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旧作・駄作・ほぼ没

覚え書き・読書とは何か

作者: 住友


小説で商売しようとする時、

作家にはいかなる態度が求められるか。

それを知るにはまず読書という行為が

商業行為とは本来無縁なものであるということを

先んじて理解しておかなければならない。


今日読書の本質が

ないがしろにされているということの

実例の一つとして

「読者はお金を払う立場」とか

「どんな風に読もうと読者の自由」

とかいう言葉が書き手の心得として

あちこちで説かれていることが挙げうる。

この『心得』は例えば

最もくだらない種類の出版物である

『作家になれる小説の書き方』云々といった

題の書籍には決まって登場するし、

ネットでも似たような題を掲げたサイトや

スレッド等至るところで語られているのを

見つけることができる。

皆それを目にするやいなや納得し恭順し

同調して今度は自らそれを口にし

自分が読者の側になった時

お客様ご主人様のような読者になる訳だが、

このような『心得』は

技術開発のモデル計算の世界にある

『garbage in, garbage out

(間違った情報を入力すると

間違った結果が出る)』

という言葉の通りその成立の

前提からして誤解に満ちたものである。


そもそも読者はお客様ではない。

本を読む者は本に対して

敬意と畏怖の念を払い、

またそうできる本にのみ接するべきである。

そう考えるのは断じて私の傲慢ではない。

傲慢だと思えるのは

『読書とは何か』ということについて

全くの無知であるからに他ならない。


読書とは何か?

読書とは人間の価値を知るという本能を

鍛えること、

よって精神活動の根源に直接に関係するもの、

頭脳の最奥を揺るがすもの、

ある方の言葉を借りれば

『魂を揺さぶるもの』である!

また、読書とは

優れた天才の精神に接近し、

その精神と対話することで

ものの見方人生の見方をその根幹から

引っくり返してしまうような

高い視点を得る行為である。


「私は健全なものを古典的(クラシック)

病的なものをロマンティックと呼びたい。

そうするとホメロスもニーベルンゲンも

クラシックということなる。

何故なら二つとも健康で力強いからだ。

古代のものがクラシックであるのは

それが古いからではなく

力強く、新鮮で、明るく、健康だからだよ。」

(エッカーマン『ゲーテとの対話』

1829年4月2日 木曜日)


「常に読書のために一定の短い時間をとって、

その間は、比類なく卓越した精神の持ち主、

すなわち

あらゆる時代、あらゆる民族の

生んだ天才の作品だけを

熟読すべきである。」

「精神のための清涼剤としては

ギリシア、ローマの古典に

まさるものはない。」

(ショーペンハウアー『読書について』)


「この世紀(19世紀)のもので

後世に残るであろう書物、

この世紀を越えて彼方へと

達する二、三の優れた書物、

――私が考えているのは

ナポレオンのセント・ヘレナにおける回想録と

ゲーテのエッカーマンとの対話である。」

(ニーチェ『生成の無垢』)


「……私が古典教育の結実を

信ずることがあるとすれば、

それは例えば汽車に乗った時に

1000人中1人でも旅行者がポケットから、

ツキジデスの小型本やウェルギリウス

(バージルという呼び名で有名)の

愛蔵版を取り出し、

――新聞や推理小説の類いを

踏みつけて――

読み耽るのを目にした時でしょう。」

(ポール・ヴァレリー 『精神の危機』)


古典文学は優れた本である。

いや、

優れた本とは古典のことである。

では何故古典がこの世に存在するのか?

何のために?

何のために書かれるのか!?

答えは至極明快、

優れていない本など本ではないのだ!


古典に表される強靭な知性は

それに触れる者の思考や判断を

吟味し尽くし批判し尽くし

徹底的な反省を促す。

それが古典が生きた本である

ということの意味であり

古典が力強くて健康だということの

意味である。

それに反して


恋や戦いや出世や犯罪を

疑似体験させて

満足させるための物語小説、


雑多な、ばらばらとした

知識を寄せ集め

賢くなったと錯覚させる

雑学本、新書、新聞、

パンフレット、

学習漫画形式の出版物、


人生の改革を唱って

ただちに勇気づくような言葉、

慰めるような言葉、

前向きになるのに

都合の良い知識ばかりを

提示する自己啓発・ハウツー物。


これら本質的に暇つぶし・

時間つぶしのための出版物は

読者の貴重な人生の時間を

浪費させるという点において

はっきり犯罪の凶器の一種として

数えられるべきものである。

「これらの出版物の寿命は一年である。」

(ショーペンハウアー『読書について』)


以上のことを踏まえた上で初めて

完全な作家のビジネスビジョンを

描くことができる。

一見商業主義の真逆を行くような

『古典主義』が完膚なき商業的成功を

収めるとはどういうことか。

それはどのような形で達成されるのか。

その第一条件は

作品が展開していく各媒体・

各メディアとの親和性が高い

『素材』を巧みに活用し

古典の『形式』を守りつつ

作品の中に織り込んでいくということである……



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