1.父親たちの陰謀
物語の後半部ですが、脇役として「ヒベルニアの極光」の登場人物が登場します。未読の方がポカンとしてしまう部分が若干あるかと思いますが流していただければ幸甚です。
ある年の八月一日の夜、メディチーナの市庁舎にほど近い大衆酒場で、二人の父親が酒を飲んでいた。時刻は閉店間際で二人とも既に出来上がっている。
「こんな大豊作、何十年ぶり、いや何百年ぶりなんだろうなあ。作物が取れ過ぎて困るなんて聞いたことがねえ」
ジュリエッタの父親はそう言って杯を傾けてメディチーナ名産のワインを飲み干す。大都市ローマの近隣ながら果樹園や野菜畑が町を囲んでいるため安くて上質なワインがこの地方の特産品だ。数年前から二人が共同経営しているのもワインの醸造会社である。
「最近じゃ野菜も果物も価格が暴落してタダ同然で叩き売られてるやがる、これは少しばかり非常事態といえるんじゃねえのか?」
口元をぬぐいつつジュリエッタの父親がワインのボトルを差し出すと、右隣に座るマルコの父親は困ったように肩をすくめて微笑んだ。
「まあな。でも飢饉よりマシさ。二年前の大飢饉の時と比べれば大騒ぎするほどのことじゃない。もちろん、精魂込めて作った作物がほとんど現金にならない農家さんは気の毒だがね。さて、おれはそろそろ帰るとするよ。世の非常事態より、女房の方が恐ろしいんでね、おまえもほどほどにしておけよ」
マルコの父親はそう言いながらポケットから小銭を取り出してふらふらと席を立った。それでも本人は素面のつもりだ。
「おい、待て。本題はこれからだってえのに」
「本題?そういえば、話があるって言っていたな。早くしてくれ、門限を過ぎると女房に小遣いを減らされる。まさに大英帝国と植民地アメリカのごとき関係さ」
今月の目標を「恐妻を怒らせない」としているマルコの父親は迷惑そうに眉間にしわを寄せ、幼馴染みの隣にもう一度腰を下ろした。ジュリエッタの父親は鋭い目つきで悪友を見つめ、にっと笑った。
「単刀直入に言うぜ。なあ、こんな大豊作の年に“祭り”をやらずにいられるか?」
「……祭りって、まさか、あの祭りか?でも、あれはおまえのとこの町内会からうちの町内会へ嫁入りがあった年にだけやる祭りだろう。豊作だからやるというものじゃない」
「だが十年前にその嫁入りがあった時は不作で祭りが中止になっちまっただろ。その何年か前の時もそうだ。おかげでもう四十年も祭りをやってねえ。なあ、四十年前のこと、覚えてるか?おれは後にも先にもあれほど悔しいことはなかった。だって、思い出してみろよ、あの日、家のベランダから見下ろした祭りの熱気をよお」
二人は薄暗い酒場の隅で子供時代の切ない思い出を噛み締め、しみじみと頷き合う。
祭りに参加できるのは15歳以上の男子だけだ。当時、彼らは14歳と11ヶ月の少年で、涙を飲んで祭りの参加を諦めたが、同い年で誕生日の早い友人たちは祭りを謳歌していた。二人はその様子を、母や姉とともに自宅のベランダから眺めていた。
「確かにあれは悔しかった。たった一ヶ月遅く生まれただけで、おれたちは祭りに参加できなかったんだ」
「そうだろう?そこでだ、おれはあの悔しさを晴らす方法を思いついたんだ」
「どんな悪だくみだ?」
二人は額を寄せ合い、声を潜めた。
「おまえんとこのマルコはいくつになった?」
マルコの父親は訝しんで首をかしげた。
「来月で十八歳だ。ジュリエッタちゃんのふたつ上なんだからおまえも知ってるだろ」
「そう、うちの末娘のジュリエッタはこの夏で十六歳になった。なあ、どうだ?」
マルコの父親は目を瞬いた。
「どうって?」
「いい釣り合いだと思わないか?」
「おいおい、まさか、おまえ」
「いいじゃねえか、それともうちのジュリエッタじゃ不服か?」
「とんでもない!ジュリエッタちゃんならうちの女房も文句なしに大歓迎だろうよ。だけど、おまえ、本人たちが何て言うか」
「うるせえ、おれは祭りがやりたいんだい!そのためにうちのジュリエッタを嫁にやる!本人たちには内緒で町内会長に報告しちまえばこっちのもんだ!」
「あのな、無茶苦茶なこと言ってるって分かってるか?あの二人、確かに仲はいいが決して男女のそれじゃないと思うぞ。勝手なことするとジュリエッタちゃんに恨まれる」
「だって次にいつチャンスが巡ってくるか分からないんだぞ!少なくとも、こんな大豊作はおれたちが生きている間には二度とない!」
「だからっておまえ、あの子は大事な末娘だろ?」
「じゃあ、おまえは祭りをやらずに死ねるのか?!このメディチーナに生まれた男子が、祭りをやらずに死ねるっていうのか?!」
マルコの父親の両眼が光った。
「死ねん!!」
「縁談成立!!」
「若い二人と祭りに乾杯!」
こうしてジュリエッタとマルコの縁組は決まり、祭りの準備が始まったのであった。