エピローグ
たった一人のわたしの妹、ユリネラへ
ダメな姉でごめんなさい。
魔女の唆しに乗って、あなたの耳を切り、それだけじゃなくて、金銭まで得てしまったこと、ずっと後悔していました。だから、小さいあなたを必死に育てたの。
でも、だんだんと後悔が大きくなってきて。無邪気にわたしに甘えてくるあなたを見るのが辛くなり始めた。それで、冷たく突き放すようなこともしてしまいました。
でも、あなたがいなくなることは耐えられなかった。好奇心旺盛なあなたは、目を離すとすぐ探検に行ってしまう。もう戻ってこないんじゃないかって、とても心配になった。わたしが冷たくしていたのに、おかしいわよね。
わたしが「ユリネラはずっとわたしのそばにいるわよね」って言うと、あなたは「当たり前だろ」って。「あたしが戻ってくるのは姉さんのところしかねえもん」って。わたしはそれを聞くたびに安心して、ユリネラを大切にしなくちゃって反省するのに、まただんだんと罪悪感が増してきて苦しくなって突き放すようなことを言ってしまう。本当に酷い姉でした。
あなたは成長するにつれ、泳げる距離とともに行動範囲がどんどん広がって。人懐っこいから、人間ともすぐ仲良くなるあなた。わたしの不安はどんどん大きくなった。だから、あなたを見ているのがもっと辛くなって、さらに酷いことを言ってしまう。でも、やっぱりあなたがいなくなるのは耐えられなくて、わたしはそういう矛盾の中にいました。
わたしはその矛盾を埋めるみたいにたくさん恋をした。その中には、あなたの仲良かった男の子達もいました。その時は本気でその人を好きになっていたつもりだったけど、もしかしたら、あなたを取られたくないっていう気持ちがあったのかもしれません。あなたを取られたくないから、逆に男の子を自分のものにしようとしていた気もします。
雅の元に来たのも、あなたが彼を好きらしいと知って、その彼を調べるうちにわたしも惹かれたと感じたから。でも、雅は他の男の子とは違って、全然わたしの好意に気付いてくれなくて。わたしの邪な思いを無意識に勘付いていたのかもしれない。それに、雅にとっては女の子よりも玲が大切みたい。最初はそういう雅の態度に戸惑ったけれど、途中から楽しくなって、そして、わたしは本当に雅を好きになってしまったようです。恋をするって苦しいけど、楽しいことなのね。あなたが雅を好きになった理由もよくわかりました。雅だったら、きっとあなたを幸せにしてくれるわね。
雅を見ていたら、あなたが小さい頃を思い出しました。一人じゃ何もできなかった小さなあなたを、必死で守り育てていた日々。あなたの小さな成長の一つ一つが嬉しかった毎日。どうしてそれを忘れていたんだろう。
愛しているわ、ユリネラ。本当に愛しているの。だめな姉さんを許してください。
でもこんなこと、あなたに伝える勇気がなくて、隠すみたいにこの箱の中にしまっておくことにしました。もしこれを読んでいるのであれば、わたしのこと、恨んだり、憎んだりするかもしれない。それでも構わない。でも、あなたを愛していたことは本当です。それだけは信じてください。
わたしは消えてしまうけれど、でも、これは生まれ直すチャンスだと思っているの。勝手な姉でごめんね。
生まれ変わったら、妹を大切にする優しい人魚になれますように。
アリアラ
―――― ◆ ――――
アリアラの宝石箱の二重底には、あのナイフと共にアリアラの手紙が入っていた。ユリネラはそれを読んでしばらくぼうっとしていた。何が書いてあったのか、どう思ったのかは教えてくれなかったけど、その手紙は大切にしまって、時々読み返しているみたいだった。
今日、僕はユリネラと妹と一緒に、庭に咲いた白いユリの花を持っていつもの海外にやって来た。凛と静謐な雰囲気を湛えるその花は、アリアラにピッタリだと僕には思えた。
三人で海に白いユリを流すと、波がそれを抱きかかえるようにして、沖へ沖へと運んで行った。小さな白いシルエットは、やがて限りなく深くて青い大海原に消えていった。妹は意味をわかっていないと思う。でも、僕ら二人が神妙な顔でユリの行方を見守っていたから、黙ってそれに倣っていた。三人で静かに、遠くの水面を見つめていた。
じっとしているのにも飽きた頃、妹は一人で砂遊びを始めた。僕とユリネラは波打ち際に座って、消えたユリを追うように、水平線を眺めていた。
未だにアリアラがいなくなってしまったことが信じられない。そして、その一因を作ってしまったのは僕で。そんなつもりは全くなかったけれど、僕はアリアラを傷付けて、見捨ててしまったことになるんだ。たった数日ではあったけど、僕はアリアラの何を見ていたんだろうか。アリアラをきちんと見ていたんだろうか。
僕は下を向いて、それから傍らのユリネラを見た。ユリネラも僕を見ていた。
「言っとくけど、姉さんが消えたのは雅のせいじゃないからな。それに、人魚にとっては消えるのは縁起のわるいことじゃないんだ。生まれ変わる日だから、祝い事でもあるんだよ」
でも、その言葉の後半は、少し事務的な声音だった。
「だったら、ユリネラのせいでもないし、ユリネラが気に病むことなんてないね」
僕が言うと、ユリネラはフンと言って僕から顔を逸らせた。
「ねえ、いい加減信じてくれた?」
「何をだよ」
「僕がユリネラを好きってこ……」
言いかけた僕の口をユリネラが手で塞いだ。
「だから、もう言うなよ、そういうこと!」
いつもみたいに真っ赤になってユリネラは言う。ユリネラは魔女の帰った後、再びあの薬を飲んで人間の形態になっていた。それでも全然平気だったんだから、それはそういうことに違いはないだろう。というのが、僕の見解なんだけど。
「わ、わかんねえだろ! 雅があたしを好きなんじゃなくて、たまたま、あたしの生命力が強いせいで平気なだけなのかもしれないだろ!」
「だったら、ずっとそばにいて確認すれば?」
ユリネラは青い瞳を見開いて、驚いたような表情をした。
「な、何言ってんだよ!」
「ん?」
「迷惑だろうが」
「迷惑じゃないよ」
「じゃ、じゃあ、本当に陸にあがるぞ、あたし。長老亀の爺さんに頼んで適当な国の国籍とってもらって、留学生として雅んとこの学校に行くぞ。それで、留学生用の寮に入っちゃったりするぞ」
「いいよ」
「クラスメイトになっちまうかもしれないぞ!」
「楽しそうだね」
ユリネラは金魚鉢の金魚みたいに口をパクパクさせた。
「でもさ、夏休みの間はウチにいてくれるんでしょ?」
「う、え、あ、」
うまく言葉を発せられないらしいユリネラの綺麗な銀色の髪を、優しい潮風が撫でていった。風は波の音と妹の歓声とを拾い集めながら、浜辺を通り過ぎていく。
「玲、そろそろ帰るよ!」
「はーい」
妹が僕達のそばに駆け寄ってくる。僕は立ち上がって、妹の手を取った。
「どうしたの、ユリネラお姉ちゃん? 一緒に帰ろう?」
妹はユリネラに向かって手を差し出した。
「……ああ」
ユリネラは妹の手を掴みながら立ち上がる。妹を真ん中に、僕達三人は手を繋いだ。
「ユリネラお姉ちゃん、今日の夜は花火しようねー」
「……そうだな」
妹に向かって微笑むユリネラを、暖かい日の光が優しく包んでいた。きらきらと輝くユリネラの銀色の髪は、夜空の星々そのもののようだった。
ユリネラアが視線を上げて僕を見た。目が合ってしまう。ユリネラが少しはにかんで笑った。僕はなんだか恥ずかしくなってしまって、少し耳が熱くなった。
「それじゃあ……帰ろうか」
僕達は三人、横に並んで歩き出す。
寄せては返す波に見送られながら、僕達はゆっくりと帰途に就いた。
【終】




