12 一人になって、その後に
悠依の過去編最終章です。
泣いてもいいんだよ?と第12話です。
外に出ると、雨が降っている。土砂降りだった。
あの隠し通路は地下まで続き、そのまま離れた所の森へ繋がっていた。
始終暗闇だったので分からなかったが、随分と長い通路だったようだ。
屋敷から離れる時は夕暮れ時だったのが今はすっかり暗く、夜になっていた。
そこは小高い丘になっていて、頂上では周りの景色がよく見えそうである。
「お父様…お母様……」
未だ火に包まれた屋敷に取り残されているだろう両親を思い浮かべる。
「ウォルター……っ」
そして、忠義に生きた老執事の後ろ姿が脳裏に過ぎる。
丘に登ると、木々と同じ高さまで視点が上げられた。屋敷はどの方向だろう。真っ暗な中を進んでいたので方向が分からない。
すると、目の端に煌々と燃え盛る屋敷を捉えた。
「……っ」
土砂降りによって鎮火していないかと淡い期待を抱いていたが、それを嘲笑うように火の手は悠依が隠し通路に入った時よりも激しくなっていた。
悲痛な気分で眺めている、その時だった。
バァァァン!!!
激しい爆発音と共に、屋敷が爆散するのを悠依は見た。屋敷は無慈悲な威力に瞬く間に瓦礫にされ、屋敷の中央部分は虚しく崩れ去っていった。
「え……」
消え入りそうな声で漏らす。なんとも言えない悲哀が、どうにも出来ない絶望が、悠依の心を蝕んだ。
大丈夫、きっと会えると言った。必ず迎えに行くと答えた。お父様もお母様も、ウォルターもどうにか逃げ延びてくれているはずだ。悠依は思考を巡らし、そう考えようと努めた。
しかし、何度も、立て続けに悲惨な光景を見せ付けられた悠依の心は限界であった。
半開きになった口から、声が漏れ出た。
「うっ、う……うぅぅ」
泣くな、悠依。
思考を止めるな、ウォルターに怒られる。
ギュッと口を結び、涙を堪えようとしたが、もう止められない。
「あ…あぁぁ……」
堰を切ったように涙が溢れ、視界が歪み、崩れゆく屋敷も見えなくなった。
「あぁぁぁーーーーーーーーっっっっ」
天を仰ぎ、悠依はただひたすらに泣き叫ぶしかないのだった。
「封筒に入っていたのは、私を親戚に預けるといった旨が書かれた手紙と──お父様とお母様からの、手紙…でした……」
目を伏せて、沈痛な面持ちで悠依は話し終えた。夜風の吹くバルコニーで、月奈はその静かな語りを聞いていた。
「それは…辛かったわね」
「…はい」
月奈は席を立ち上がり、悠依の方へ近付く。そしてしゃがみ込んで、悠依の顔を覗いた。
悠依の目尻が少し濡れているように見える。
「今までずっと考えてきました」
「…?」
悠依は座る向きを変えて、横にしゃがんでいる月奈の方を向いてまた話し出した。目は合わない。
「いつも楽しく話してくださった皆さんは、心の中では私をどう思っていたのでしょう?」
領主の娘として、村人と会話する機会も多かったのかも知れない。話している時、悠依は楽しかったのだろう。村人もきっと楽しかったはずだ。
しかしヴァータ兵の悪魔の囁きによって、その関係は崩れ去った。恐らく村人達も家族を戦争から守りたい一心だったのだろう。理由が理由なだけに村人を責めることも出来ないが、その時悠依はどれほど傷付いたのか。
「……そうね」
何も言うことが出来ず、ただ月奈はそう呟く。悠依の声は震え、さらに言葉を重ねた。
「どうして私のせいでお父様は、お母様は、ウォルターは………死んでしまったのでしょう?」
悠依の目に涙が浮かび、ポロポロと彼女の膝に落ちる。今まで溜め込んできた感情が、抱え込んできた悩みが噴出し、悠依は引き絞るように声を出す。
「あの時私が死ねば……あの時私がいなければ……」
そしてとうとう我慢出来なくなり、叫ぶ。その瞬間。
「私が生まれなければ───」
月奈は堪らず悠依を抱きしめた。がばと立ち上がり、両腕を彼女の首に回して体ごと引き寄せる。突然の行動に、悠依は目を見開いて繋ぐ言葉を失った。
「…!!」
月奈の薄い胸に真正面から抱きとめられ、思わず悠依は身動ぎする。
「月奈さん…ちょっと鼻が痛いです……」
「悠依、それは宣戦布告よ」
「あっはい…」
月奈は悠依の頭を横に向かせ、抱き直す。背中を摩る左手に伝わる拍動の感触は、バクバクバクと少し早かった。
右手で悠依の頭を撫でながら苦笑いして、
「バカね。そんなこと、1人で抱え込むものじゃないの」
と、諌めるように言う。悠依は申し訳なさそうに、
「すみません……」
とだけ言う。動揺も落ち着き、呼吸が穏やかになったようなので、月奈は悠依を自分の方に向かせた。
悠依の顔を見て、月奈は微笑む。
「ふふっ、やっと目が合った」
初めて会った時から1度も合わせてくれなかった。睨まれた時も、目は顔より下を見ていた。
悠依の目を真っ直ぐに見るのは、これが初めてだ。
「……そう、ですね」
「別に責めてるわけじゃないのよ?深い青色の目だなぁって」
初めて見た悠依の目は、綺麗な紺碧色の目をしていた。なかなか珍しい色だった。
「母親譲りなんです。ほとんどお父様に似ているけど、目だけはお母様に似ているってよく言われました」
整った顔立ちに、珍しい紺碧の目は被り物をしても美人がバレそうなほど綺麗だった。
「それよりも美人ってよく言われない?」
「それもよく言われます」
「むむむ……」
名家育ちということで、散々他の家のお嬢様を見てきて目の肥えた月奈を唸らせる程に。月奈は口を尖らせて、恨めしそうに悠依を見る。
悠依は困り顔をして、
「そ、そんな目で見られましても……月奈さんも十分可愛いですよ?」
「う〜む……それでも他人の方が綺麗に見えたりするじゃない?」
月奈はふぅ、と息をつき、もう1度悠依の頭を撫でた。後ろで1本に纏められた長い髪は手櫛でもスルスルと通った。やはりちょっと羨ましいぞ。
「…ん」
「悠依」
優しい声で名前を呼ばれる。
ここまで穏やかな気持ちになれたのはいつぶりだろうか。
思えば2年前のあの時から、1度も心が休まることなんて無かったかもしれない。
「なんでしょうか」
「お疲れ様」
それは短くて、それだけだと何を指しているのか分からなかった。でも、それだけで悠依には充分だった。
初めて親戚の家に預けられた時から、常に冷たい目で見られた。
あの領民と同じくヴァータ国を恐れる友人に、たった数日で別のところに預けられたこともあった。
「…はい」
「これからもよろしくね」
お父様の学友だったというグレイ様の所へ預けられ、2人の少女に自分を紹介された時、同い年であると知って悠依は少し安堵していた。
しかし、自分だけ生きていて良いのだろうか。自分だけ幸せになって恨まれないだろうか。……彼女達もまた私の【才能】を知って離れないだろうか。
「……はい」
「まだまだ大変な事は沢山あるし、仕事もこれからどんどん来るんだろうけど──」
いつしか、お父様の「生きろ」という願いは、自分の中で「業を背負え」という呪縛に変わっていたのかも知れない。
勘違いしていたのだ。お父様もお母様もウォルターも、私が幸せになって恨むことなんて絶対に無かった。むしろあの3人なら諸手を挙げて喜ぶだろう。
だから。
「悠依、辛い時は私達がいるわ」
その言葉で、さっきので枯れたと思った涙がまた溢れてきた。
お父様、お母様、ウォルター。私は2年間全く幸せではありませんでした。
だから──これから目一杯幸せになろうと思います。
泣きながらも精一杯笑顔を見せる。目の前の少女は、目じりを下げて微笑んでいた。
「……っっ、はいっ」
だから──これからも、生きていきます。
夜風が少女の泣き声を月の夜空に流す。2度目の心の底からの涙は、少女が泣き疲れて寝入るまで続いた。
チュンチュンと鳥の鳴き声の心地よい朝、悠依は朝食当番に当たっていた。
ギィ、ギィと階段の軋む音を立てて寝巻き姿の咲が居間に降りてきた。欠伸をしながらお腹を掻いている。
「おはよ〜」
まだ眠そうな咲の声に、悠依がにこやかに返した。
「おはようございます、咲さん」
……一瞬時間が止まった。咲は目を見開き、悠依は不思議そうに首を傾げる。
それもそうだろう。1度寝て起きたら昨日は暗かった人物が今日は明るくなっているのだ、驚くなと言う方が無理がある。
悠依は料理を再開する。謎の居心地の悪さを感じた咲が、居間の長椅子に座っていた月奈の傍にやって来た。
「あら、珍しい」
少々皮肉を込めてみたが、それどころではないくらい動揺しているらしい。
「いや、あんだけ真っ直ぐ目ぇ見られたら落ち着かないじゃん……」
野生の動物かと突っ込みたくなったが、さすがにそれは怒りそうなので口を閉じる。そんな月奈の様子も気付かずに小声で咲が聞いてくる。
「なぁ、なんか悠依おかしくねぇ?」
ニヤけそうな口元を読んでいた本で隠し、月奈は澄まし顔で、
「さぁ?何かいいことでもあったんじゃないかしら?」
それでも咲は納得出来ない様子で、怪訝な目で悠依の背中を見つつ「う〜ん?」とか言っている。
可笑しくなって、月奈は本を目の前のテーブルに置き、振り返った。
「悠依、今日の朝ご飯は何かしら?」
悠依は料理掛けをはためかせて振り返り、笑う。
「今日は卵焼きとマロメクの樹皮で香り付けした麦餅です!」
爽快感のある香りが台所から漂ってくる。思わず月奈の口元は綻んだ。
全く、今日はいい朝食の席になりそうだ。




