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プロローグ


 絶対にやめてやる。


 ヤン=リンは堅く心に決め、ヘーゼンの部屋に向かっていた。すでに徹夜2日目。やっと鬼畜のような仕事量を終えて帰り支度をしていた時に突然の呼び出し。もう、我慢できない。開口一番で、大声で言ってやる。そう意気込んで部屋の扉を開けた。


スー、私、あなたの弟子をやめさせて頂きます!」

「そうか。なら、皇子殿下を誘拐しろ」


 !?


 ヤンは、丸い瞳を更に丸くした。不敬。口にするだけで、あまりにも不敬な言葉だ。言っている意味がわからない。このスーであるヘーゼン=ハイムの言葉が、あまりに突拍子もなさ過ぎて、全く意味がわからなかった。


 ってか、誰もいないよね!?


 黒髪の少女は慌てて自分の部屋を見渡し、誰もいないことを確認。ホッと胸をなで下ろす。そして再度その言葉を頭の中で連呼したが、やはり意味がわからない。なので、よく聞こえないフリをすることにした。


「……はい?」

「いい返事だ」

「ぎ、疑問符ですよ!」


 慌てて断固として否定した。この恐ろしいスーは、下手をするとそのまま進めてしまう危険がある。と言うか、する。

 ああ、この人ヤバい人だ。ヤンは改めて目の前にいるスーがいかに危険人物であるかを思い知った。


「どういうことかしっかり説明してくださいませんか」

「……なにがわからない?」

「ぎゃ、逆に今の会話でなにを理解しろと言うのですか!?」

「ふぅ……察しの悪い弟子だ」


 ……全然悔しくない。絶対に理解できない指示を理解できないことは、全然悔しくない。そう答えると、ヘーゼンに「私ならできる」と言ってのけられて、ヤンは大いに悔しがった。

 しかし、黒髪の少女には誘拐の動機も、背景も、そもそも誰を誘拐するのかもわからない。


「そもそも、誰を誘拐するんですか? するって言ってるわけじゃないですよ!」

「童皇子……いや、童()()()殿下だ」

「童……ってことはイルナス皇子……でも、皇太子って……」

「真鍮の儀式でイルナス皇子殿下が皇太子に内定した」

「……え、ええっ!? なんでまたっ」


 ヤンはあらためて耳を疑った。見たことはないが、イルナスの噂は耳にしている。5歳のまま成長が止まった『童皇子』。魔力の発現も未だなく、血筋、財力、家柄、どれをとっても心許ない皇位継承者圧倒的最下位。宮殿中から馬鹿にされている存在。よりどころは愛。母であるヴァナルナースが受ける皇帝レイバースからの寵愛のみが頼りという超弱小皇族と聞いている


 しかし、皇太子ともなればすべてがひっくり返る。貴族内に蔓延っている派閥の勢力図が根底から覆される事態となるのだ。

 真鍮の儀式は、『星読み』と呼ばれる者たちが皇太子を決定するものである。彼らはヤンやヘーゼンたちのような魔法使いとは一線を画す存在だ。貴族同様に魔力を持つが、婚姻は許されず、生涯宮中に仕え、帝国の未来さきを占うことを生業としている。


「イルナス皇太子殿下の潜在的魔力は皇室の中でも最も強い。歴代皇帝の中でもおられなかったほどだそうだ。星読みたちが耐えられぬほどのな。それも、彼ら全員が恐れるほどの巨大な宿星をお持ちだ」

「だからって……後ろ盾も味方も少ないヴァナルナース様の皇子ですよ? 皇太子という地位を被ってこの宮中で生きていけないでしょう?」

「そうだ。イルナス皇子殿下はこの宮中で生き残れない。必ず暗殺される」


 スーの明確な返答にヤンはゴクリと喉を鳴らした。今までは、皇太子から最も縁遠いので生き延びられていただけだ。皇位継承権第一位のエヴィルダースに皇位継承権第二位のベルクートル。どちらかに殺されるのは時間の問題である。

 後ろ盾も味方も少ないこの状態で、宮中で守れる者などいないだろう。そこまで頭に走らせた瞬間、『ああ、そういうことか』とヤンは理解した。

 皇太子内定が、数時間前に行われたのだろうと言うことを。


「……わざわざ今日にしたのではなく、今日にせざるを得ない緊急事態ということですね」

「やっとわかったか。そういうこと」

「……っ」


 なんて言い草。ヘーゼン=ハイム。性格最悪。3年前に突如として現れた大魔法使いである。帝国に一兵卒で入り、2年で帝国第十位の地位である『大師ダオスー』の座にまで昇り詰めた正真正銘の化け物だ。


 そんな彼の弟子は数百人いるが、ヤンはその才を見出された側近の一人である。帝国の魔法使いであるならば、誰もが羨む立場であることは間違いない。

 しかし、彼女自身は迷惑千番の話である。なんせ、平民で普通に生活していたら、無理矢理に宮中に連れて来られたのだ。


「イルナス皇子殿下には、なんとしても皇帝になってもらわなくてはならない。この帝国には、強力な皇帝が必要だ」

「……だからって、なんで私なんですか?」


 ヤンはせめて、こんな理不尽を被る理由が知りたかった。自分にだって、清く正しく生きていく権利があるはずだ。

 なぜ、わざわざ犯罪者と言う汚名を被らないといけないのか。本来であれば皇子に仕えている側近とかがやるべき仕事じゃないのか。

 そもそも、イルナス皇子なんて会ったこともないのに。なにが楽しくて、特に義理だてもしていない宮中の争いに巻き込まれないといけないのか。


「お前は平民育ちだ。さすがに、貴族に逃亡はできんだろう。ついでに、魔法使いとしての才能は私の認めるところだ」

「つ、ついでって……あの地獄の日々をついでで片付けないでください! もうちょっと私がやりたくなるような理由をくださいよ!」


 話が脱線しまくってしまうが、ヤンには聞き捨てならなかった。むしろ、そっちがメインじゃなきゃ、なんなんだ。

 このデタラメなスーに仕えて2年余り。よく生き残れたものだと自分で自分を褒めてやりたい。アレは、教育という名のシゴキだ。いや、そんな言葉すら生温い。この世の地獄だ。


 黒髪の少女は深呼吸をして、与えられた選択肢を考えてみた。前者は、スーとのハードサバイバルコース。後者は、皇子誘拐という大犯罪を犯した国家的反逆者コース。

 死の危険。過酷さ。境遇。あらゆる要素を脳内の天秤に掛けてみるが……よくよく考えてみるとかなり均衡していることに気づいた。

 いやいや、でも。若干、宮中の食事が美味しい分、こっちのがマシ……のはず……に違いない……だといいな。


「……やっぱり、私には無理ですよ」

「イルナス皇子殿下は、もうそろそろこの部屋に来られる。しっかりと仕えるように」

「わ、私の話聞いてました!?」

「これは、命令だ。やれ」

「……っ」


 なんたる理不尽。あまりにも酷過ぎてお話にならない。いや、これ以上、このイカれたスーと一瞬たりともだっていたくない。

 と言うか、今すぐに全力の魔法をぶっ放して存在ごと消滅させてやりたい。もう、我慢できない。全然、我慢できない。


スー……もう私、我慢できません。申し訳ありませんが、あなたの弟子、やめさせていただきます!」

「なら、ちょうどいいな。じゃあ、頼んだぞ」

「……っ」


 あれぇ……あれぇ。ヤンは混乱した。確かにヘーゼンの言う通り、ちょうどいい。でも、でも、それってなんか違うくないかなと正気に戻り始めていたいた矢先、部屋の扉が開いた。


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― 新着の感想 ―
[一言] おおおお!?!? これは、あのヘーゼン=ハイムなんですかね!? ホント無茶ブリしかしないなこのオッサンwww
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