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前日譚 1話 異常と相剋する日常

初投稿です。

よろしくお願いいたします。


相剋……対立するものが相手に勝つために争うこと。


 小さな丘陵に一本の立木があった。障害のない空気中を泳いできた風が枝葉をくすぐり、木は悶えるように揺れていた。それは決して強い風ではなかったが、耐えきれなかった一枚の葉がひらひらと落葉する。葉緑素を多分に含んだ葉っぱは、立木の根本にいる仰向けの人間の顔に不時着する。正確には、顔に載せた手ぬぐいの上に。


 柔らかな大地を固める音が立木に近づいてくる。人間が地面を意識して踏み締めるような音だ。それは徐々に大きくなった末に立木の下で鳴り止んだ。足音の主は、体格がいい青年であった。


 青年は足元で寝息を立てている人物をしばし眺め下ろした。しかし、なにも反応が返ってこないことで、先程行なった遠回しな感情表現が無意味であったと知り、思わず溜息を吐いた。青年は、せめてこいつの驚いた顔を拝んでやろうと考え、その顔を覆い隠している手ぬぐいを勢い良く剥ぎ取ってみた。その人物は目を強く瞑った後、薄目で睡眠を妨害した犯人を確認する。その反応は彼の期待に副ったものではなかったが、なにも反応されないよりはまだ良かった。


「っち……アバンか」


 青年、アバンは相手の苛立った反応に苛立ったが、いがみ合っても時間の無駄でしかないため、今は我慢した。それよりも、彼を連れ戻すことを優先する。


「失礼な奴だな! ほら起きろ。戻るぞ、クレイル。労働に勤しむんだよ」


 アバンは寝ていた人物、クレイルの肩を引いて起こす。上半身は地面と垂直になったものの、立ち上がる気配は感じられなかった。


「はぁ……もうそろそろで夕暮れだ……どうせ誰も通らない」


「そうとは限らないだろう。経験豊富な大先輩がなにを抜かすか!」


「お前こそ、睡眠が不足しがちな先輩をもっと労われ」


 クレイルはそう言ってから、視界の端に長く伸びた立木の影を捉えた。


「もう、いい時間か……仕方がない。さっさと戻るぞ」


 クレイルは言うや否や腰を上げて、アバンを置いて歩き出す。


「あぁー! なんだかわからねぇけど……ものすごく納得できねぇ! ていうか待てよクレイル! これ忘れてる!」


 遅れてアバンも立ち上がる。手ぬぐいを持った手を大きく振りながら、急いで彼の後を追いかける。


 風に吹かれて舞い上がった葉は、二人をあっという間に抜き去った。葉は自身の行き先を知らなかったが、おそらくあそこに流れ着くのだろうと予感していた。


 地平を占めるほどの長い壁に、口を開けている大きな門。その先に広がる都市の建物群を、さらに越えた先に屹立する自然豊かな山。そこに流れる小川の一つに着水し、そしてうねり下った先のどこかへと長い間たゆたって……。






 少し距離を空けて隣を歩いていた二人は、空の色が変わり始めるころには、門まであと少しというところまで戻って来ていた。あの後、クレイルに追いついたアバンが手ぬぐいを返して以降、二人の間には会話がなかった。会話がないことに特別な理由はない。追いついた直後はお互いに煙たがり合っていたが、それが無駄な感情であると結論付けたのか、ぎすぎすした態度は歩いているうちに霧散していた。


 声がないこの空間では、自然の演奏だけがやけに大きく聞こえる。だからこそ、二人は遠くから聞こえて来たそれを早いうちに知覚できた。


 車輪が高速回転してがたがたと鳴る音と、蹄が固い地面を叩いたときに生じる乾いた音。馬車が街道を行き交うのは日常的に見られる光景であったが、これほどにけたたましい音は滅多に聴くことがない。


 異常性に気付いた二人が素早く後ろに振り返ると、幌馬車が全速力で街道を駆けてくる光景が目に入った。御者台には商人らしき風体の男が座っており、彼は今にも泣き出しそうな表情で、後方を頻繁に振り返っていた。その様子から、何かに追われているのだろうと二人が当たりを付けたころ、商人らしき男の方も二人の存在に気付いたようで、腹から野太い声をひねり出した。


「そこの人たち!! 王都の守衛さんでしょう!? 助けてくれ!! おそろしい賊どもに追われておるのだ!!」


 その発言によると、彼はどうやら賊に追われているらしい……おそらくは盗賊の類であろう。荷台を覆っている幌のせいで馬車の後方はよく見えなかったが、幌の隙間を覗き込むと、武器を持った荒くれらしい風貌の男たちの姿が認められた。目視できない死角にも賊がいると想定すると、その数はざっと十から二十の間といったところだろう。


 馬と人が競争をした場合、まず間違いなく馬側の圧勝であるが、積荷や御者などを載せていることを加味すると、良くて同等か、人の方が速いだろう。


 どれほどの距離を追いかけられているかはわからないが、先に体力が底を突くのは馬の方であるはずだ。遠目からでは彼らの間にどの程度の距離があるのかを測れないので、いつ追いつかれてしまうかは予想ができなかった。しかし、それを気にしても仕方がないことも事実であり、門に着くまではどうにか頑張って貰わねば、二人にも手の施しようがない。この状況の二人にできることは、追いつかれる前に馬車が門へと駆け込めたと仮定した場合の、その後の対応のことだけだ。


 二人は最善を尽くすために、役割と手順を手早く打ち合わせ始めた。






 結論から言えば、彼らの打ち合わせは無駄にはならなかった。馬はすっかりとバテてしまっていたが、賊たちとは五十メートルほどの間を空けたまま、門までの逃走を無事に成し遂げた。


 事前に門の内側で待機していたクレイルは、御者と馬車を守衛隊施設内の安全な場所まで避難させる。御者台から降りた男は、その案内に従って、馬を指定された場所へと誘導する。ようやく走ることから解放された馬は、息も絶え絶えといった様相で、男に引かれてのろのろと付いていく。そして、体力を使っていないはずの男まで、なぜか同じように荒々しい呼吸をしていた。


 一方で、馬車通過後の門の境には、アバンが悠然と立ち塞がっていた。彼は帯刀していた剣を引き抜き、切先を上に向けて顔の前で立てた。剣越しに見える賊たちに焦点を合わせてから、剣を持つ手を斜め下方へと振った。息を吐いて全身の力を抜くと、あらゆるものが澄み渡ったように感じられた。


 走り寄る賊たちを牽制するために、アバンは威圧的な態度で叫ぶ。


「聴け!! この先は王都である! 不法な侵入行為は許されない!」


 その声量は凄まじかった。例え、賊たちが耳を塞いでいたとしても、距離を殺してその耳まで届かせていただろう。


 警告を受けた彼らは足を緩めて、門までの距離を詰めることに躊躇した。あるいは、彼の堂々とした態度に警戒心を強めたのかもしれない。


 アバンは胸中で一息吐いていたが、それはおくびにも見せずに続ける。


「ここで大人しく引き返すのであれば、我々も穏便に済ませよう! 真っ当に入門したいのであれば、武器をしまって正式な手順を踏んで承認を受けること! いずれでもない場合には……我ら守衛隊が総力をもって排除することになるだろう!」


 宣告を受けた賊たちは、怒鳴ることもざわめくこともせずに静まった。すると、賊たちが連なってできた壁の一箇所が崩れた。その裂け目から一人の男が首を鳴らしながら歩み出た。彼は他の者よりも質が良い衣服や装備を身に着けていた。武器は抜いていない。おそらくだが、彼はこの集団の頭領であり、交渉の意思があるのだろうとアバンは睨んだ。


 実際のところ、その読みは当たっていた。男は腕を組んで、顔には嫌らしい微笑を貼り付けていた。


「おいおい兄ちゃん、誤解しないでくれよ。確かに俺たちはどっちかって言ったら、表を歩けない連中の集まりさ。けどな、ここに来たのは、その門を潜りたかったからじゃねぇんだよ。俺たちが用があるのは、さっきの馬車とあの男だ。よく聴けよ? あいつは俺たちの私財を盗みやがったんだ。商人みたいなナリをしちゃいるが、ありゃ盗賊と同じだ。盗みはイケナイことだ。わかるだろ? 俺たちは盗られたモンを還して貰えりゃそれでいいんだ。兄ちゃんが協力してくれるんなら、俺たちはなにもしないさ。だからほら……このとおーり……な! 頼むぜ兄ちゃん」


 男は愛嬌のある振る舞いをしていたものの、発言の方からは堅気と思える要素がまるで感じられなかった。最後の方では両手を合わせて頭を下げて、さらに上目遣いでウインクをする始末だ。賊らしい賊ではないようだが、賊であることは確実だ。


 門前払いで終わらせてしまいたいところではあったが、アバンは少しだけ気がかりがあった。商人らしき男が彼らの私財を盗んだという話だ。もしそれが本当であったとしても、すなわち潔白の証明になるとは思わないが、しかし、商人らしき男の方を野放しにはできないことにはなる。


 アバンは少し考え込んでから、静かに口を開いた。


「彼と彼の荷物は入門検査の対象だ。あなたが言う、盗まれた物が発見された場合には、正当な持ち主を確認しよう。そのためには詳細を教えて貰う必要がある。あなた一人だけで、武装を解除して守衛所に来て貰いたい。お互いが納得のできる落としどころだと思うが……いかがか?」


「それはありがたい申し出だ。だけど、もうじきに日が暮れちまう。仲間をここに放置していくなんて、そんな酷なことは俺にはできねぇ! だからさ兄ちゃん。入口まででいいから、皆も入れてくれないか?」


「それは無理な話だ」


「そうかい……仕方ねぇから兄ちゃんの言うとおりにするさ。じゃあ、皆、後は任せた」


 仲間に手を振った男は軽快な足取りでアバンに向かって走り寄る。武装は解除されていない。接近する彼を警戒しているアバンの耳に、突如として怒号が飛来する。雄たけびを上げた賊たちが一斉に駆け出していた。


「余所見はイケナイねぇ!」


 賊たちに注意を取られていたアバンの胴体へ逆袈裟に白刃が走った。アバンの身体に鮮血の線が刻まれると思われたが、彼は持っていた剣を反射的に叩きつけて刃の軌道を逸らしていた。


 男は返り血を浴びるつもりでいたのか一瞬だけ目を見開いた。その隙にアバンが反撃を行うも、彼はぎりぎりで躱してみせた。


 口角が吊り上がった口が開く。


「へぇー、兄ちゃん若い癖になかなかやるじゃん」


 もうアバンが彼に耳を貸す義理はなくなった。


 厳つく保っていた顔を破顔したアバンは門に向かって叫ぶ。


「お前の出番だ!」


 その言葉によって、重たい物体同士が衝突する音が轟いた。この場にいるすべての人間の動きが止まる。


 影がかかって見通しが効きづらい門の内側。そこから綺麗な長方形の塊が夕照のもとへ姿を表す。それは巨大な岩石の足先で、石畳と接触する度に過剰な質量を主張する。次いで、脚部、腰部、腕部、胴部と視認できる部位が多くなっていく。最後に体に対して小さめな頭部が色を得た。


 いつ間にか腕を垂らしていた賊たちは呆然とその巨体を眺めていた。そんな中で、唯一頭領だけが苦笑していた。


「いやぁ、まさか実物を拝めるとはねぇ……どうすっかな」


 眼球のように配置された二つの結晶が、彼らの姿をしかと捉えていた。本来は真っ赤であるはずのそれは、夕焼けを浴びて今だけ朱色に染まっていた。


書き溜めたものをまとめて投稿します。

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