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第四章 人魚の秘密と姉妹の秘密⑩

「なんなの、この茶番。面白い悲劇を観劇できると思ったのに」

 マリアさんはつまらなそうに顔を歪めた。口元を扇子で隠しながら欠伸をしている。

「まあいいわ。それじゃあ、こっちのナイフは遠慮なく返してもらいますからね」

 砂浜に落ちたままになっていた、あの赤黒いナイフを拾おうとマリアさんが屈む。でも、その手が拾う前に、僕が先にナイフを掴み取った。マリアさんが訝しげな表情で僕を見る。

「雅くん? いったい、なんだっていうの?」

「これを渡す前に、条件の確認をさせてください」

 僕は改めて、手に持ったナイフを見た。刃渡りは二十センチくらいある。全体に血がべったりついているような赤黒い色に染まっていて、禍々しいオーラを放っていた。正直、これで刺されたくはないなあという印象。

 ユリネラが心配そうに僕を見たけど、僕は大丈夫だというように笑いながら頷いてみせた。

「まずは、ユリネラがマリアさんの店からあの薬を万引きしてしまったのがそもそもの問題の発端ですよね」

「ええそうよ。だから、ユリネラの魂――というか、卵ね。それを一部もらうか、そのナイフを返してもらうか。それか、ヒトデを捉まえるのを手伝ってもらうことで、手を打つことにしたんじゃない。雅くんの魂をもらうっていう提案もしたけど、それは半分脅しだから。ウフフフ」

 わざとらしいほど、にこやかな表情でマリアさんは笑った。

「でも、そのナイフを返してくれるんなら、もう魂はいらない。わたしは黙って海に帰るわ」

「ヒトデ達は?」

「当然連れて帰るわ」

「でも、それじゃ、僕達の探し損じゃないですか」

 魔女は黒い扇子を口元にやり、考え込むように灰色の目を細めた。

「じゃあ、こうしましょう。わたしの元に戻るかどうかは、ヒトデ達の自由意思に任せるわ。雅くん達に無駄働きさせちゃったのは申し訳ないけど、最初はナイフの所在が不明だったんだから、仕方ないじゃない。恨むなら、ナイフの場所を明確にしておかなかったアリアラを恨んで頂戴」

 マリアさんはヒトデ達のいる水槽に近付くと、その表面の樹脂材を黒のハイヒールで蹴り付け、そのまま足を蓋の上に置いた。魔女の刻印が施されたヒトデ達は、透明な水槽の中で縮み上がるようにぶるぶると震えている。

「ほら、あなた達、どうするの? わたしの元に帰るの? 帰らないの?」

「ひいいいい!」

 冷え冷えと凍りつくような灰色の視線を魔女に投げつけられ、ヒトデ達は悲鳴をあげた。

「ちょ、ちょっと、マリアさん!」

「なにか、問題でも?」

 マリアさんはしれっとした顔で僕を見た。僕は溜め息をついた。

「厳しい人ですよね、マリアさんは。そういえば、ユリネラにも厳しいこと言いましたよね。たった一粒使っただけなのに、魂と引き換えなんて」

「あら。そうかしら? 瓶の錠剤全部が売り物にならなくなってしまうんだから、仕方ないと思うけど?」

「その割に、このナイフは使用済みでもいいって言ってましたよね」

「それは……」

 一瞬言い淀んだマリアさんは、けれど、すぐにニコリと笑って言葉を続けた。

「わたしが優しいからよ。それに、薬と違って経るものじゃないし……」

「僕思うんですけど――マリアさんは随分、このナイフに拘っていませんか?」

「……そうかしら?」

 マリアさんは首を傾げ、なぜか僕から視線を外した。僕は何か釈然としないものを感じる。

「そうですよ。ユリネラは失くしたって最初から言っていたのに、何度も行方を聞いてきたのは、今思えばなんか変な感じがします」

「あら。ユリネラの魂が懸かっているんですもの。親切で何度か確認してあげただけよ」

 魔女はにっこりと、優しく微笑むが、僕は首を傾げた。

「そうなんですか? それに、アリアラの荷物を取りに行くときには無料で手厚くアイテムを用意してくれたのもなんだかマリアさんらしくないというか……もしかして、このナイフって、人間になる薬による短命化をクリアする道具ってだけじゃなくて、別の意味もあったりするんじゃないですか?」

「なにそれ?」

 マリアさんは不機嫌そうな顔になった。実際、僕には確固たる証拠とか考えとかがあったわけではなく、なんとなくのイメージで鎌をかけてみたわけなんだけど。マリアさんの顔を見て、少しピンときたものがあった。

「例えば、そうだな……例の件。ユリネラの耳が関係する、あの特許で揉めてるとかいう件の証拠だったり?」

 マリアさんの眉がピクリと震えた。僕はもっと核心に迫るために、言葉を探した。

「えーっと、えっと。あ! アリアラがユリネラの耳を切るのに使ったナイフ、そのものだとか?」

「フフフ……ホホホホホ! そんな出鱈目なこと……ホホホホホ!」

 僕の言ったことをマリアさんが笑い飛ばそうとした時、水槽の中でヒトデ達が飛び跳ねた。

「た、確かめる方法ならあるっすー!」

「海坊主さんのところに持ち込めば、ユリネラさんの血が付いたことがあるかどうか分析できるはずっすー!」

 マリアさんは慌てたように、ヒトデ達を睨みつけた。

「ちょっと! 黙りなさい、あなた達!」

「なんでそんなに焦ってんだよ、テメー!」

 ユリネラがマリアさんとヒトデ達の間に割って入った。

「このナイフ、海坊主のとこに持ってってもいいなら、すぐ持ってくぜ」

「ちょ……ま、待ちなさい」

「待てないね」

 ユリネラは僕の手からナイフを奪い、海に出ようとした。マリアさんは慌ててユリネラの手首を掴む。

「やめて! もう……負けよ。あたしの負け。そうよ。そのナイフはアリアラがユリネラの耳を切るために使ったナイフ。だから、アリアラのスケッチブックに貼ってあったメモも真実よ」

 魔女は真っ赤な唇から悩ましげな溜め息を洩らした。

「ユリネラの血を受けて、まあ、ある種の『呪われた刃』状態になったナイフを転用して、『呪いを解くナイフ』を作ったの。でも、どうせ謂れなんてわかりっこないと思って」

「それで、ユリネラにそのナイフを売っちゃったんですね?」

「そう。そしたら、その直後よ。このヒトデ達が脱走して。あのメモを持ち出されたことに気付いたの。焦ったわよ。もしあのメモとナイフを突き合わせるようなことされたら、特許侵害と本人の同意を得ない生体材料売買がばれちゃうんだもの。海の世界では未成年の生体器官とか臓器の売買とかはタブーなの。たとえ保護者の同意があってもね」

 マリアさんがニヤリと笑うと、ユリネラは舌打ちして目を逸らした。

「だからね。ナイフの回収と、ついでにヒトデ達も一網打尽にしようと思って。メモの回収はあとでヒトデ達を絞って吐かせてからと思ってたのに。まさか、アリアラにメモを拾われていたなんて、想定外だったわ」

 マリアさんは溜め息をついた。

「オイラ達、この浜に流れ着くように海流郵便に乗せたんすー」

「海底で拾ったワインボトルに入れて偽装したんすけどー」

「アリアラさんが拾っちゃってたんすねー」

 ヒトデ達が水槽の中で肩を落としていた。

 あの書類はアリアラにとっても、自分の犯した非道な行為の証拠になる。だから、あの危険な海の底に隠そうとしたのかもしれない。

「まったく。証拠とヒトデの回収をしつつ、ついでに、血みどろの修羅場な悲劇が見られるかと思ったのに。楽しみにしていたものが全て台無しだわ」

 不機嫌そうな顔で扇子を煽ぐ魔女をユリネラが睨んだ。

「この破滅的快楽主義者が!」

「褒め言葉ね」

 ユリネラの渾身の叫びにも、マリアさんは微笑みを浮かべるばかりだった。ユリネラは呆れたような怒っているような顔だったが、ふと不審そうな表情を浮かべて首を傾げる。

「でもよ。つーか、そもそも、テメー、盗聴なんかしなくたって、十分いろんな魔法グッズで儲けてんだろうがよ」

「まあ、ね」

「なんでわざわざそんなことしたんだ?」

「なんでって……」

 口籠ったマリアさんは、不貞腐れたような顔でツンと顔を逸らせた。

「海坊主みたいな田舎者に出来てわたしに出来ないものがあるなんて、許せないのよ!」

 マリアさんはフンと荒く鼻息を荒げた。

「もういいわ、わたし、帰る! 他人の不幸をじっくり味わってやろうと思ってわざわざ陸まで来たのに、こんな茶番劇付き合っていられないもの!」

 マリアさんはユリネラの手からナイフをひったくると、黒のハイヒールでドスドスと砂地を踏みながら歩き出した。

「付いてきなさい、あなた達!」

 ユリネラが水槽の蓋を開けると、中からヒトデ達が飛び出した。

「そいつら連れて帰るなら、ちゃんと待遇改善しろよ。特許の件、海坊主に告げ口されたくなかったらな!」

「わかってるわよ!」

「意地っ張り魔女め」

「うるさいのよ、あなたは!」

 ぷりぷりと怒る魔女の後を、ヒトデ達がちょこちょこと手足となる突起を動かしながらついて行く。海に入る前に、ヒトデ達はこちらを振り返ってお辞儀した。

「皆さん、お世話かけたっすー」

「すいませんでしたっすー」

「お騒がせしてしまいましてー」

「ありがとうございましたっすー」

 十三匹のヒトデから多重音声のようにたくさんの言葉が発せられた。

「ばいばーい! 魔女さーん! ヒトデさーん!」

 妹が手を振ると、ヒトデ達は元気よく手を振り返してくれた。マリアさんも仕方なさげに振り返り、不機嫌な顔で手を振った。

 黒衣の魔女を先頭に十三匹のヒトデが続く不思議な隊列は、燦々と輝く太陽の下、真っ青な海の中に消えていった。

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