3 日常から事件は突然に
突然長くなりますがよろしくお願いしますと第3話です。
悠依が壁に手を触れながら聞いてくる。
燐は天を仰いで、壁の上側をくまなく観察していた。
「燐さん、解術弾はまだありますか?」
「あるけど…まだあったのか?」
「ええ、これが最後だと思います」
巡回衛兵から報告を受けた数分後、トリマル地区の路地裏で燐と悠依は作業をしていた。
「なんでこんな所に5つも魔術格が展開されてたんだ…?」
燐は目の前に展開されたまま放置されている、淡い緑色に光る魔術格を見つめる。
行き止まりの路地裏には、路地裏の入り口からみて真正面に1つ、そして両側の家の外壁に2つずつの計5つ展開されていた。
「誰か魔術師がケンカでもしたのでしょうか?」
「分からないけど…とりあえずこれで最後だな」
魔術格が展開されていた箇所は、両側の魔術格の展開された高さが同じといった法則もなく、ただ本当にバラバラに壁に展開されているだけだった。
首を傾げつつ、手持ちのスナイパーライフルに弾を装填し、燐は魔術格に銃口を向け──
パンッ
「ありがとう悠依、私一人じゃあんな高いところ見落としてたかも──って」
シュワシュワと、空気中に分解しながら拡散していく魔術格に目をやりながら、燐はそう言って悠依に向き直る。
「犬…?」
しかしそこに悠依の姿は無く、見ると路地から出た往来で犬と戯れていた。
「よしよ〜し可愛いですね〜」
犬は地面をゴロゴロと転がりながら悠依に撫でられているのだが、当の悠依もたまらないといった表情をしながら子犬を撫でている。
「相変わらずよく好かれるな」
「はい! 燐さんもどうですか?」
「いや、私は遠慮する。この眼帯のせいで怖がられても嫌だからな」
そう言って燐は、親指で自分の左眼を指す。そこには白い髪とは対照的に真っ黒な眼帯が付けられ、燐の左眼を完全に隠していた。
「そんなこと無いと思いますよ? 燐さんは可愛いですから」
悠依は微笑んで、燐の言葉を否定する。あまり感情を出さない眼帯少女は、「ふっ」と少しだけ口角を上げた。
すると突然犬が起き上がり、悠依の背後に回った。
「あら、どうかしましたか?」
何か怖いものでもいるのかと周りを見る悠依だが、そこには商店や人々の往来があるだけで、背後の小型犬を怖がらせるようなものは見当たらない。
そう思ったのも束の間、2人の目の前から聞き慣れた声が響いてきた。
「待てぇーー!!」
「あれは…咲か?」
「咲さん…ですね」
険しい目付きをした咲が走ってこちらに向かってきていた。
「おー? 誰かと思えば燐と悠依じゃん、どうしたの?」
偶然出会った2人に咲は足を止める。不思議そうな顔をして聞く咲に、2人はこう説明する。
「いや、別の依頼が終わったから本部に戻ろうとしてたんだけど…」
「近くを巡回していた衛兵さんから『魔術格が大量に展開された路地裏があるんです』と報告をいただきまして」
そう言って悠依は隣にある路地裏を指した。咲は納得したように頷き、路地裏を覗き込むように体を傾ける。
「なるほどそれでトリマル地区にいたのか。確か、朝から行ってた依頼はレヴェロ地区だもんな」
「あぁ、帰り道の途中にあるみたいだし、ついでにな」
「咲さんは何故ここに?」
「ああ、ここら辺で迷子になった犬を探してくれって依頼をしてたんだけど…」
悠依に聞かれ、思い出したように辺りを見回す咲。
大通りから伸びた横道は、大通りほど大きくは無い。しかし、双方向に行き交う乗り合い馬車の車道、そしてその両側に十分な幅の歩道がある程度には広かった。
「茶色くてちっちゃい犬見かけなかったか? こっちに来たはずなんだけど」
「ああ、それなら…」
「この子のことでしょうか?」
と、悠依が足元の子犬を抱き上げた。子犬はベロを出してハッハッと息をしている。
「その子だ!」
悠依に抱えあげられた子犬を見て歓喜する咲に燐が聞いた。
「まさかコイツを追いかけてここまで来たのか?」
「そうなんだよ、アタシが捕まえようとしても逃げるし…」
「あら? でも私が抱いても全然逃げなかったですよ?」
そう言って悠依は咲と子犬のお守りを交代するが、
「え?」
信じられない、と目を見開き咲は悠依を見る。危うく子犬を取り落としかけたが、そこは何とか踏みとどまった。
「もしかしてですけど…」
恐る恐る切り出す悠依の言葉を、無慈悲に燐が繋いだ。
「逃げられたの、咲が怖かったからじゃ?」
「なんでだーーー!!」
燐の指摘に、咲の嘆きが響くのだった。
「にしても、朝からどこに行ってたのよ? はい、コーヒー」
「ありがとう。えっとね、いつも通り朝に家は出たんだけどね…」
咲が絶叫していた頃のラ・シーア本部。長椅子に座った2人の少女はコーヒーを飲んでいた。
「そうそう、私達と一緒に夕月も家を出たはずなのに、いつの間にかいなくなってるんだもの」
「私も月奈達の後ろを歩いてたんだけど、途中で見かけちゃって…」
苦笑いして、夕月は頬を掻く。月奈はコーヒーに砂糖を入れ、水差しのような形をした容器に入った牛乳を注ぎながら聞く。
「見かけた? 何を?」
「【奇術師・オニ】ちゃん…」
俯いて、どこか悶々とした様子で夕月が言う。その名前には月奈も聞き覚えがあった。
「え!? どこで見かけたの!?」
「レヴェロ地区、家を出てすぐのところの屋根の上を走ってたの」
あの飄々とした少女は、今朝も盗みを働いていた。
フェムセルの朝。明刻の8の頃でも既にたくさんの人の往来がある。
周りでは朝から商売に励む人々が、高らかに今日のおすすめを謳っている。
「でさ〜、そこで切華ちゃんがギンを指さしてアタシに言ったんだよ。『ギンにぃが咲ちゃんのお肉食べました』って!」
「味方だと思ってた人にバラされるのか…」
「あの人も不憫ね…」
「ギンさん、いつも切華さんに振り回されてますよね」
建ち並ぶ家々の、1階部分が店となっている商店街を歩きながら談笑するラ・シーアの面々だが、悠依が何かに気付いた。
「あら? 夕月さんどこに行きました?」
「え?」
「…いつの間にかいなくなってるな。咲、何か見たりしたか?」
怪訝な顔をして、燐は咲に聞く。しかし最もお喋りを楽しんでいた人物だ、何か見ているわけないのである。
「うぇっ!? い、いやぁ……何も…あは」
「う〜ん…とりあえず本部に行きましょう。依頼をこなしているうちに街のどこかで見かけるかもしれないわ」
夕月のことは心配だが、仕事を溜めてもいられないのであろう。月奈は唸ってそう判断した。
週末しか時間を取って仕事をこなせない以上、ゆっくりもしていられないのである。
「そうだな」
燐は特に反論することも無く頷いた。
「今度は一体何を盗んだの…!!」
その頃夕月は、ついさっきまで歩いていた商店街を既に抜けて、2階、3階建てのレンガ造りの家々の前に露店が構えられた、別の商店街の通りに入っていた。
「この移動の仕方…もう追われてることに気付いているのね」
夕月は、家々の屋根を軽快に飛び渡って走る人影を懸命に追う。
しかし、人の往来の中で上を見ながら走るのは至難の技で、人影はどんどん離れていく。
「今度はあっちね!」
人影が右に曲がったのを見て、同じく夕月も右の路地に入る。
しかし──
「行き止まり…?」
目の前にはただレンガの壁があるだけで、先に進める道は無かった。
しかも上を見ると、さっきの人影が夕月を見下ろしている。
それを見た夕月の闘争心に火がつく。
「私だって、師匠に並大抵の修行受けさせられてないわ!!」
そう叫んで夕月は右手の壁を強く蹴り、屋根の上に立つことに成功する。
「さぁ! 逃がさないから捕まりなさい!」
と高らかに宣言。妙な言い回しなのはご愛嬌。
しかし、人影は既に夕月に背を向け走っていた。
「あくまで捕まる気はないのね…っ!」
夕月はすぐさま追跡を再開。
屋根から屋根へ渡る時に見える眼下の道には、人が屋根の上を走る光景に人々が驚いている。
「あと少し…」
しかし、同じ土俵に立てば身体能力で夕月の上をいく者などそうそういない。みるみるうちに人影の背中もすぐ前のところまで迫っていた。
「捕まえっ……ひゃあ!」
その背中にはためくマントを掴もうと手を伸ばした瞬間、足場が無くなった。
知らないうちに、周りに見える建物の高さも3階や4階になっていて、夕月は王都の東西南北に伸びる大通り、王城の背部が見えることから北のアルグレー大通りにいることを確信する。
「大通りっ…!? ダメ、落ちる……!!」
ガシッ
「やっほー♪」
「落ち…ない?」
「落ちない落ちない、安心しなよ勇気ある少女。いや、夕月ちゃん」
落ちるかと思われた夕月の体は何者かに抱きとめられ、空中を移動していた。
飄々とした言葉遣いで夕月の不安を和らげるその人物は、夕月がさっきまで追っていた人影その人だった。
「っ、怪盗オニ!」
「『奇術師』、だよ。夕月ちゃん?」
オニは夕月の体を片手で抱き上げ、もう片方の手は小銃を握っている。
小銃の先から伸びるヒモは大通りの反対側の屋根まで届き、屋根の出っ張りに引っかかっていた。
「フゥーーー!!」
「うわぁぁぁ!!?」
そして2人は空中をブランコのようにスイング、地面に到達した。
「あ、ありがとう…」
夕月は目の前にヒラリと着地した、赤いマントに赤いスーツのような正装を着た少女に礼を言う。
【奇術師・オニ】。そう名乗る少女は、数年前から王都を騒がせる怪盗──泥棒で、王都にある貴族の邸宅や宝石商の店を狙って盗みを繰り返している。
しかし、何故か彼女は盗んだものを数時間後には、必ず持ち主の元に返すといったよく分からない窃盗をしている。
ラ・シーアに追われることも多いはずなのだが、5人全員に追いかけられても、毎回裏路地や建物、はたまた室内で天井を蹴り壁を蹴り逃げ切る程の身体能力を持つ。
「お礼はいいって。私を追い掛けてて怪我された〜なんて、後味悪いじゃない。だから──」
そう言ってニヤリと口角を上げたオニは夕月に手を差し伸べて、
「握手してくれたらチャラにしてあげる!」
ニッコリと笑顔を向けて夕月に言った。
「ホントにそんなのでいいの?」
「いーからいーから! ほらっ!」
半ば強引に、戸惑う夕月の手を取ってブンブンと握手。
「じゃ、私も仕事が終わったので帰らせて頂きま〜す」
満足気にヒラヒラと手を振ってオニが帰ろうとするが──
「はい、つーかまえた」
「およっ」
その首根っこをガシッと夕月が掴んだ。
「さぁ、今度こそ逃がさないわ。盗んだものを返しなさい!」
そう言ってニッコリと笑う夕月。しかしオニは余裕そうな表情を浮かべている。
「それはどうかな?」
「っ…どういう意味?」
目元を隠すように付けた仮面の奥からチラリと覗く、少し眦の上がった目に薄い眉は美人であるが、ニヤリと何かを企む顔は少々恐ろしさを感じる。
不穏な気配を感じ、マントから手を離そうとする夕月。
しかし──
「ん…あれ!? うっ、動けない!」
夕月は突然動かなくなった自身の体に驚愕し、オニを睨む。
オニは目を逸らし、知らぬ存ぜぬといった顔で口笛を吹いた。
「何をしたの!」
「【風檻】。夕月ちゃんの体の周りに小さな風を纏わせたの。顔だけは動かせるけどね。これで風が邪魔してしばらく動けな〜い♪」
「くっ…うぅぅぅ!!」
夕月は何とかして体を動かそうとする。しかし、多少動かせるものの、すぐ何かの力に押し返され、元の位置に体が来てしまう。
夕月は抗うことを諦め、オニを恨めしそうに睨みつけながら聞いた。
「…今度は何を盗んだのよ」
「貴族区に邸宅をお構えのスティルバーク家から宝石金品に現金を少々♪」
満足気な笑顔を浮かべながらオニは、どこから出したのか、ジャラジャラと音を立てる麻袋を取り出す。袋の膨らみから見ても少々とは程遠い量を盗んだようだ。
貴族区とは、王城近くの貴族達の邸宅が多く構えられた地区のことだろう。他の場所より比較的多いことから、俗にそう呼ばれているのを夕月は知っている。
「それ少々って言わないから!」
嫌味ったらしくオニが自分の顔に麻袋を近付けてきた為、夕月は袋に噛み付こうとした。
「おおっと! ダメだよ夕月ちゃん、私の獲物なんだから」
「スティルバークさんのものでしょ!」
「いいじゃんいいじゃん、どうせ数時間後には返ってくるんだからさ」
「あなたが盗んだお金だけ毎回返ってきてないでしょ!」
「それくらいは私の働き賃として許してね♪」
ヒョイヒョイと夕月の噛み付きを交わしつつも、懲りずに麻袋を近付けてくる赤いマントの少女。それに諦めずに喰らい付こうとする、体の固まった少女。
周囲から見れば奇怪すぎる光景に、通行人も何事かと目を丸くしながら通り過ぎて行く。
そんなことも気に留めず、2人の口論は続いていた。
「そろそろ夕月ちゃんもお仕事、行かなきゃいけないんじゃな〜い? もうお昼時だよ?」
満足した様子でニタニタと嫌味な笑みを浮かべながら、夕月に詰め寄るオニ。
「ぐっ…くっ、う、動け!」
「あはは、動かない動かない♪」
それにたじろぎ、再び体を動かそうと躍起になり出す夕月。
するとオニは身を翻し、
「じゃ、まったね〜♪」
そうして、まんまと夕月の目の前を歩き去っていった。
「次会ったら絶対捕まえてやるわ、覚悟しなさい!!」
そう放たれた宣言に、
「何の疑いもなく手を握るのはやめときなよ〜、魔術格仕掛けられても知らないよ?」
と、後ろ手で手を振り、そう返しながら。
「で、結局しばらく経つと動けるようになったから本部に来たと…」
「途中でギルベルトにも鏡で連絡してみたら、盗難報告と毎度の如く盗品返還の報告を聞いたわ…」
「まぁまぁ」
コーヒーカップを握りしめ、消沈する夕月を宥める月奈。
夕月は気を取り直し、壁に掛けられた時計を見ながら言った。
「それで、もうお昼だけど何か出来ることはある?」
「ああ、その事なんだけど…もうすぐ私達の出番が来るかもしれないわ」
「?」
月奈の含みのある言い方に、夕月は首を傾げる。
月奈はコーヒーカップを机に置き、傍に置いてある書類をめくる。
朝に咲と整理していた今日の分の依頼書である。
「さっき、咲が依頼で出かけたあとに、【八芒星占星術】で暇潰しに占ったんだけど、その時に──」
月奈は20枚程度あるその束の中から1枚を取りだし、机の上に置いた。
【八芒星占星術】とは高等占星術で、ほぼ起こると思われる未来が2つ観測される未来視の魔術である。そして実際に、観測された2つの未来のうちどちらかは実現するのだ。
つまり月奈は、この依頼書に書かれた内容に関することで何かが起こると言いたいのだろう。
「その時に?」
「王都で魔獣の上位種が暴れるか、誰かが魔術で大爆発を起こすって出たの」
バゴーン…
「「!!!」」
西の方で噴煙が上がったのが、窓から見えた。
机の上に置いてあるのは、迷子犬探しの依頼書だった。