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第四章 人魚の秘密と姉妹の秘密⑧

 ザザン、ザザンと波の打ち寄せる音が聞こえる。潮風が魔女の長い金色の髪を、ユリネラの短い銀色の髪を撫でていった。

「ごめん。雅……あたし、姉さんが消えちまうなんて考えられなくて、それで……あたし……」

 ユリネラは海風にかき消されてしまいそうな声で言った。

「姉さんがお前んちに行って三日目に、姉さんに呼び出されたんだ。『今回は無理そうだ』って。『雅はきっと自分のことは好きにならないだろう』って姉さんは言ってた。なのに、『わたしがバカだったのよ』って、笑って。さっぱりしたような顔してて。見たことない優しい顔で姉さんは笑ってたんだ」

 ユリネラは口元を引き結び、潤み始めた目を誤魔化すみたいに何度も瞬きしていた。

「あたしは姉さんが消えてしまうなんて……そんなこと耐えられなかったんだ」

「それで、わたしのところに来たのよね? わたしはユリネラから大切なものを対価として頂いて、アリアラを助けるためのナイフを渡した。恋愛対象の男を殺し、その生命エネルギーを直接人魚に取り込むシステムを組み込んだナイフよ」

 魔女は真っ赤な唇の端を吊り上げて笑った。

「『それを使って、アリアラが相手の心臓を刺したら元に戻るわよ』って言ったときのユリネラの顔ったら! あんなショックを受けた顔を人ってできるのね。面白かったわ!」

 涙が零れ落ちそうなほどに濡れた瞳でユリネラは魔女を睨んだが、マリアさんは鼻で笑っただけだった。

「ユリネラ……」

 ユリネラは僕に向き直ると、顔を真っ青にして頭を下げた。

「ごめん、雅。あたし、すごく迷ったけど。ものすごく悩んだけど。でも、あたしには姉さんが全てだったから! だから、あのナイフ、姉さんに渡しちまったんだ……」

「いや……多分、僕も妹が同じようなことになったら、同じようなことすると思うから……顔を上げて」

 僕がユリネラの肩を叩いても、ユリネラは頭を上げようとはしなかった。

「でも――でも、お前じゃなくて姉さんが消えちまって。あたしはそれを知った時……」

 ユリネラの日に焼けた頬を、目の縁から零れ落ちた涙が一筋流れていった。

「ほっとしてた。姉さんがいなくなったってのに、あたしはほっとしてたんだよ」

 乱暴に手の甲で頬を拭いながら、嗚咽の混じる声で言った。

「あたしは……アレを姉さんに渡しておいて……最悪だ……」

「ユリネラ……」

「あたしは姉さんが好きなのに。大好きなはずなのにどうしてこんな気持ちになるんだろう……。でもやっぱり寂しいんだ。姉さんがいないのは寂しいんだよ……。あたしのそばに姉さんがいないなんてことが、未だに信じられないんだ」

「ユリネラ……」

「あたしが人なんか好きにならなけりゃ、よかったんだ! そうすれば、姉さんだっていなくならずに済んだし、雅に迷惑かけることもなかったのに!」

 ユリネラの頬を幾筋も涙が零れていく。ユリネラは僕から顔を背け、手で顔を覆い隠して俯いた。それでも、嗚咽と震えを隠すことはできない。

 僕は心の奥の方がぎゅっと抓られたみたいに痛く、首を絞められたみたいに苦しくなった。ユリネラは細い肩を震わせて泣いている。僕はそんなユリネラのことを抱きしめたくなった。両親を失った頃、毎夜不安で泣いていた妹にそうしたみたいに。

 でも、女の子にそんなことしていいのかな、と、一瞬躊躇してしまった。

 その一瞬の間にマリアさんが動き、しゃがんでユリネラを抱きかかえた。そして、銀色の短い髪を優しく撫でる。ユリネラは真っ赤な目でマリアさんを睨んで逃れようとしたが、力が入らずに腕を引き剥がすことはできないようだった。

「フフフ。ユリネラったら可愛いのよ。この子があのナイフを得るために、わたしに何を差し出したかわかる? この子が一番大切にしていたもの」

 マリアさんは僕を見てニコリと笑った。

「髪よ。真っ黒なきれいな髪。夜空のようにキラキラと輝く美しい髪。だから、今はこんな色の短い髪になっちゃったのよね?」

 そう言って、魔女は愛おしげに銀色の髪を撫で、一房掴んでキスをした。

「本当に可愛い子。この子、こう見えて純情だから。雅くんにきれいだって言われた髪を、毎日大切に手入れして伸ばしていたのにね」

 ユリネラは涙の溜まった目で僕を見て、そして、目を逸らした。乾き始めた短い銀色の髪が、海風にさらさらと揺れていた。

 その横顔を見ながら、僕は頭の中で記憶が撒き戻っていくのを感じた。

 二年前の海の事故。海の中で助けてくれた人。辿り着いた島で僕達を心配そうに覗き込んでいた人。体を摩ってくれた優しい手の感触。きれいな髪。夜のように広がる長い黒髪。

「もしかして……あの島で僕を助けてくれたのは、ユリネラだったの?」

「……ああ」

 涙声のユリネラは鼻を啜りながら頷いた。

「あたしと姉さんは、ここ数年はあの島の近くをねぐらにしてたんだ。姉さんはいい顔しなかったけど、あたしはたまにあの島を遠くから眺めてた。人間の生活を見るのは面白かったし、たまに姉さんに怒られてむしゃくしゃした時なんかは、元気に働いてる港の人達とか、海岸で遊んでるガキどもを見てると、元気になれたんだ」

 ユリネラは懐かしむみたいに、真っ赤に染まった目を細めた。

「ある日、雅と家族があの島に来た。あの島で雅は玲とよく海岸で遊んでたろ。最初は妹に優しい兄さんなんだなって思って、ただ見てただけだった」

 マリアさんの腕の中で、ユリネラは俯いた。

「でもさ、お前ら二人を見ているうちにだんだん思い出してきたんだ。あたしが小さい頃には、姉さんはとっても優しくて。雅みてえに遊んでくれたなって。そしたら、懐かしくなって、ずっと見てたんだ」

 言葉を切り、ユリネラはゆっくりと顔を上げて僕を見た。

「もしかしたら、その時にはもうお前のこと好きだったのかもな。なんてな。へへ」

 うっすらと、はにかんで笑い、ユリネラはまた下を向いた。

「だから、あの事故があった時、あたしは必死で雅と玲を助けた。でも、他の家族の人とか、他の乗客とかまでは助ける余裕がなくて。ごめん……」

「ユリネラ……」

「あの時、お前に髪が綺麗って言われてさ。すごいびっくりしたけど、嬉しくて。あたし、そんな風に褒められたこと、今まで一度もなかったから。それなのにさ。その髪を売ってさ。あんなナイフ買ってさ。あたし、バカみたいだ。本当、ごめん。玲にも合わせる顔がねえよ……」

 ユリネラは手で顔を覆って、大きく息を吐いた。

「あたしさ。雅のことは、姉さんに知られたくなくて。だから、あの事故の後、長老亀のじいさんからこっそり日本語を習ってたんだ。日本語は片言しか知らなかったから。なのに、そこのババアがそれに勘付いて、姉さんに告げ口して。だから、姉さんも雅のことを知ってさ。『わたし、雅のこと好きになっちゃったの』って。『ユリネラも認めてくれる?』って、いつもみたいに言ってきたんだ。あたしは……なんか、頭の中が真っ白になって、いつもみたいに、『わかった、応援するよ』って、言った……」

「ホホホホホ! 相変わらず、キツイお姉さんよね」

「あたしはいつもみたく、仕方ないって思ったはずだったのに……姉さんのこと実は恨んでたのかな。わかんねえ。姉さんがいなくなってほっとしたけど、悲しくて仕方なかった。自分でもよくわかんない。だから、あたしは姉さんの後を追うことにしたんだ。でも、その前に、姉さんが消える前にどんな気持ちでどんな生活をしたのか知りたかったから、雅のウチに行ってみたかった。だから、あの薬はあたしにとってはぴったりだったんだよ」

「な、なに言ってるんだよ……」

「あたしは魔女の店からあの薬をパクッた。もともと消えるつもりだったから、責任取る必要もないと思ったし。それに、魔女は、今回みたいにあたしの仲の良い人間を姉さんにチクッて、姉さんがあの薬とか美容アイテムを買うよう仕組んでたところもあったし。だから、いい気味だって、万引きしてやったんだ」

「ユリネラ……」

「本当は、四日経ったら姉さんみたいに黙って消えようと思ったのに。こんなことになるなんてな……。やっぱり、あたしは姉さんが言ったとおり、出来損ないだ」

「なんてこと言うんだよ! やめろよ!」

「でも!」

 顔を上げたユリネラが僕を見た。真っ赤に腫れた目から、涙が幾筋も零れて落ちた。パタパタと砂地に落ちて、淡い灰色の砂を黒く染めていった。キラキラと輝く青い瞳を見て、僕は何を言ったらいいのかわからなくなってしまった。何かを言おうと思うのに、言葉がつかえて出てこない。

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