9.言われたとおりに
「ねえ、本当にいいの?」
花婿の家を飛び出した後、ジュリエッタとコルガーは花嫁奪還に沸き立つ〈白鳥〉陣営に迎えられ、町内会に代々伝わる由緒ある輿に担ぎ上げられて街を練り歩いた。トマトとオレンジの投げ合いは終わり、戦いに敗れた〈鹿角〉陣営は余ったトマトを台車に乗せてとぼとぼと自陣に引き上げ、勝った〈白鳥〉陣営は名産のワインを広場に持ち寄り、月の下で祝勝会を始めた。
「いいも悪いも、もう逃げて来ちゃったもの」
ジュリエッタはお祭り騒ぎに加わらず、広場の隅に建てられた櫓の上でぼんやりと祝勝会の様子を眺めていた。トマトやオレンジで汚れないよう花嫁衣装はすでに脱いでいるが、華やかな化粧や編み込んだ髪はそのままだ。望み通り婚約が破談となり自由の身となったにも関わらずどうしてか不愉快な気分だった。
「それに、いいに決まってるじゃない!これで晴れて私とマルコの婚約は白紙よ」
「本当はあいつのこと好きなんじゃないの?」
コルガーはワインのビンを手にジュリエッタの隣に立って意地悪く微笑んだ。
「な、何言ってるのよ!」
ジュリエッタはトマトのように赤くなった。
「ちゃんとプロポーズしてくれないから、ヘソ曲げてんだろ?本当は結婚だってまんざらでもなかったのに」
図星だった。
「……あなた、性格悪いわ」
ジュリエッタは真っ赤な頬を膨らませて、広場の中央で浮かれて踊る父親の姿を睨んだ。
「たとえ親同士が決めた結婚でも、もしもマルコが少しでも私と結婚したいと思ってくれてるなら、私はきちんとプロポーズしてもらって今日を迎えたかったわ。マルコが私のこと少しも好きじゃないなら、親に反抗して欲しかった。プロポーズしてくれず、私のことを好きでもなく、親の言いなりで結婚しようとするような男なんて、たとえマルコでも絶対に嫌」
「だってさ、マルコくん」
ジュリエッタの背後で男の声が聞こえた。振り返るとギーヴが立っていて、その後ろにマルコがいた。
「何よ」
ジュリエッタはいつも通り落ち着いた表情のマルコに失望した。
「もう少し落ち込んでるかと思ったのに」
マルコも親の決めた相手と結婚せずに済んでほっとしているのかもしれない。ジュリエッタは彼を恨めしい気持ちで睨んだ。
「がっかりしてるよ。君が僕との婚約を破談にするためにこんな助っ人まで頼んでたなんて、もちろん残念で仕方ないよ。僕はいつか君と結婚したいって子供の頃からずっと思ってたから」
ジュリエッタは言葉もなく固まった。口をぱくぱくさせる幼なじみの少女を見てマルコは愉快そうに笑った。
「白馬には乗れないし、王子でもないけど」
マルコがジュリエッタの足下に跪く。
「ジュリエッタ、僕と結婚してほしい」
ジュリエッタは助けを求めてコルガーの姿を探したが、いつの間にかコルガーもギーヴも櫓の上から消えていた。ジュリエッタは大きく深呼吸すると彼女を見上げるマルコを見返した。明るい月光に照らされた求婚者の白い顔は静かな決意に満ちていた。
「……言ったでしょ?ちゃんと愛を囁いて、キスして抱きしめて」
マルコは小さく苦笑して、それから愛する人に言われたとおりにした。