5.旅人たちの再会
夕食の時間に遅れたら母親に怒られると言ってジュリエッタが帰宅すると、コルガーとギーヴはカフェを出て昨夜から泊まっている宿屋へ向かって夕暮れの薄闇の中を並んで歩き始めた。群青色に染まるメディチーナの町は祭りの準備に浮き足だっているようで、あちこちの街路樹に〈鹿角〉や〈白鳥〉の町内会の旗が掲揚され、その下を沢山の人や荷物を載せた馬車や荷車が行き交っている。四十年ぶりの奇祭を見物に訪れた旅人の姿も多く、宿泊先を探し歩く旅装の老若男女とも幾度となくすれ違った。
「あいつらも、そろそろ到着する頃かな?」
この町で待ち合わせをしている仲間が、ひょっとしたら宿屋に着いているかもしれない。コルガーとギーヴは二年前に別れたきりの彼らのことを思い出し、小さく微笑みあう。
「そうだね、もらった手紙には祭りの一週間前には着くようにするって書いてあったものね」
小綺麗な宿がいくつか並んでいる小さな広場にさしかかった二人は、噴水の淵に腰掛けた二人組の姿に足を止めた。そこにはちょうど頭に思い描いていた懐かしい顔が二つ並んでいた。
「ヨイク!ユアン!」
コルガーが叫んで駆け寄ると、二人は噴水の淵から飛び降りて彼女の細い体を抱きしめた。
「コルガー!元気そうでよかったわ!相変わらず小さいけど!」
ヨイク――背の高い黒髪碧眼の女性がコルガーの短い髪を撫でまわして笑う。
「ヨイクは変わったね、髪、染めてるの?」
「私たち、一応お尋ね者だからね。服もこんなのばっかりよ」
ヨイクは自分の着ている茶色っぽい旅装を指して眉を下げる。かつて美しく波打っていた長い金髪を黒く染めて一つに束ね、男ものの旅装をまとった彼女の姿はギーヴもコルガーも見たことがなかった。
「猊下も、久しぶり。手紙ありがとね。いい顔してるじゃない、エディンバラで初めて会った時の猊下からは想像できないくらい、生きることを謳歌してるように見えるわ」
ヨイクに賞賛され、ギーヴは頬を染めた。彼女はギーヴが不自由な生活を強いられていた頃のことを知っているのだ。
「君たちの活躍には負けるよ。今、エディンバラ教会は大混乱だよ。君たちは文字通り、教会の闇に光を当てたんだ。ずっとずっと、俺たちが、マキシムやアンジェラが望んでいた世界だ。リプトン君も、ありがとう」
ギーヴはそう言ってユアン――長めの黒髪を後方に撫でつけ、立派な仕立ての白シャツに茶のベストを着た男に右手を差し出した。
「猊下のご協力があってのことですし、おれは欲深な書籍商ですから、お陰様でしっかり儲けていますよ」
ヨイクは著名な民話学者、ユアンは彼女の書いた本を世界中に売りさばく書籍商である。四人は二年前に共に旅をし、ヨイクはエディンバラ教会に迫害された人々から証言を得て教会の罪を世間に知らしめた。ヨイクの本は飛ぶように売れ、教会は彼女の本を置く本屋や購入者を厳しく取り締まったが、それでも増刷に次ぐ増刷はしばらく止まらなかった。現在エディンバラ教会は混乱のただ中にあるが、教会の教えを拠り所として暮らしてきた人々の暮らしは意外にも何も変わらなかった。ロンドンタイムズに寄稿した文章の中でヨイクはそれを人のたくましさと評した。
「年明けにヒベルニアからこっちに戻ってきてからずっとコソコソ生活してたの。いい加減、退屈で仕方なかったから、すっごく楽しみだわ、アランシア・エ・ポモドーロ!トマトだかオレンジだかを、投げて投げて投げまくるわよ!あ、私はちゃんと男装するからね!」
ヨイクが拳を振り上げて破顔すると、ユアンもにやりと片頬を上げる。祭りに参加できるのは十五歳以上の男子だけなのだ。
「日頃の鬱憤晴らしと奇祭の取材、一石二鳥だな」
息巻くヨイクとユアンに、ギーヴとコルガーは顔を見合わせた。
「実は色々あって、オレたち、〈白鳥〉の味方をすることになったんだよね。〈鹿角〉へ嫁ぐ女の子に協力を頼まれてさ」
コルガーは宿屋に向かって歩きながらジュリエッタの事情と彼女から聞いた祭り当日の流れをヨイクとユアンに説明した。
「なるほどね、面白そうじゃない。私も〈白鳥〉側に付くわ。ユアンはどうする?」
四人は宿屋の食堂の席に着き、各々好きなものを注文した。すぐに運ばれてきたワイングラスを傾けながらヨイクが問いかけると、ユアンは困ったように片眉をひそめた。
「おれだけ〈鹿角〉側に付くわけにもいかないだろう」
「あら、たまには真剣に戦ってみるのも一興かと思ったけど、ま、いいわ。で、〈白鳥〉はトマトを投げる方?それともオレンジ?」
同じくワインに舌鼓を打ちつつ、コルガーが答える。
「オレンジだよ。完熟して柔らかくなってるけど、安全のために少しつぶしてから投げるのがルールだってさ」
八月三十一日、〈白鳥〉陣営は午後二時に市庁舎のある大広場で決起集会を行い、一路ポポロ広場を目指す。今回、〈白鳥〉陣営は劣勢だが、それでも祭りが成立するよう両陣営のバランスはある程度とられるという。大広場にはメディチーナの男のおおよそ半数が集まると言って間違いない。
〈鹿角〉と〈白鳥〉の町境にあるポポロ広場で両軍は合間見える。午後三時の鐘が鳴ると同時に戦いが始まるのだ。
祭りにはいくつかルールがある。まず、完熟した作物を使用すること。また、それを軽くつぶしてから投げること。万が一、青い実をつぶさずに投げ、相手の急所に当たれば怪我をする。大事に至らなかったとしても痛い。これは絶対のルールである。
また、青い頭巾をかぶった非戦闘員やうっかり通りすがった女性や子供に攻撃した者や家屋や街路樹を傷つけた者は住宅の窓からトマトの集中砲火を浴びる。二階、三階の窓から祭りを見ている〈鹿角〉の女性や子供たちが監視員なのだ。
「君たち、楽しんでおいでよ、俺は女の人や子供たちと一緒に高見の見物してるからさ」
ギーヴが甘いオレンジジュースに口をつけて微笑む。この町のオレンジジュースにすっかり取り憑かれてしまっているようだ。
「えー!猊下は参加しないの?一緒に戦おうよー!」
「こういうのは昔から不得意なんだよねえ。俺、こう見えてもう百十歳だしね?それに――」
不満そうに唇をとがらせるコルガーの瞳を覗き込み、ギーヴは恋人の手に自分のそれを重ねる。
「その方が君の勇姿を目に焼きつけられるしね」
コルガーが頬を赤らめてうつむく。ヨイクとユアンはそっと視線を交わし、どちらからともなく生ぬるい笑みを浮かべた。