主従しているだけに過ぎない。
童皇子と影で笑われていることも、それを覆すだけの身分も能力もない、それも分かっていた。
イルナスの皇位継承権は第8位と最下位である。それでも、秀でた魔力、武力を持っていれば、皇族としてノルマンド帝国のために尽くすことができる。
しかし、イルナスの魔力は未だ発現することなく、身体も未だ5歳のまま。
「はぁ……そう……だな」
イルナスは強引に自分を納得させた。マリンフォーゼは悪くない。3歳年上のエヴィルダースは荒々しいが、男らしい。もともと、3位だった皇位継承権も、実力で皇太子の座を射止めるほどのやり手でもある。
未だ5歳の身体しか持たぬ自分とは、比べるのもおこがましい兄だ。
もともと、マリンフォーゼとの縁談は彼女側が望んだことで、恋愛感情は大きくない。むしろ、長い間婚約者として縛ってしまったことに申し訳なさが募る。
その時、扉が開いた。そこには、家庭教師のグレースが立っていた。緑のローブをまとった彼女は、『星読み』と呼ばれる祈職である。
星読みは貴族同様に魔力を持つが、婚姻は許されず、生涯宮中に仕え、帝国の未来を占うことを生業としている。
「ごきげんよう、イルナス皇子殿下。では、始めましょうか?」
「……頼む」
ノルマンド帝国のために自分が役に立てるのは、勉強だけだ。魔力発現は、一般的には9歳の頃までに行われる。それ以上になってしまうと、発現する可能性が限りなく少なくなる。もはや、16歳のイルナスでは絶望的な年齢だ。
「それにしても、イルナス皇子殿下は勤勉でいらっしゃいますね」
「……それしかすることがないんだよ」
感心するグレースにイルナスは自嘲めいた笑みを浮かべた。
もともと勤勉なイルナスだったが、最近は暇さえあれば勉強をしている。彼女がしてくれる話もすごく面白いので、進んで調べ物もするし帝立図書館にもしばしば足を運ぶ。
「知識は嘘をつきません。いつか必ず、イルナス皇子殿下のお役に立つでしょう」
「そんな日が……本当に来るのだろうか?」
駄目だとわかっていても、ついつい弱音を吐いてしまう。グレースはこの帝国で唯一愚痴が言える存在だ。
母のヴァナルナースはすごく優しいが、繊細だ。イルナスが弱音など吐こうものなら、気が滅入って塞ぎ込んでしまうだろう。その点、彼女はいつも励ましてくれるので心強い。
「今はお辛い状況でしょう。しかし、天は耐えられぬ試練を人には与えぬものです。あなたにはそれができるという天分をお持ちなのです。どうか、そのことをお忘れなきよう」
「……ありがとう」
イルナスは心からお礼を言った。単なる励ましだろうが、それが単純に嬉しかった。
もはや、父親である皇帝からも白い目で見られ、この宮殿で味方と呼べる人は彼女と母親しかいない。
そんな中、グレースは深緑の瞳でイルナスを見つめる。
「イルナス皇子殿下……一人、会わせたい人がいるのです」
「誰だい?」
「ヘーゼン=ハイムという者です」
グレースの話によると、非常に優秀な魔法使いであるらしい。帝国に一兵卒で入り、3年で帝国第十位の地位である『大師』の座にまで昇り詰めたという逸材であるとのことだった。
「それは……本当の話? にわかには信じがたいが」
「彼は未だどこの派閥にも属しておりません。とにかく、奇異な宿星をもった者なのです」
「……」
グレースの本分は星読みである。彼女の能力は彼らの中でも群を抜いており、『未来をも見通すと言われる力』を持つとも言われている。そんな彼女の紹介ならば、悪い話ではないはずだ。
「しかし、我のような非力な皇子の力になってくれるだろうか」
16歳にも関わらず、5歳児の身体しか持たない。魔力も持たず、宮殿にはろくな後ろ盾もない。
派閥に属していないとは言っても、自分のような無能に仕えたいなどとは毛ほども思わないだろうと、イルナスは思った。
「それは問題ないと思います……しかし」
「なにか不安なことが?」
「星が揺らめいて見えます。それが、いい未来なのか、悪い未来なのか。ただ、今の状況が大きく変わることは間違いないのですが」
「……」
グレースは不安な表情を浮かべる。彼女がそんな風に言いよどむなんて初めてだった。
しかし、イルナスにとっては今の状況が変わるだけでも、よかった。こんな現状のまま過ごしていても、気持ちは暗くなるだけだろうし、なんとか打開しなくてはという思いもある。
「わかった、取り次ぎを頼む」
イルナスは意を決して、その話を承諾した。