20 開幕
受験生ゆえ、次話投稿を気長に待っていただけると幸いですと第20話です。
「うえっぷ」
悠依に背中を摩ってもらいながら、夕月は嗚咽を抑える。治療開始から30分、夕月の左腕は完全に繋がり、元通りに動かせるようになっていた。
しかし、問題が無いという訳でもなかった。
「夕月さん大丈夫…ですか?」
「なんとか…まだうにょっとした感覚が残ってるけど…おぇ」
治療中、夕月の肘はなんとも言えない気持ち悪い感覚で包まれた。
始めに2つの傷口の隙間にぶにょっとした何かが出来上がり、そこにうにょうにょと何かが満たされ、最終的には周りの肉体と何ら変わりない肘が完成した。
あの感覚を思い出せば、本当に何も変わりないのかと疑いたくなるが。
「いや〜初めてで吐かないのは大したもんだぁね〜」
濡らした布で手を拭きながら、終始おっとりと話すグマナの顔は、目を細めてニヤニヤと得意気だった。
夕月は足元に落ちたココの木の樹皮を拾い上げ、痛み止めの他にそういう意味での「噛んで」だったのかな、などと思う。
もう終わったことなので気にしても仕方がないが。半眼でそれを見つつ、近くのゴミ箱へ捨てた。
「夕月っ!」
「大丈夫か!?」
天幕の入り口から聞き慣れた2つの声が飛んできて、夕月は顔を上げる。
そこには月奈と燐、そして少し雰囲気の違う咲がいた。
「ん…?咲、何かあった?」
「おぉう、さすが感覚派……気付くのが早いねぇ」
素直に違和感を口にする夕月に、咲は狼狽え苦笑し、隣に立つ月奈は可笑しそうにふふっと笑った。
「関所門に向かっている時に燐に会ったの。そしたら夕月が腕を落とされたって聞いたから、合流しようってことになったのよ」
「それで、腕はどうなったんだ」
燐がスタスタと近付いて、元通りにくっ付いた夕月の左肘に触れる。触れられた感触も切り落とされる前と変わらず、軽いしこりを感じるだけだった。
「グマナさんのおかげで元通りよ。服が変になっちゃったけどね」
まだ制服を渡される前で良かったと思う。もし制服を着ていたら、縫って直すという訳にもいかない。
ふにふにと一通り夕月の肘を触り、燐は口を開く。
「そうか、なら…」
燐は語尾を濁し、夕月の目を見つめる。
燐が言わんとしていることは、容易に分かった。
「どうして兵士を斬らなかった?」
眉を八の字に、困惑した表情で上目遣いに燐は問う。
確かに、あの時親子を助けようと思えば幾らでも方法はあった。兵士を殺して、親子を助ける方法が。
夕月は少し言葉を選びつつ答える。
「別に殺すのを嫌って刀を捨てたわけじゃないの。ただ、どうしても殺してはいけない気がして」
殺すことに躊躇いは無い。
騎士団に志願した時点で、そういう事もあるだろうと覚悟していた。
だけど、あの兵士を見た時に殺すべきではないと感じたのだ。
「どうしても…と、言いますと?」
悠依の問いかけに、夕月はすぅっと息を吸って、静かに答える。
「目よ」
「…目?」
「あの兵士の目…怯えてた。強いものに怯える弱者の目──」
私はあの目を知っている。
路地裏でゴミを漁りながら生きていた頃に何度も見てきた。
万引きした店の店主に、追い詰められた子供の目と同じ感情が、兵士の目にも宿っていた。
「それが全員無理やり徴兵された人達だとしたら?」
夕月の感じた違和感の答えに、悠依と月奈も同意する。
「なるほど、道理で士気が低い訳ね」
「私もそこは不思議に思っていました。でも…それなら何となく分かるような気がしますね」
きっと「戦果を上げなければ殺す」などと言われているのだろうか。あの兵士は何かに必死だったように見えた。
しかし、それらは全部印象と憶測の域を出ないもので、事実は違うかも知れない。もしかしたら本当に自分から望んで兵となった可能性もあるのだ。
火事によって倒壊した建物に巻き込まれたヴァータ兵士に出会ったのは、5人ともそのようなことを考えていた時だった。
「おォい!誰かッ!助けてくれっ!!」
悲鳴に近い叫びを上げるその人は、ギルベルトの下へ急ぐ途中の大きな道で見つけた。
「どうしました!?」
「これは…」
5人が駆け寄ると、叫んでいた兵士は、瓦礫の下敷きになっている何かを引っ張っているようで、何度も大きく体を後ろに引いている。
その手が掴んでいたのは、胴が大きな梁の下にあり、うつ伏せになっている人間だった。気絶しているようで、兵士がかなり強く引っ張るのにも反応しない。
「おいおい…アタシでもこの梁は砕くのに苦労するよ……」
「不味い、火がそこまで来てるわね」
気絶した兵士を敷いている梁はかなり太く、息を呑んだ咲がギリギリ腕を回し切れるかといったところだ。
加えて、両端から徐々に火が梁を侵食し、兵士の体が燃えるのも時間の問題だろう。
「みんな、そこを退けろ」
「「え?」」
すると、後ろから燐の声が飛んでくる。4人が振り返ると、燐はガシャリとボルトハンドルを引いて、愛銃に弾を込めていた。
そのまま流れるように道に伏せ、気絶した兵士を狙う。正確には、その上に跨る梁を狙った。
「燐?」
何を始めるのか不思議そうに見ている夕月を気に留めず、燐はバン!バン!と2発梁を撃った。
バキッ!
すると、着弾点で弾丸が小さな爆発を起こし、兵士の体両側で梁が折れる。
「爆砕弾……」
「おお!これならなんとか持ち上げられそうだね。夕月、手伝って!」
「分かった!」
折れた梁はちょうど持ち上げられる位の大きさで、咲と夕月は両端を持ち上げる。そして少し隙間が出来ると、兵士は下敷きになっていた体を引き抜いた。
「おい!大丈夫か!!」
「あまり揺らさない方が……」
夕月の懸念も無視して、兵士が肩を掴んで激しく揺さぶっていると、タイミングよく気絶から回復した兵士が咳き込みながら口を開く。
「ゲホっ……まだ…中に……」
震える手で、先程まで下敷きになっていた梁のその先、元々その梁があった家だと思われる廃墟の中を指さした。
燃え盛る廃墟の屋根の半分は無く、上から下へ斜めに崩れている為、一見閉じ込められる隙はないように見えたが、よく見ると奥に扉が見えた。
「月奈さん!扉までの火を消せますか!」
「任せて!」
悠依の声に力強い返事をして、月奈は両腕を前に突き出す。
「マリューナス・オーガン・ヒュメェン・キルラーア!!」
掌辺りの空気が淡く光り出し、次の瞬間、激しい水音を立てて水流が噴射される。月奈は腕を動かし、管から水を出している要領で、悠依と扉の間の火を消火していく。
「これでどう?」
「十分です、少し行ってきます!」
そう言って悠依は扉へと駆ける。その手が取っ手に掛かるが、
「熱っ!?」
指先が触れ、悠依が弾かれたように手を離した。予想外の状況にキョトンとする悠依だが、取っ手を掴んで開けられないことを把握すると、すぐさまその長い足で扉を思い切り蹴った。
刹那、蹴破られた扉から爆発的に火が噴き出した。
「悠依っ!!?」
「何だ今の!」
離れてその様子を見ていた月奈と咲が叫ぶ。片足を上げていた悠依は回避する間もなく火に呑まれた──様に見えた。
「ふぅ…危ないところでした」
しかし、散らばった瓦礫をかき分けて扉から悠依が姿を現した。所々が煤け、服が焦げているものの、怪我は無いようだ。その傍らには、気絶したヴァータ兵士が悠依の肩に担がれている。
「良かった…無事なようね」
「えぇ、咄嗟に才能行使出来ていなかったら私もこの人も無事じゃなかったと思います」
そう言いつつ、悠依はそっとヴァータ兵を寝かせる。
「この方で間違いないですか?」
悠依が顔を上げて聞くと、気絶から回復した男は、
「あ、あぁ…」
と、安心した様子で頷いた。
その後数分で寝かせたヴァータ兵も目覚め、5人はその場を離れようと立ち上がる。
すると、後ろから最初の兵士の声がかかった。
「なぁ…!」
「ん?」
夕月達が振り返ると、3人のヴァータ兵は悲痛ながらも真剣な面持ちで、
「アンタら、この国の騎士さんだろ…?」
「確かに、そうだけど……」
「他の仲間は…殺したのか?」
と聞いた。夕月は首を横に振り、
「いいえ、全員峰打ちで済ませたわ。殺すなんて、そんなこと出来るわけないじゃない。だって──」
そこまで言ったところで、夕月は少し息をつく。
人によっては愚弄していると取られる言葉だろう。
だが、夕月の思っている事が正しいのなら、また違った答えが聞けるはず。
そう考えて、夕月はある事を口にした。
「貴方たち本当は…兵士じゃないんでしょ?」
戦場は、夕月達の想定よりも遥かに移動していた。
5人は西の王都関所門に向かう途中、ティルポッド大通りの終端でギルベルトの一団と合流した。
魔術師団の消火活動が間に合わないのか、火の手はさらに広がり、夜闇の中でもハッキリと戦況が分かる。
「…あまり喜ばしい状況じゃないようね」
「うむ、情けないことに、たった一人の騎士に押されているのだ」
開けた王城門の向こうから、ヴァータ兵士達が侵攻してくるのが見える。
5人とギルベルトは広場に集まった騎士たちの中央で体勢を立て直そうとしていた。
「たった1人の騎士…ですか」
「少し小さいが、見えるか?兵達の先頭に立つ純白の鎧だ」
「あれか」
身長の2倍はあるであろう白槍を構え、悠々と歩いてくるその騎士は、全身も純白の鎧で包み、顔は見えなかった。
「関所門での真正面のぶつかり合いの際に30人戦闘不能にさせられた。生半可な相手ではない」
現在広場とその周辺に集まっている騎士、衛兵の数は合わせて1200人程。中でも騎士は50人しか残っていない。他は避難や消火活動に出向いている。
「向こうの数は」
「およそ1500人だ…」
300人も向こうの方が多い。それを知っている為かギルベルトは悔しそうに唇を噛む。
だが、夕月達には勝算が見えていた。先の兵士から聞いた言葉も、その確信を強めさせた。
「大丈夫よ、ギルベルト。この戦い、上手くいけば兵士を退けた上に、あの騎士も捕えられるかも知れないわ」
月奈の言葉にギルベルトは俯いた顔を上げる。
「本当か?」
そう聞く彼の表情には戸惑いが見える。
月奈は念を押すように頷き、隣に座っていた夕月も立ち上がり、こう言った。
「ここに来る途中でヴァータ兵に会ったの。そしたら面白いことを聞けたわ」
「面白いこと…とは?」
その問い掛けに夕月はうっすらと口角を上げて、
「うん、それに基づくならあの兵士は戦力として数えなくても良さそうよ」
「それは本当か!」
「予想だけどギルベルト、さっきから兵士達とは戦ってないんじゃない?」
一瞬目を見開き、直ぐにハッとなりギルベルトは頷く。
夕月の予想は当たっていた。
「初めの衝突、その後2、3度正面からぶつかったが尽くあの騎士に阻まれ、兵士の1人にも触れることは出来なかったぞ」
それを聞いた夕月達はお互いの顔を見て、何やら腹蔵のある笑みを浮かべる。
ギルベルトにはそれが嬉しそうにも見えて、何か良案があるのかと思い質問をした。
「何やら作戦があるようだな?」
すると月奈がギルベルトに向き直り、力強い声音で言い放った。
「えぇ、まずは何手かに分かれて側面からアレを叩くわよ」
5人が考えた策は、騎士が即座に対応できない一団の側面へ回り込み、兵士を抑えて騎士を孤立させるというものだった。
「そして私達であの騎士を倒すの!」
自信あり、といった様子で小さくガッツポーズした夕月を見て、ギルベルトはふぅと息をついて、
「よし分かった、その案でいこう」
と言った。
「ハルマ!ケイ!大きく迂回して側面から──」
「あっ、ちょっと待って!」
早速騎士団員を配置につかせようと、副官を呼んだギルベルトに、夕月が待ったを掛けた。
「どうした?」
訝しげに夕月を見るギルベルトに、夕月は人差し指を立てて言う。
「その前に、みんなに1つお願いがあるの」
そう切り出す夕月の目は、強い意志を感じる気迫に満ちていた。




