第二章 ツッコミがキツい人魚姫④
昼食は、妹のプール帰りに食べようと作っておいたお弁当をメインに、昨日の食べ残しの何品かを追加して、ついでに味噌汁と野菜炒めを作ることにした。僕がネギと豆腐の味噌汁の準備をする間に、妹には昨日の残りものの唐揚げをチンしてもらうことにする。
「ごめんな。手伝いたいけど、あたし、どうも火は苦手で……」
ユリネラは居間から怖々と台所のコンロを覗いていた。なるほど、海で暮らす人魚には火は見慣れないものなのかもしれない。
――なんだか、だんだんと人魚の存在に疑問を持たなくなりつつある自分が少し怖い。
「そういえば、アリアラは滞在中、結構料理手伝ってくれたけど……どうして平気だったんだろう?」
「そりゃあ、アンタの役に立ちたいって、頑張って火を克服した姉さんの真心だろ。察しろよ!」
「す、すすすすすみません……」
青い目でギロリと睨み付けてくるユリネラに、僕は首を竦めて平謝りするしかなかった。
「姉さんはよく料理手伝ってたのか?」
「そうだよー」
ユリネラの質問に妹が答えた。
「お兄ちゃんがお料理してるとねー、アリアラお姉ちゃんがね、お兄ちゃんのそばに寄ってってねー、手伝いますって書いた紙を見せるの」
台に乗り、ラップした唐揚げを電子レンジに入れながら、妹は言った。
「そうしたらお兄ちゃんはねー、最初の日は『いいから座ってて』とか言ってたんだけど。二日目からは『じゃあ、悪いけど、料理はお願い』って。『僕は掃除してくる』とか、『洗濯物畳んでくる』とか言って、どっか行っちゃてたよー」
妹の証言を聞いて、ユリネラは愕然とした表情になる。
「マジかよ。姉さん、雅と一緒に楽しく料理したいと思って話しかけたんだろうに。雅のやつ、鈍感すぎ。最っ低ー」
「最っ低ー」
なんか、女子二人の言葉が心にグサグサ刺さって来るんですけど、やっぱり僕が悪いの……?
「玲はあんなんじゃなくて、もっと気の利く男を捕まえないとダメだからな!」
「うん。わかったー」
いいですよ、いいですよ。それで妹が幸せになれるなら大歓迎ですよ。
僕が涙を呑んでいる間に、妹はポテトサラダを冷蔵庫から取り出し、危なっかしい足取りで居間に運んでいく。ユリネラはそれを受け取ってちゃぶ台に並べた。貰い物の漬け物や佃煮も、居間で妹と一緒に皿に盛って用意してくれた。
きゃいきゃいと楽しそうに騒ぐ女子二人を横目に見ながら、僕は味噌汁用に煮干しで出汁をとりつつ、ネギを刻む。ついで、近所の方から頂いたナスとピーマンを切り、フライパンに油を引いて軽く炒め、挽き肉も加えて塩コショウ。ジュウジュウといい音が台所に響く中、味見をしながら調味料を加える。妹が食べやすいように甘めの味付けにした。
大皿に野菜炒めを盛って居間に持っていくと、クンクンとにおいを嗅ぎながらユリネラが寄ってきた。
「結構ちゃんと作ってんだな、雅は」
「休みの日は時間があるから。時間がないとだしの素とか、レトルトとかも使うよ。今日のお弁当も冷凍食品を使ってるし」
僕は答えながら台所に戻り、味噌汁用の鍋から煮干しを取り出し、ネギをいれた。
「ふーん。でも、すげえな」
「ありがとう」
鍋の上で豆腐を切り入れ、味噌を溶かす。ちょっとの間コトコト弱火にかけて完成。僕と妹の分はいつもの決まった器、ユリネラの分はお客様用の器に味噌汁をあけた。お父さん達の器は食器棚の奥にしまったまま、この二年使ったことはない。
湯気の立つ味噌汁を持っていくと、ユリネラは珍しそうにマジマジと見つめた。
「へー、これが味噌汁ってやつか、へー」
箸を配り、「いただきます」の挨拶をして食べ始める。ユリネラは、箸は苦手そうだったけど、僕らの使い方を見ながら拙いながらも頑張って味噌汁の具を掴んでいた。
「うめー! 味噌汁ってうめーな!」
ユリネラは青い目を細めて笑った。お弁当のタコさんウインナーや卵焼き、小振りのカニクリームコロッケ、大皿の野菜炒めや唐揚げを、ぎこちない動作で箸を操りながら、どんどん頬張っていく。作った者にとっては嬉しい光景だった。
「これがおにぎりってやつ? これは手掴みでいいんだっけ?」
「うん。お好きにどうぞ」
「わーい!」
ニコニコしながら子供みたいに大きな口を開けておにぎりにかぶりつくユリネラを見ていると、なんだか幸せな気分になる。僕も自然と笑顔になった。再び箸を握って味噌汁の豆腐と格闘するユリネラを見ながら、ふと疑問が湧いたので訊いてみる。
「ユリネラもアリアラも日本語とか日本文化に詳しいよね。ユリネラは仏壇の作法を知っていたし、アリアラは天ぷらとかちらし寿司とか作ってくれたんだよ。どうしてそんなに、僕らの文化を知ってるの?」
僕の言葉を聞いた途端、それまでご機嫌だったユリネラが、半分呆れたような顔になってジトリとした目つきで僕を見た。
「だから。姉さんの場合は、好きな男のそばにいたいがために頑張って勉強した、健気な女の成果だろうが」
「そ、そ、そうですよね……すみません……」
「あの人間になる薬を作った魔女、あの人が色々知ってるから、姉さんは日本文化について授業を受けてたんだよ。真珠だの金塊だの手に入れて、授業料として魔女に渡してた」
「へえ、すごいね」
「そこまで努力してアピールしたのに、誰かさんには全然気付いてもらえなかったけどな」
「すみません……」
もう平伏して謝罪するしかない。僕は本当にアリアラの心に気づいてなかったんだ。しかも、実のところ、今もその実感がなくて、ユリネラの言うことに対していまいちピンと来ない。怒られそうだから言えないけど……。
「アリアラが努力してたのはわかるけど、ユリネラは? ユリネラも日本のこと詳しいし、日本語うまいよね」
「あたしは、別に……。姉さんの自宅学習に付き合わされたせいで、ちょいちょい覚えちまっただけだ。雅達のことは、えっと……情報屋のイルカに伝手があったから、色々聞いた。個人情報を勝手に探ったのは悪かったよ」
ぶっきらぼうにそう言うと、ユリネラは難しい顔をして頭を下げた。
「日本語は変な癖がついちまったみてーだし、バカだから文字は覚えられなかったけど」
「十分すごいと思うよ」
「ほ、褒めてもなんにもでねーから!」
顔を赤くして僅かに俯くユリネラは、なんだか子供みたいで微笑ましかった。
「仏壇の作法は、お前のところの事情を知って、ここに来る直前に調べたんだ。魔女はいけ好かねえからよ、長老亀のじいさんに聞いてきた。まあ、あのじいさんも、ほとんどの時間寝てるし、起きたら起きたで説教してくるし、面倒くせーんだけど。魔女よりはマシだ」
「へー」
義理堅いユリネラに僕は感心する。唐揚げをつまんでいた妹は、目をキラキラさせてユリネラの話を聞いていた。
「海の中にはいろんな人がいるんだねー」
「おお。イカの怪物クラーケンもいるし、人魚と違って頭が魚な半魚人も見かけたことあっし。そういや、幽霊船てえの? 朽ちかけたボロボロの船が骸骨の海賊を乗せてるのも見たことあんな」
「へー! へー! へー!」
ユリネラの話に夢中で、妹の箸が完全に止まっている。
「玲、ちゃんとお口を動かして食べなさい」
「わかってるよー」
頬を膨らませる妹に、僕は気になっていた点をさらに指摘する。
「玲、さっきから野菜炒め食べてないんじゃない?」
「うぐ」
唐揚げをモグモグしながら、変な声を漏らす妹。僕は台所の食器棚から小皿とスプーンを取って来て、大皿から野菜炒めを取り分けて妹の前に置いた。
「取りにくいみたいだから、はい」
「こんなに要らないよー」
顔をしかめながらも、妹は渋々といった表情で箸を付け始める。ユリネラはそれを感心そうに眺めた。
「雅、お前、妹のことはちゃんと見てるのな」
敢えてなんだろうけど、「妹のこと『は』」にアクセントが付いたユリネラのセリフに、僕は項垂れるしかない。
「わ、悪かったね……一般的な女性の気持ちに疎くて――あ、玲、挽き肉とナスだけじゃなくて、ピーマンもちゃんと食べなさい」
「うー。だってー」
口を一文字に引き結ぶ妹に、ユリネラはニヤリと笑いかけた。
「玲、好き嫌いしないで食べないと大きくなれないぜ。懐かしいな、あたしも姉さんに嫌いな海草をたくさん食べさせられたよ。でも、そのおかげで、ホラ」
ユリネラはノースリーブのシャツ越しに、自分の胸をワシワシと揉んでみせた。
「ちょ、な……! 何やって……!」
僕が真っ赤になって狼狽するも、ユリネラはなおもニヤニヤ笑いながら自分の胸を揉み続ける。
「ほれほれ。好き嫌いしないでちゃんと食べないと、おっぱいが大きくならないぞ?」
するとどうだろう。ユリネラのことをじーっと眺めていた妹が、黙ってピーマンを食べ始めたではないか。
ユリネラは笑いながら僕にピースサインを出した。
「なんか……その……ありがとう」
「いいってことよ」
ユリネラは手をひらひらと振った。そうこうしている間に、妹は野菜炒めをペロリと平らげてしまう。
「お、玲、偉いなー! 全部食べられたんだな!」
「えへへへ」
ユリネラに褒められて、玲が嬉しそうに笑った。
「そういや、玲。お前ら、午前中はどっかに行くつもりだったんじゃないのか?」
「うん。お兄ちゃんと学校のプール」
ユリネラは申し訳なさそうな、眉を八の字にした表情になった。
「そっか、あたしのせいでいけなくなっちまったんだな。ごめんな。じゃあ、午後はプールに行くか?」
「えっとねー、今日の学校のプールは午前中だけなの」
「そうなのか……じゃ、海でも行くか? あたしでよければ、泳ぐの教えてやんぜ?」
すると、妹の顔が困ったような表情になってしまう。
「あのね、ユリネラ。妹は海に入れないんだ、苦手で……プールなら大丈夫なんだけど」
「そっか……悪かったな、玲」
妹はユリネラを見上げながら、頭をふるふると横に振った。
「玲、どっか行きてーとこあっか? 何して遊ぶ?」
「うんとねー、砂浜で遊びたい!」
「そっか。じゃあ、午後はあたしと雅と砂浜で遊ぶか!」
「うん!」
笑い合う妹とユリネラ。ユリネラはちらりと僕の方を見る。午後になれば波も穏やかになっているだろう。僕はにっこり笑って頷いた。
「それじゃあ、みんなで海岸に行こうか」
僕の返事を聞いて、ユリネラはガッツポーズを作る。
「よっしゃ、保護者の許可も降りたし、レッツゴーだな、玲!」
「おー!」
女子二人の明るい笑い声が居間に響いた。妹のはしゃぐ声とキラキラ輝くような笑顔を見ていると、心の中が暖かくなる。
得体の知れない自称人魚のユリネラ。でも、妹がこれだけ楽しそうにしてくれるなら、しばらくはいてもらってもいいのかなと僕は思い始めていた。