4 魔獣
ついに物語最初の事件ですと第4話です。
「さて!この犬を持ち主の所に返さなきゃな」
少し時間は戻って絶叫後。
呆れるほど犬と戯れ、ようやく犬に逃げられなくなった咲は所々引っ掻き傷の見える腕で子犬を抱えた。
「飼い主はどこに住んでいるんでしょう?」
「あ…」
悠依の問い掛けに、咲の満足そうな笑顔が凍る。
「まさか…」
「確認するの忘れてた……!!」
「バカだな……」
あまりの失敗に苦言を呈す燐。咲はそんなことも聞こえない様子で、一生懸命、朝に見た依頼書を思い浮かべようとしている。
「うーん確認名はギルベルトで…迷子になったのはトリマル地区で…」
「痛っ…」
「どうかしましたか?」
すると、燐が突然眼帯を抑えた。少し呼吸が乱れ、動揺した様子の燐に、悠依は心配の声をかける。
「あぁ、大丈夫だ…一瞬左眼が痛んだだけ──」
「燐さん?」
燐が途中で言葉を切って目を見開く様子に、悠依はさらに言葉を重ねる。
見開かれた視線の先には、唸りながら依頼書の情報を思い出そうとする咲──ではなく、その両腕に抱えられた子犬を見ていた。
「あれ?そう言われると、どこにも依頼者の住所とか書いてなかったな……?」
やっと正確な依頼書を思い出し、戸惑う様子で考え込む咲に燐は叫んだ。
「咲、屈め!!」
「え?」
バァン!!
ガラガラガラ……
「〜〜〜〜!!」
家の外壁が瓦礫となって崩れる。
燐に言われて、瞬時に膝を折った咲の頭上スレスレを太い尻尾が掠め、驚いた咲は尻もちをついていた。
「咲さん!!怪我は!」
「大丈夫!何があった!?」
素早く咲は立ち上がり、状況を聞く。周りは散り散りに逃げる市民の悲鳴で満ちていた。3人の立っていた背後の壁は大きく何かに抉られ、周りには瓦礫が散乱している。
そして、車道の真ん中には紫色の毛を持つ生物がいた。
「咲、お前の追い掛けてた犬──」
そう言って燐は犬、いや、5フィーアほどの体躯となった犬を見やって、
「どうやら犬じゃなかったみたいだな」
燐達3人と睨み合う形で道路の真ん中に立つ大きな狼のような生き物は──
「どうやら魔獣のようですね。恐らく──上位種かと」
獣ではなく、魔の獣であった。
獣と魔獣は違う。獣は何もしなければ敵対しない種が多いのに対し、魔獣は一部の変わり魔獣を除くほとんどが人間を敵視している。
そして通常の種と比べると数は減るが、上位種や厄災種と分類される魔獣の中には人語を解し、話す個体もいるのだ。つまり人間並みの知能を持つ。厄介なことこの上ない。
すると、紫色の大狼は口を開いた。悠依の見立て通り、そこから出てきたのは咆哮ではなく言葉だった。
「下等生物が、小癪にも我が尾を避けるか」
「…上位種で正解みたい…だな」
「あぁ。お前の狙いはなんだ!」
燐は魔獣に問いかける。
しかし返ってきたのは冷ややかな目線と、耳を塞ぎたくなるような罵言であった。
「狙い?そんなもの、貴様ら人間という下劣な生物らを我自ら喰らい、殺し、数を減らす以外何があろうか!!その為に生成魔術で偽装の依頼書まで作り上げ、我に近付くよう仕向けたのだ!油断した貴様らを真っ先に喰らえるようにな!!」
魔獣はよく響く低い声で続ける。
「何を成すともなく、ただ生きるだけの生き物に何の価値がある!あまつさえ、生きようとするために自然を壊すのだから尚質が悪い!!」
「私達は、必要以上に資源を取ることは避けているはずですが──」
悠依が和解を試みようとするも虚しく、魔獣はさらに激高した。
「肥溜めに湧く虫より価値のない生き物に何が出来ようか!果てには自分達は森を守っているとまで言ってのける!!斯様な奴等が森の何を守れようか!!あぁ腹が立つ、腹が立つ!!他のもの共が人間らに手を下さぬと言うなら、我がやろう!!」
そう言い放ち、突如魔獣は逃げる市民のひとりに一足飛びで詰め、背中に自分の大きな爪を振り下ろそうとし──
「させっかぁっ!!」
即座に反応した咲に、こめかみに重たい蹴りを入れられ、阻まれた。
魔獣がドォンと大きな音を立てて、燐と悠依のいる所とは反対側の歩道に横倒しになる。
「よっしゃぁ!悠依は月奈に連絡!燐はギルベルトに連絡して応援を来させ──」
咲は拳を握り、阻止達成を叫ぶ。
しかし、振り返って燐と悠依に指示を出そうとした咲を、魔獣の尾は許さなかった。
「ふん!」
「ぐ…ぅっ!」
魔獣は横倒しのまま太いしっぽを振り、咲を吹っ飛ばした。
「貴様らを喰らえぬなら民草を喰らうまでよ!」
「まっ、待て!クソッ!!」
大きく跳躍して逃げ惑う市民を追い出す魔獣。既に立ち直っていた咲はすぐさま、
「ティルポッド大通りの大広場にアイツを誘導するぞ!」
と言い残して追い掛けていった。
「ギルベルトに連絡は今取れた。悠依の方は?」
燐が手鏡を片手に悠依に聞く。
「私も連絡出来ました!行きましょう!」
「あぁ」
『今咲さんがレヴェロ地区に向かって追い掛けています!どうやらティルポッド大通りの大広場に誘導するみたいです!』
「ありがとう悠依、そのまま咲の援護をお願い!」
ラ・シーア本部。爆発音が聞こえた直後、すぐさま月奈は手鏡を取り出し悠依と連絡をとっていた。
「何があったの!?」
「どうやら魔獣の方を引いたみたいね」
焦りの色が見える夕月に、月奈が冷静に答える。
未だ噴煙の残滓が残った方向を見ながら夕月は聞く。
「上位種の?」
「ええ、それもかなりの人間嫌いよ」
上位種、厄災種の中には人間と争うのは無意味だと、人間と歩み寄る魔獣もいるのだが、今回はそれは望めないようだ。
「それなら…早く周りの人を避難させなきゃ!!」
「私達も行きましょう」
そう言って月奈は立ち上がり、右腕を上げる。
扉と机までの空間に向かって、月奈は詠唱を始めた。
「イオン・メトベリユ・スコーラン・スペトラ・イオーナス。空間連結、【ヴァイアデトラ】」
月奈が詠唱を終えると、右腕を上げた先に縦の楕円が浮かんでいた。碧翠色に縁取られたその向こう側には、住宅などに囲まれた、石畳の大きな広場が見える。
楕円から吹き抜けてくる風に紫色の髪をたなびかせ、少し緊張した面持ちの月奈は言う。
「さぁ夕月、作戦開始よ!」
「うん!」
ドスッ、ドスッ、ドスッ、ドスッ
何故どこにもいない?
ドスッ、ドスッ、ドスッ、ドスッ
区々に道を走っているはずなのに、人間が全く見えない。
見えない人間の姿を求めて裏路地へ曲がってみる。
ドスッ、ドスッ、ドスッ、ドスッ
やはりいない。
我に恐れを成して逃げたのだとしたら、なんと貧弱な生き方であることか。
やはり斯様な生き物、もはやこの世界に必要なし。我が残らず喰らって禍根すら残さず滅してやらねば。
再び大きな道に出る。その瞬間。
ゴッッ!!
「しゃあ!読み通り!!」
何が起こった?道に出た次の瞬間我は倒れていた。横腹が少し痛む。恐らく一撃入れられたのだろう。
起き上がると、目の前にはさっきの3人組の少女の1人。赤い髪が少し乱れ、喘ぐような呼吸をしているところを見ると全力で我を追いかけてきたのだろう。
「今のは…」
「ん?」
「今のは貴様か?」
我は速さには自信がある。そこに全力でついてきたというのに、尚あの速さで我に蹴りを入れられたと言うなら、どれ程の力量を持つのだ、この少女。やはり此奴は我の邪魔になろう。
そう思って、いつでも飛びかかれるように低く構え、返答を待つ。
「あ〜…逆に全然人がいないのにアタシ以外とでも言うのかい?」
予想通りの返答。
我は吼える。
「やはりお前から喰らってやろう!!」
少女は身を翻し、王城に背を向け大通りの先へと走り出した。
ふん。斯様な直線では、いずれ追い付かれるだろうに。




