21 Party is over 前編
あまり日を開けずの投稿になりました。
またまた事件が始まる予感の第43話です。
「だぁー納得いかねぇっ!!」
騎士団本部を出て開口一番にそう叫んだのは咲だ。
往来には普段よりも人が溢れ、何人かは咲の大声にこちらを向いた者もいる。
そして、普段より人が集まっている訳と言えば。
「今日から1週間、お祭りか〜」
気だるさと楽しさと、色々混じったような声で月奈が言う。
アポラナの15、つまり7月15日は『アクターリア建国記念日』として祝日になっている。
百数十年前にアクターリア王国が建国されたのに由来しており、この記念日から1週間の間王都では、眠らない街パルポラもかくやといった祭り、『ナッカ ワズェレ サイ キグァル』が開催される。
その為、こうして人妖様々なものが往来を闊歩している。
人が集まれば事件が起きる、というのがこの街の常であり、今度はどんな事件が起きるのやらと今からウンザリしている月奈であった。
清々しいまでに自分の言を無視された咲は精神的ダメージを受けたような顔をして、月奈に食って掛った。
「おおい月奈ァ!月奈は悔しくないのかよぉあんなにボコボコに言われてさぁ!!」
「あーもうっ、私だって悔しいわよ!」
涙目になりながら肩を揺さぶられ、ガクガクと首を振られながら月奈は観念したように本音を漏らした。
悔しいのは咲も月奈も、夕月も悠依も燐だって同じだろう。
月奈と咲は気付かれないように後ろを振り返る。
そこには、両手をギュッと握りしめ、悠依と燐に励まされて俯きながら頷く夕月がいた。
「……でも夕月の落ち込みに比べたら私のなんてどうってことないのよ。そうでしょ?」
「アタシら全員が決めたことって言っても、言い出しっぺなだけに衝撃も大きいんだろうねぇ……1人で責任抱え込まなくていいのに」
困り眉をして、夕月を心配そうに見る咲。
恐らく、夕月だってそれは分かっているのだろう。
明け方のあの広場で、ギルベルトの前で5人が誓った決意だ。咲達にも責任がある。
それでも、夕月があれ程凹んでいる原因は恐らく──
「チッ。あのチビ団長、思ったよりも性格悪かったな……」
誰に言うともなく、咲は舌打ちして呟いた。仕返し出来るものなら、そうしてやりたかった。
すると、月奈が彼女にしては珍しい事を言い出す。
「こんな時は、やっぱりアレよね」
「アレって?家に帰って晩御飯か?」
「お酒よ」
咲の方を見上げて、彼女はニッと笑ってみせる。
「まだお祝いしてないこと、あるでしょ?」
「……あぁ、そうだったな」
閉会式が終わって直ぐに、慌ただしく団長室へ駆け込んだのだ。労いの言葉1つかける暇も無かった。
こうして5人は、未だ重い足取りながらも行きつけの場所へ向かった。
オホン、と仰々しく咳払いして、月奈が音頭を取る。
「という訳で、燐の優勝を祝しまして!」
『かんぱ〜い!』
騎士団本部から歩いて45分、時刻は冥刻の1。大衆酒場『狩人の食卓』にて、5人は円形の卓上に所狭しと置かれた料理を囲んでいた。
広場に幾つもあるテーブルの中でも、優勝記念として奮発した5人のテーブルが一際目立っている。
「なんだい、さっきまで通夜みたいな顔で注文してたってのに、もう酒が回ってんのかぁ?」
そう言って、酒瓶をゴンッとテーブルに置くのはビビだ。玻璃で出来た瓶の中には清酒が入っているようで、揺らすとチャプンと液面が揺れる。
頼んだ記憶の無いものに、ラ・シーアの金庫番が訝しむ。
「あれ?アタシらそれぞれ酒は頼んだけど、瓶1本って頼んだかい?」
咲はかなりの酒豪で、酒は飲んでも飲まれることは絶対に無い。瓶1本なら1人で飲める、なんて本人が豪語している程だ。酔っ払って頼んだということは有り得ない。
すると、ビビはニカッと歯を見せて笑って、茶目っぽく片目を瞑る。
「優勝記念、ということであたしからの奢りだ!遠慮はいらないよ!チャルカの酒だから、普段のより強いのでそこは気を付けるように!」
『おぉ〜〜』
持ってこられた酒瓶は、太さも程々に、高さも1番身長の高い悠依の肘から先ほどまである。
しばらく飲んでも空にならなそうな看板娘の太っ腹振りに、5人は目を丸くして満面に喜色を浮かべた。
「ありがとう、ビビ!」
「おー!夕月も、凄い戦いぶりだったらしいじゃないか?」
「知ってるの?」
「あぁ、みんなそればっかり話してるさー!」
5人の戦いは予選もさることながら、決勝戦では鍛錬を積み重ねてきた騎士団員達ですら脱帽する奮戦ぶりを見せた。
ビビ曰く5人のうち誰が勝つか予想するという賭け事も行われていたそうで、揉め事などは起こらなかっただろうかと、月奈と悠依は少し心配になる。
沈んだ気持ちも充分に晴れ、談笑に花を咲かせていたビビと5人のテーブルに、新たに料理が運ばれてきた。
「『バロンクの肩肉焼き』と『香草添え野菜盛り合わせ』、お待ちどうさまなの」
「アレ?切華ちゃん?」
そこには、つい数時間前まで顔を合わせていた小柄の女性、殺歌 切華がいた。
月奈より少し背が小さく、紅色が混ざった白髪をしているが、その双眸は他の人の目を引くほどに赤い。
「あれ?ビビ、珍しく切華ちゃん使ってるのか?いやまぁギンが居られてもちょーっとアタシらは困るんだけどさ」
「あぁ、ギンかい?今日も普通に当番が入ってたんだけどね、なんだか来るなりいつもの元気が無くってさ」
『………』
ビビの言葉に5人は黙りこくってしまう。
切華もコクリと小さく頷いて、か細い声で言う。
「帰って来たギン兄、ちょっとヘンだったの」
◇◇◇
父が経営しているこの酒場は、昼間に料理の仕込み等をして、午後5時頃から開店する。
開店後、早速お祭り気分で飲みに来た客達の注文を取り、料理を運ぶなどして1時間。まだ1日目だと言うのに盛況している祭りの熱気に喉が乾き、ビビは水を飲もうと厨房に入る。
「ん?おぉ、ビビはん」
「あれ?本業は終わったのかい?」
数人の厨房係が忙しなく動き回り、料理を作っている中で、ギンが先に水を飲んでいた。
ビビもその隣へ並ぶと、ギンが気を利かせて新しい水呑みを渡してくれた。
「あぁ、今日は会議だけや。本格的に忙しくなるんは祭りが終わってからやな」
「ふーん。大変だねぇ」
「まぁ、そうやなぁ」
「どうだった?『大陸戦争』絡みなら、あの子達も会議に顔出すんだろ?」
「…っ」
あの子達とは言わずもがな、毎週金曜の夜に酒盛りしに来る5人の少女の事だ。
この1年でかなり打ち解けたビビはもちろん、ギンも彼女らのことを何かと気にかけている。
酒場で談笑するビビと違い、最近『仕事』でも5人と関わるようになったギンの事だから、その話題を振れば何かと面白い話をしてくれるかと思ったのだが──
「ん…まぁ、ようやってたで」
「はい、ちょっと待った」
その曖昧な返事に、違和感を覚えない程乾いた関係をギンとビビは築いていない。
何より、その表情が辛さを物語っていた。
浅黒い肌に銀髪にも白髪にも見える髪。面長ながらも端整な顔。サッパリとしながらも面倒見のいい性格をした好青年だ、女子に人気が無いということは無いだろう。
だが今に至っては、暗い表情を笑みで打ち消そうとして消しきれないような、そんな顔をしている。
「アンタ、そんな顔するヤツじゃないでしょ。なんかあったのかい?」
ギンはちょうど1年くらい前に、切華ちゃんを連れてこの酒場にやって来た。
曰く、本当の仕事は別にあるものの、王都に滞在することになったのでもう1つ手に職をつけたいということだった。
父は彼を雇うことに少々懐疑的だったものの、ビビが切華ちゃんを気に入ってしまい、懇願したことで晴れてこの酒場の従業員となった。今では父もギンを買っていて、何かと酒場を任せることも多くなった。
一緒に仕事をするようになってから1年。その内に彼が4年前から始まった『大陸戦争』に参加していると知ったり、切華ちゃんの事情を少しだけ聞かせて貰ったりとしたが、彼のこういう顔を見るのは初めてだった。
「ハッ、ビビはんにはバレるやな…やっぱ」
「おう、諦めて白状しな〜」
少し茶化すように言ってみるが、ギンの表情は暗いままだ。
これは結構複雑なやつかねぇ。ビビがそう思った時、
「……姉ちゃんらだって……あの朝決めた理想になれるように、王都を駆けずり回って頑張ってきたはずや」
「うん」
「それはオレには出来なかったことで、凄く立派なことなんや」
「うん」
「出来ない奴が出来る奴を壊すなんて、これ程罪深いことあるか…?」
堪え切れずに震えるギンの声に、ビビはハッとした。こんな男でも悩むことはあったのかと。
少々彼に失礼かもしれないが、それ程にビビの目に映るギンは悩みなんて抱えるように見えなかった。
残念ながら、彼の悩みを晴らせる答えをビビは持っていない。
だけど、店長の父に代わって従業員を纏める立場として、出来ることはあった。
「……あたしは戦争に参加してないから、よく分かんないけどさ。悩んでる時は、しっかり休むなり何なり、したほうがいいよ。仕事なんて放っとけばいいさ」
「…なんや、これ」
「餞別。今日はあたしと切華ちゃんに任せて、アンタは祭りでも楽しんできなよ。南から美味い酒が来たって、さっき客が話してたよ」
「……すんません。迷惑、かけます」
「いいっていいって、ほら!行ってこ〜い!」
明るく振る舞い、バシンとギンの背中を叩いて送り出す。今年でビビは25歳。悩みの1つや2つ、軽くする術は知っている。
「まぁ、しっかり向き合うといいよ。あたしも、そうやって折り合い付けたりしたし」
客用入り口から出ていくギンの背中を見ながら、ビビはそう呟いた。
◇◇◇
「燐姉、何かしたの?」
「なんで私……いやまぁ、心当たりはあるけど…」
ビビの話が終わるなり、何故か懐かれている切華にそう聞かれ燐は狼狽える。
ギンがそんな様子だった訳と言えば、十中八九会議で彼が報告したことについてだろう。
「……旅団の仕事とは言え、ギンも辛かったんでしょうね」
月奈は俯いて、ポツリとそう呟く。
再び薄暗い空気が5人のテーブルに漂い始めたが、それをトントンと燐を突いて切華が急かす。
「早く食べないと、冷めちゃうの」
「ブッ」
『え?』
突然謎の破裂音と共に、漏れ出る笑い声が聞こえた。
見ると、咲が腹を抱えて笑いを堪えている。
「ちょ、ゴメン、切華ちゃん、空気ぶち壊すじゃないかぁハハハハハハ!!!」
「…?どうかしたの?」
「アァハハハハハハハ!!!やめて!アタシ死んじゃう!!」
切華の空気を全く読まない発言が笑壺に入ったのだろうか、不思議そうな顔をして様子を聞く切華に更に追い打ちをかけられ、咲は笑い転げている。
そんな咲を見て、悠依が一言。
「そう言えば咲さん、酔うととても笑いましたよね?」
『あ』
普段はそこまで酔わないから皆忘れていたが、咲は酔うと笑い上戸になる。だが、さっきはそこまで酔いは回ってなかったはずだ。
いつの間にそんなに酔ったのかと、夕月は訝しげにテーブルを見渡す。
すると、変な違和感を覚えた。
テーブルの端に置かれたビビが奢ってくれた酒瓶。硝子製の為、透明度の高い酒が入っているとそれが見えにくくなるのだが──
なんとなく、何も入っていないように見える。目を凝らすと、内側に付いた水滴も見えた。
夕月はハッとして、ちょうどへべれけに酔っている人物に目を戻す。
「あーっ!!咲、もしかしてビビの話の間に全部飲んじゃったのぉ!!??」
「え?あーー、ハハハッ、うん!」
『うんじゃない!!』
思わずビビも声を揃えてそう言った。
結局、もう一本持ってきてもらうことになった。今度は奢りではなく自費の為、咲だけ瓶の酒を禁止されたことは言うまでもなかった。
「そう言えば、切華さんの戦いも素晴らしかったですね」
祝勝会を始めて1時間半、新しく料理を運んできた切華に悠依がそう言った。ある程度酔いの覚めた咲は、仕方なくグラスで頼んだ発泡酒を飲んでいる。時々瓶に手を伸ばしては、目敏く燐にペシッ!と手を叩かれていた。
それを皮切りに、月奈も「そうそう」と言って話し始める。
「思い出したのだけど、切華ちゃん。貴女の目って、生まれつき?」
切華が一瞬、小さく肩を震わせる。その様子だけを見れば、ただ身を震わせた女児にも見える。
月奈と同程度の身長に、白髪、表情の起伏は乏しいながらも愛嬌のある童顔。これで5人より3つも年上なのかと、月奈はたまに疑わしくなる。
少し怯えた様子の切華を見て、月奈は少し悲しげに目を細めると、
「大丈夫よ。安心して」
とだけ言う。
何が何だか分からない顔をして4人はその様子を見守っている。
だが、切華にはその意味が伝わったのか、彼女は5人の顔を見渡すと小さく頷いてくれた。
「そう…じゃあ、切華ちゃんの戦いは技能じゃなくて【才能】なのね」
「……なの」
さっきとは打って変わって不安げな表情をする切華と、彼女の言葉に嘆息する月奈を見て、咲が焦れったそうに急かす。
「さっきから何の話だい?切華ちゃんのあの、ブワーッて短刀が切れたヤツのこと?」
「えぇ、単刀直入に言うとね、切華ちゃんは【大罪の才能】を持ってるのよ」
「私のは……【切り裂き】…」
4人はポカン…とした顔を浮かべる。唯一、悠依だけがハッとしたように言った。
「『大罪』ってことは……【魔女】に関係することでしょうか?」
「えぇ、鋭いわね。【大罪の才能】とは、【大罪の魔女】達に関連すると言われている才能で、保持者は目が先天的に赤いのよ」
ナスチア大陸において【魔女】という単語が指すのは、基本的に2つの存在しかない。故に、魔術を扱う者は性別に関わらず『魔術師』と呼称される。
1つは【千年魔女】、リーヴィリヒアインツネバー姉妹だ。
そしてもう1つ。【大罪の魔女】と呼ばれる存在がいる。
ナスチア歴が始まってからおよそ50年程は【創世期】と呼ばれ、この世界の成り立ちに深く関わっている時代とされている。
この時代に実在した、今の世界を作ったと言われている人物達の総称が【大罪の魔女】である。ナスチア歴40年頃から次第に人の世から姿を消していき、55年には最後の大罪の魔女が居なくなっている。
その肉体は不老不死である事。また、創世期には民から【創名】という2つ名で呼ばれていたという記述が、かの魔術師団団長の著書にある。
しかし、不老不死のエレナ、ユーナですら彼等を目にしたのは最後の5人程度であり、彼女らが生まれる前に消えた魔女達の行方は杳として知れず。
その正体、不明。
何故『大罪』という単語を冠するのか、不明。
何人いるのか、不明。
現在何処にいるのか、不明。
そんな存在の殆どが謎に包まれた彼等に関連するものの1つとして、月奈が言った【大罪の才能】が挙げられる。
「といっても、【才能】と【大罪の才能】に根本的な違いは無いのよね。ただ、【大罪の才能】の効果が【才能】とは掛け離れたもので、人々にはそれが恐ろしく映ったってだけの話」
月奈の言ったように、【才能】と【大罪の才能】の間には明確な差異は無い。力を及ぼす道筋は同じ為、どちらも【才能】として括ることが出来る。
しかし、【大罪の才能】の中には『世界の理を捻じ曲げるもの』や『人に扱える範疇を超えたもの』などもある。はるか昔より存在していた両者を見て、人々は明らかに異質な効果を発揮する大罪の才能の方を『恐ろしいもの』として迫害した。
この世界に古くから根付く信仰として、【大罪教】という宗教集団がある。【大罪の魔女】達を崇める為にいつしか興った宗教だ。
名前が名前であるだけに、異端的な香りを感じるが、これといって危なげな事は無く、世界を作った魔女達を讃える宗教ということもあって信仰者の数はそれなりに多い。
というのは、一般の信仰者に限られた話である。
大罪教の幹部、司祭とでも言おうか、組織の上位に位置する者たちは魔女達に心まで浸かりきっており、最早狂った域に達している。
彼らにとって【大罪の才能】を持つ者と言えば『大罪の魔女の名を騙る不届き者』であり、『捕え、監禁し、拷問し、魔女に懺悔させるべき不埒者』なのだ。
切華の過去を聞いた事は無い。しかし、【大罪の才能】を持つこと。加えて、19歳にしては少々異質に感じる程の幼さを見せるその精神性を考慮すれば、恐らく彼女も辛いものを背負っているのだろうと、月奈は少し目を細めて隣に立つ切華を見た。
「へぇー!切華ちゃん、そんな凄い【才能】持ってたんだーー!!」
目を丸くして、羨慕の目で切華を見るのは夕月だ。
予想と違う反応に驚いたのか、同じく目を丸くする切華に対し彼女はエヘヘと笑いかけて、
「私は【才能】を持ってないから、あんなカッコイイ戦いが出来るの、ちょっと羨ましいなぁ」
「そんなこと、ないの。夕月姉だって、凄かった」
「むしろ夕月が【才能】持っちゃったら、ホントに……」
苦笑いし、咲は息を吐く。
呆れたような、からかうような言い草にテーブルを囲んだ6人は笑う。
手で作った影から刀を発生させる【現刀】を基礎とした『影刀神楽式』は、初めて見る人からすれば【才能】と大差無い。
夕月曰く、修行を積めば誰でも出来るようになるらしいが、傍から見ている限りでは到底そうは思えなかった。
そして、今回の大会で4人は改めて夕月の規格外さを再認識した。人の域を超えた速度で振るわれる刀を易々と去なし、周囲の影から飛び出る刃を殆ど直感で潜り抜けるという芸当は、大陸中を探しても夕月しか出来ないだろう。
本人は月奈や咲、燐と悠依にまだまだ及ばないと謙虚な姿勢を見せるが、恐らく単騎としての戦闘力で言えば夕月は5人の中でもずば抜けている。
「なんだと!もう一度言ってみろ!!」
「あぁん!?俺は普通に兄ちゃんの感想言っただけじゃねえか!」
その時、広場にある内の1つのテーブルから怒声が聞こえてきた。見ると、2人の男が言い争いを始めているようだ。
従業員が宥めに入るも、両者は止まる気配を見せず、激情のままに互いを罵りあい始めた。
「ちょっ、アレ、不味いんじゃないかい?」
「そうね、止めに行きましょ」
酒場の入り口から世にも恐ろしげな憤怒の表情を見せながら、空の酒瓶を片手にぬっと出てくるビビもいる。『狩人の食卓』の看板娘はあれでなかなか療治が荒い。
ここは穏便に済ませられるうちに止めねばと、5人が件のテーブルに赴く。
「はい〜どうどうどう〜〜。兄ちゃん達、そこまでにしときなさいな」
咲が両者を手で制し、沈静化を図る。
流石に騎士が出張ってきては不味いと感じたのか、片方は──感想を述べたらしき男の方はそれで引き下がった。
「僕は悪くないぞ!コイツが僕の魔術をバカにしたんだ!」
しかし、もう一方はだいぶ酔っているらしく、鼻息荒く訴える代わりに、酷い酒の臭いがする。
それを見て男は「まだやるのか」と面食らった顔をした後に、付き合ってられないとばかりに手を振って酒場を出ていった。去り際にしっかり代金を置いていくあたり、彼はさほど酔っていなかったのだろう。
となると、問題はもう一方だ。
「あら、なんか見たことある顔ねって思ったら……今日の予選であたった人じゃない」
「月奈、知ってるのか?」
未だ咲に向かって当たり散らしている男は、よく見ると魔術師特有の外套を羽織っている。
腰には何色かの色粉を袋に分けて提げており、確か風魔元素を使う魔術師だったなと月奈は思い出す。
「あーーっ!!お前!!よくも!!!」
魔術師の男は月奈の顔を認識するや否や、指を突き付けて憎たらしげに言葉を吐いた。
目を三角にして、「お前のせいで」とか「特別賞が取れなかった」など、有り体に言えば悪口を言われてるのを見れば恐らく恨まれているのだろうが、当の月奈には全く心当たりがない。
「えっと、怒ってるところ悪いのだけど。私、あなたに何か良くないことでもしたのかしら?」
魔術師同士の戦いは、騎士同士の戦いと違って相手の腹の探り合いである。
月奈も出来る限り失礼のないように気を付けているものの、こういった戦いに限って作法などを重んじる魔術師もいる為、その辺りで何か粗相をしたのだろうか?と思案する。
確か、彼は風魔術で形作った色とりどりの蝶を相手に嗾ける、教科書には載らない──そういった魔術師が独自で作った魔術を【固有魔術】と呼ぶ──魔術を使ってきた。
独学の魔術にしてはよく出来ており、月奈もその幻想的な綺麗さに感心し、応酬として陽の光でキラキラと輝く吹雪を起こしたり、様々な動物を形作る水で攻撃したりした。
そんな風に考えている月奈だったのに対して、彼の返事は単純であった。
「そうだ!お前が僕より綺麗な魔術を出すから特別賞すら取れなかった!あんなに努力した魔術をいとも簡単に!!これだから才能でやってきた魔術師は嫌なんだ!!」
(あっ)
やったな、と咲は嘆く。
誰に対しても平等に、優しく接する月奈であるが、それでも許し難いものというのはある。この男は今、良からぬ言葉を口にした。
不意に訪れる静寂に、咲はチラリと月奈を見やる。
薄らと弧を描く口元に、優しく下がった眉。その横顔は、一見するといつもの月奈の笑みのようだ。
だが、日頃から共に生活している4人から見れば、その目だけが笑ってないことは直ぐに分かった。
「才能、才能……ね」
「あぁ!どうせ努力なんてしたことないんだろ!だから俺たちみたいな才能に恵まれない魔術師を嘲笑ってるんだ!」
「そう、それはごめんなさいね」
4人の心配そうな目線とは反対に、当の月奈はニッコリと微笑んで謝罪する。
(嘘だよ……)
と、夕月は思う。
どの魔元素にも適正が無く、魔術の才能──【才能】、又は向き不向きと言う意味での『才能』、そのどちらも無い夕月であれど、月奈の魔術師としての在り方は尊敬出来るものだ。
詠唱を必要としなくなる、魔術師にとっては垂涎の的である【才能・不唱】を持っているのにも関わらず、決してそれに甘んじる事無く、己の研鑽出来る所は日々研鑽し続けている姿勢は、夕月も見習いたいと思っている。
また、他者よりも魔術の才に恵まれていることは事実だが、それを鼻にかけて自分より劣る魔術師を侮辱することも無い。
それどころか、夕月が今まで見てきたどの魔術師よりも相手に敬意を払っている。彼女曰く、『どんな魔術師にも、どの魔術にも。学ぶべき所は沢山あるわ』という事らしい。
「では、嘲りついでに1ついいかしら?」
「なんだよ」
ふんっと鼻を鳴らし、不機嫌そうに聞き返す男に、月奈は笑ったままこう言った。
「自分の努力を認めてもらいたいのなら、まずはその魔術、誰に見せても恥ずかしくないものに仕上げるべきよ。えぇ、もちろん──他の蝶の陰に隠して維持出来なくなった蝶を消すなんて真似は、してないでしょうけどね?」
それを聞いた途端、男の顔がサッと青くなる。図星のようだ。
それだけ言うと、月奈はテーブルに背を向けて広場を出ていこうとする。
「月奈さん?」
元のテーブルに戻る素振りも見せない月奈に驚き、悠依が呼び止めるが、4人のそばを通る時に小声で、
「気分が悪いから、先帰ってるわね」
とだけ言って、広場を出ていってしまった。
普段よりも早足で遠ざかる月奈の姿は直ぐに人混みに紛れ、4人からは見えなくなる。
「仕方ない、追い掛けるよ」
咲がそう言うが早いか、料理の代金を切華に渡して4人大通りへと出た。
「まだ1日目だぞ……」
燐がそう呟くが、全くその通りだと他の3人も苦笑いする。
王城から真南に伸びるカルトス大通りは、いつもの通行量の3倍程の人でごった返しており、気を抜けば人の波に揉みくちゃにされてしまいそうだ。
「とりあえず、手分けして探しましょう」
悠依の提案に皆は同意し、それぞれ別方向へ歩き出した。
コツン、と靴音を鳴らして最後の段を昇る。
「ふぃー、思ったよりも高かったわね〜」
そう息を吐きながら、月奈は眼前に広がる夜景を見渡した。
酒場からトリマル大通りを南下して2フィム、王城から4フィム程の距離に、その建物は位置する。
第13番臨時監視塔。30フィーアの高さを持つ、騎士団管理の監視塔だ。有事の際に使われる監視塔の為、普段は人が居らず、入口には鍵が掛けられているのだが──
「まぁ、こっちは精神的な有事なのよ」
と、月奈は誰に言うともない言い訳をする。
月奈が今いる屋上は5人くらい入ってもそれなりに広くなるよう作られており、長椅子も壁に沿って併設されていた。
彼女は落下防止用の石壁に肘を置き、頬杖を付いて東の空を眺める。
「『最青』の勲章を手に入れても、まだまだ足りないのかしらね……」
月奈は独りごちる。
最も青いと書いて『最青』と読むその勲章は、大陸全土の魔術師を取り纏める組織である魔術協会から『最も水魔術の扱いに長けた者』に授与される最高級の勲章だ。
3年程前、弛まぬ努力の末に手に入れたその勲章は、本来魔術協会でかなりの地位が約束される程の名誉なのだが、月奈はその誘いを畏れ多くも保留にさせてもらった。
そして、グレイから『王立騎士団特殊騎士団』の話を聞いたその日に、協会の地位を断る連絡を入れた。
「もし、私が…魔術協会の幹部だったら……」
なんて事を考えてみるが、別に今の境遇を後悔していたりはしない。
むしろ、あの日にあの選択をしたおかげで、かけがえの無い友人が出来た。あのまま魔術協会で幹部になっていれば、これは得難いものだっただろう。
老齢の魔術師や、魔術協会と関係の深い魔術師なら月奈がどれ程の実力者なのか直ぐに察し、有難いことに相応の敬意を払って接してくれる。
しかし、若い魔術師や魔術協会との関わりが殆ど無い者からして見れば、月奈はまだ成人して1年の若輩だ。
彼等から向けられる妬み嫉み僻みの視線は、時にはいい刺激にもなるが。
(それでも、こうして面と向かって言われるのは流石に堪えるわね……)
例え王国の精鋭騎士の1人だろうと、どれ程魔術の実力を具えていようとも、月奈は思春期真っ只中の1人の少女でもある。
目の前で悪口を言われるのは気丈に振る舞う月奈でも辛いものがある。
「でもまぁ、気にしてたらやってられないわよね。さて!」
月奈は顔を上げて、1つ下の階に届くように声を大にして言う。
「貴方達、いるんでしょー?隠れてないで上がって来たらどぉーー!?」
すると、バツが悪そうに咲が階段から顔を見せると、それに続いて燐、夕月、悠依が姿を現した。
咲は月奈の顔を見て、安心したように微笑む。
「もう大丈夫そうだね?」
心配する咲の声に、月奈も微笑み返す。昔から、1人で悩みに折り合いをつけるのが当たり前だった。
「えぇ、夜風に当たってスッキリしたわ。で?夕月はどうしたの?なんかいい事を思い付いたって顔してるわよ〜」
「えっ……そ、そんなに?」
「さっきからずっとニマニマしてるねぇと思ったけど、なにを思い付いたのさ?」
自分では意識してなかったのか、普段よりも綻んだような、ウズウズしているような表情が見て取れた。
夕月は照れくさそうに笑って、むにむにと頬を解すと、スッと真面目な顔に切り替えて、こう切り出した。
「あれからずっと考えてた」
『!!』
その言葉に4人はハッとして、場の空気が少し緊張感を帯びる。
どうやらお酒の力を持ってしても、今日の出来事は夕月にとって忘がたいものだったようだ。
そのまま夕月は続ける。
「私が『全てを護りたい』、『ヴァータの民を殺したくない』って思ったのは何故だろうって」
最初はちゃんと、無理やり徴兵されているヴァータの民を救いたいと思っていた。だけど、ギンの報告でそういった民は居ないことが分かった。
それでも私が、私たちが、『殺したくない』と願ったのはどうしてか。
「やっぱり私は、人を殺すのが嫌だったんだ」
戦う覚悟の無い兵士達。可哀想な兵士達。
だが、本当に覚悟が無かったのは──
「私には、この戦争で人を殺すのは無理かも知れない……」
その気持ちを、それっぽい大義名分で覆い隠した私の方だ。
ポツポツと語られる夕月の話を、4人は見守る。
すると、唐突に夕月が顔を上げて、キラキラした笑顔で言い出した。
「だからね!私、誰も殺さない作戦を考えたの!」
『えっ』
ズコッ、と4人は転びそうになる。
みんなの反応にキョトンとした顔をする夕月に、咲は苦笑いして言う。
「いい決意の話でも始まるのかと思ったら、開き直りの話かい!」
「でも、夕月さんらしいですね」
さっきまでの緊張した表情を崩して笑う悠依に、燐も頷いて同意を示す。
夕月の言う『作戦』に咲や月奈も興味が湧いてきたのか、夕月に話の先を促す。
「で?それは一体どんな驚きの作戦かしら」
「ええとね………」
「へぇ……無茶苦茶だけど、上手くいけば確かに誰も殺さないねぇ」
夕月が作戦の詳細を説明した後に、咲がそう評する。
しかし、悠依がそれに難色を示した。
「ですが、大陸戦争が始まった直後の王国との戦闘では、ヴァータの兵士に紛れて人並外れた能力を持つ人物がいたと聞きました。それも5人です」
「そうね。5人なら何とか抑えられなくもないけど……それでも大きな障害であることには変わりないわ」
時刻は冥刻の2半を回り、眼下に広がる街の騒がしさは更に勢いを増している。
祭典が開かれる1週間は、騎士団の全員が毎日出動する程繁忙を極める。
王立騎士団の指揮直下にある特殊騎士団ラ・シーアもその忙しさからは逃れられない。
5人は夕月の作戦で未だに頭を捻っていたが、その時、
カシンッ!!
すぐ側で、金属的な物が当たった音がした。
燐が不審がって辺りを見渡すと、それはすぐに見つかった。
「これって…」
返しの付いた金属の棒が監視塔の木製天井に突き刺さり、そこから金属製の紐がどこかへ伸びている。
すると、間髪を入れずにひとつの人影がかなりの勢いで監視塔に現れた。
「よーいしょっ、と」
「っ!?」
燐の普段持ち歩いている拳銃より一回り大きい銃を片手に持ち、さっきの金属製の紐がそこへスルスルと吸い込まれていく。
ヒラリとさっきまで月奈が肘を置いていた壁に着地すると、その人物は東の方を向いてじっと動かなくなった。
(まぁ、そうだよな…)
燐はその人物が誰なのかすぐに分かった。
彼女が片手に持っている銃を、燐も2挺腰のホルダーに収めている。
夕月達もその人物が誰なのか分かったようで、5人は戸惑ったように顔を見合せた。
これだけ近くにいる自分達に気付かない。それは、普段の彼女からは到底考えられない振る舞いだったからだ。
「あ〜〜……奇術師、さん?」
「んっ?おぉ〜〜??これはこれは夕月ちゃん。それに、月奈ちゃんに咲ちゃんに悠依ちゃんに燐ちゃん……って、ラ・シーアの5人がこんな所で何してるのかなぁ?」
「いや、こっちが聞きたいのだけど………この距離で気付かれないのになんで今まで捕まえられなかったのかしらね…」
そう言って歯噛みする月奈の言葉に、彼女はいつものヘラヘラとした笑みを返す。
「あはは〜、まぁ暗いからってことで!それにほら、私仮面してるし!」
「いつも思うけどそれ前見えてないだろ…」
つい1週間前に、夕月が追跡してまんまと逃げ果せられた奇術師・オニが、いつものように神出鬼没に出現したのだった。




