第二章 ツッコミがキツい人魚姫②
僕のウチの、昔はおじいちゃんとおばあちゃんの部屋だった場所には、仏壇が置かれている。親戚の少ない僕らのために、葬儀やその後の必要な処理については近所の人や父の会社の方が手伝ってくれたんだけど、この仏壇を設えるのにも、父の会社関係の方が良心的な仏具店を紹介してくださった。
家具調の木材で作られた仏壇の奥には本尊が安置され、その前には四つの位牌が並んでいる。二年前、海の事故で亡くなった父、母、祖父、祖母のものだ。祖母の還暦祝いに冬休みに暖かい離島に遊びに行こうと、珍しく家族全員で出掛けたときの事故だった。島から帰るための小さなフェリーは、運悪く発生した巨大波と突如崩れた天候とが重なった末の不幸な事故で沈んでしまった。
当然、僕は絶望した。でも、何が起きたのかさえ理解できていなかった妹を前に、立ち止まっていることはできなかった。たくさんの人に支えてもらって、何より、妹が頑張ってくれたから、僕達は今それなりに暮らしている。
僕達兄妹は仏壇に花を供えるのを欠かさないようにしていて、今日は妹と庭で育てたニチニチソウが活けてあった。ユリネラは仏壇前の座布団に正座すると、鐘を鳴らし、軽く俯きながら手を合わせた。
簾の掛かった窓から入ってきた風が、畳の部屋を通り抜けていった。風鈴がリンリンと涼やかな音を告げる。耳を隠すくらいの長さのユリネラの銀髪が微かに揺れた。ユリネラの青い瞳がぱちりと開くと、彼女は仏壇に一礼し、その前から退いた。
「手を合わさせてもらって、ありがとな、雅」
「いや、こちらこそ丁寧にありがとう」
「もう二年……なのか?」
「うん……」
家族六人で暮らしていた家に、妹と二人で暮らすようになって二年が経った。弁護士さんが僕達の後見人になってくれて、財産の管理だけでなく、たまに様子も見に来てくれる。僕の進路相談にも乗ってもえるし、もちろん、妹のことも気にかけてもらっている。この前は、ご家族とのキャンプに混ぜてもらい、妹は初めてのバーベキューに大興奮していた。近所の人はいつも声を掛けてくれるし、野菜やお惣菜を分けてくれる。僕達だけではやってこられなかった二年だった。
おかげさまで妹はすくすくと元気に成長している。僕は部屋の隅で人形遊びに興じている妹を見ながら、いつもどおりに頬が緩んだ。
「姉さんも手を合わせてたか?」
「うん。でも、作法とか知らないみたいだったから、僕が教えたよ」
ユリネラは「ふうん」と言って、首を傾げた。
「姉さんは何て言ってこの家に来たんだ? 姉さんはどんな様子だった?」
「アリアラの様子?」
「ああ。あたしがここに来たのは、それを知るのが目的だからな」
ユリネラは真剣な表情だった。青い瞳が真っ直ぐ僕を見つめてくる。
僕は少し戸惑いつつ、アリアラがウチにやって来た日のことを思い出しながら話した。
世間はお盆休みも後半で、テレビは高速道路渋滞のニュースでいっぱいだった時期だ。そんな日の午前中に居間で妹とテレビを見ていると、唐突にウチの呼び鈴が鳴った。ワイドショー番組の夏の行楽地特集に夢中な妹を部屋に残し、僕は玄関に向かった。
「はい、どちら様でしょう?」
そう言いながら引き戸を開けた先にいたのは、白いワンピース姿の女の子だった。僕と同い年くらいの子で、真っ黒の長い髪が僅かに波打ちながら風に揺れていた。もちろん、魚の尻尾なんか生えていなくて、普通の女の子の格好をしていた。白のキャリーバッグを引き、片手にはハンドバッグを下げていた。
玄関から現れた僕を見て、その女の子は青い目を細めてにっこりと微笑んだ。そして、バッグからスケッチブックを取り出し、マジックで何かを書いて僕に見せた。
『はじめまして、アリアラ・パパシーカと申します。あなたのお父様の知り合いの娘です。喉が不自由なので、筆談で失礼します。』
スケッチブックに書かれていたのは、きれいな日本語の文字で、漢字も完璧だった。
『あなたのお父様がお仕事でわたしの国にいらっしゃった時に、うちでお迎えしたことがあるのです。そのとき、お父様は、日本文化に興味があるならいつでもうちに来なさいと、わたしに仰いました。ですから、急なのですが来てしまいました。お父様はどちらでしょうか』
アリアラは僕の家族に起こったことを知らないようだった。僕は突然のお客様に驚きつつ、とりあえずアリアラにはウチに入ってもらうことにした。