第四章 人魚の秘密と姉妹の秘密⑦
アリアラの荷物を伴って、再び魔女の用意した輪を潜ると、僕らの町の海に帰還することができた。
「お帰りなさーい」
マリアさんは砂浜にビーチパラソルを立て、ビーチチェアに横たわりながら、トロピカルジュースの入ったグラスを手にしていた。サングラスをかけ、潮風に金色の髪をなびかせる姿は、どこかのセレブ妻みたいな感じだ。
「まったく、テメーはお気楽なもんだよな!」
「で? あったの、あれは?」
「まだ見てねえよ」
ユリネラは人魚の形態のまま砂浜に這って上がり、キャリーバッグとハンドバッグを乱暴に魔女のそばへ投げ捨てた。
さすがに、女性の荷物の中身を見るのは憚られるし、そもそも探し物がなんなのか僕にはわからないので、荷物の検分はユリネラに任せた。
ユリネラはキャリーバッグのファスナーを開き、服の間やポーチの中、ハンドバッグの中身を順に確かめた。だが、全てを見終えると、頭を横に振った。
「ねえな」
「本当?」
魔女が訝しげな表情でユリネラの顔を見る。
「だったら、お前も探してみろよ」
不機嫌な表情のユリネラに促され、マリアさん自身もアリアラの荷物をひっくり返して探し始める。ずいぶん遠慮なく、服を広げたり、ポーチの中身まで全部外に出したりして確認していた。
「本当……ないわね。残念だわ」
マリアさんにしては珍しく、戸惑うような表情を見せていた。
「あの……いったい、何なんですか。探しているのって?」
僕がおずおずと尋ねると、マリアさんは意地の悪い笑顔を見せた。
「まあ……マジックアイテムであることは確かなんだけど、ねえ?」
何か言いたげな目で、マリアさんはユリネラの方を見た。ユリネラはチッと舌打ちし、再びアリアラの荷物に視線を戻して、何も言わなかった。キャリーバッグの荷物の中からアリアラが僕や妹との筆談に使っていたスケッチブックを手に取り、中をぺらぺらと捲り始める。マリアさんは少し困ったような顔で笑った。
「ユリネラが話したくないみたいだから、わたしの口からは言いづらいわね」
「そう……ですか」
僕は首をひねった。話したくないアイテムってなんだろう。わざわざ聞くことはしないけど、余計に気になってしまう。
僕はユリネラに視線を戻す。人魚形態のユリネラは、まだスケッチブックを捲っていたが、とあるページで指を止めた。
「あ? なんだ、こりゃ?」
そのページには字が書いてあるのではなくて、何かのメモ書きみたいな紙片が挟んであった。そして、そのページ以降、何ページにもわたって同じようなメモの切れ端が挟み込まれていたのだ。
「あー、それ! オイラ達がこの浜に流したはずのご主人さまの書類っすー!」
ビーチチェアの横に置かれていた水槽の中で、ヒトデ達が叫びながらピョンピョン飛び跳ねた。
「なんなの? ちょっと! 寄越しなさい、それを!」
魔女が眉毛をピンと立てて、ユリネラの持つスケッチブックに手を伸ばす。ユリネラはマリアさんの剣幕に驚いたような顔をしつつも、スケッチブックをしっかりと胸に抱きかかえた。
「やだね! おい、雅、そのババア、押さえとけ!」
「え!」
僕は咄嗟に、マリアさんに後ろから抱きつき、腰をホールドした。
「ちょっと! 話しなさい、雅くん!」
暴れるマリアさんを必死で押さえつける僕。マリアさんはなんとか腕力で僕を引き剥がそうとするが、どうやら腕の力は僕の方が上のようだ。
でも、マリアさんの形のいいお尻がモロに当たって来るんですけど。これ、見ようによっては僕がセクハラしてるようにしか見えない気がするんだけど、大丈夫なんだろうか。
そんな僕達を無視して、ユリネラはメモに目を通す。
「ふーん、なるほどねー。会計用天秤の製法と特許のことが書いてある。姉さんがこの浜で拾ったのかもな」
「そ、それって、前に言ってた、レジ代わりの天秤のこと? なんか、特許で揉めてるとかなんとか」
僕の言葉にユリネラは頷いた。
「このメモはたぶん、その開発記録をババアが書いたものだな。これ見ると、海坊主の屋敷を盗聴して、製法をパクッたのがモロわかりだぜ」
「やめなさい! プライバシーの侵害よ!」
「ケ。それはどっちだよ」
いつもと違って余裕のないマリアさんの声を聞いて、ユリネラは嬉しそうにニヤリと笑った。だが、次のページのメモに目を通した途端に、その表情が凍りつく。
「なんか、変なこと書いてある……」
「ど、どうしたの?」
僕が問いかけても、ユリネラは絶句したままだった。代わりに、僕が押さえつけているマリアさんがクスリと笑う。
「海坊主の天秤システムの一要素、価値計量アルゴリズム発現デバイスに何を使っているのかが不明。これに関しては盗聴にて情報得られず、自己解決を要する。アリアラの妹の耳と、その耳を切り取ったナイフをアリアラから買い取り。人魚の耳は極小の要素を聞き分ける繊細な器官であり、この耳の細胞を培養、粉末状に加工し、当該デバイスに転用した。結果、動作は良好。以後、この線で研究開発を進めるべし……って書いてあるメモかしら?」
マリアさんがすらすらとそう述べると、ユリネラは顔色が真っ青になってしまう。
「ユリネラ……?」
どういうことなんだ、今の内容は。
マリアさんは天秤のシステムを作るために、海坊主の屋敷を盗聴した。多分、海坊主の方が、研究が進んでいたとか、品質のいいものを作っていたとかだったのかもしれない。ただ、何か大切な内部システムがあって、それに関しては盗聴できなかった。たまたまか、狙ってかはわからないけど、アリアラからユリネラの耳を手に入れて、それを使ってみたらうまくいった。そう言う風に聞こえた。
アリアラが、ユリネラの耳をお金のために売ったということ?
あのアリアラが?
「糞ッたれ!」
ユリネラはスケッチブックを砂浜に投げ捨てた。
「こんなの嘘だ! ババアが嘘であたしを騙そうとしてるんだ! 姉さんはこんなことしねえ! 姉さんは寂しいからあたしの耳を切ったんだ。お金のためなんかじゃねえ!」
「ホホホホホ! わざわざそんな手の込んだ嘘をついても、わたしにメリットがないでしょう? それは全部、事実よ」
魔女はそう言って、真っ赤な唇を歪めてにやりと笑った。
「雅くん、もういいわ。もうあれを奪い返そうなんてしないから」
言葉どおりに力が抜かれたので、僕はマリアさんを解放した。ユリネラは青白い顔で、ニヤけた顔の魔女を見つめた。
「テメー、最悪だな……」
「フフフ。魔女っていうのは、そういう生き物なのよ」
ユリネラは気持ちを整理するみたいに、大きく首を横に何度か振った。
「とにかく――本当かどうかはともかく、アンタが海坊主の発明をパクッたって証拠が出てきちまったんだ。おとなしくしろよな」
「ふうん? そうやってわたしを脅す気? でもね、その件とあなたの万引きは全然別の話でしょう? その件で訴えるなら、わたしだってあなたの窃盗を正式に訴えるわよ。それにね、そんなのただの紙切れじゃない。わたしがデタラメを書いただけって言ったらどうするのかしら?」
マリアさんは冷ややかな灰色の目でユリネラを見た。ユリネラは溜め息を吐き出す。
「だから、さっきから言ってんだろ。あたしの魂を渡す。その代り、ヒトデ達の待遇改善を約束しろ。約束しなけりゃ、あたしが死ぬ前にその書類を海坊主にぶちまけてきてやる」
「だから、なんでそうなるんだって!」
僕はユリネラとマリアさんの間に割って入った。
「簡単に死ぬとか言うなよ!」
「だって姉さんの荷物からアレが出てこなかったんだから、仕方ねーだろ。つーか。もうあたしそろそろ寿命が来るし」
「理解できないよ。そもそも、アレって何なの? それに寿命、寿命ってさっきからなんなんだよ!」
「あーもう! 姉さんみたいに黙っていなくなるつもりだったのに、なんでうまく行かねえんだよ!」
ユリネラは荒れたように、銀色の髪を乱暴に掻いた。
「あたしはあの薬を飲んだから、もう死ぬんだよ!」
「薬?」
「人魚から人間になる薬!」
――え?
僕はわけがわからなくて、目を見開いた。すると、僕の隣で魔女が哄笑した。
「ホホホホホ! 雅くん、童話で伝承が伝わっているでしょう? アンデルセンの人魚姫。読んだことないかしら?」
「いや、もちろん……」
読んだことはある。昔、妹に読み聞かせたことがある。人魚のお姫様の悲しい恋のお話だ。王子の愛を求めて、人間の足が生える薬を飲んだ人魚姫。でも、結局、王子の愛を得ることはできなかったんだ。悲嘆に暮れる人魚姫はどうなった……? 王子様から愛を受けられなかった人魚姫は……。
絶句する僕を前にして、魔女は灰色の目を細めて楽しそうに笑った。
「王子様と両想いになれなかった人魚姫は泡となって消えてしまう。美しい悲恋物語よね。わたし、ああいうお話は大好きよ。ホホホホホ!」
「そんな……でも……あれは創作でしょう? それに、ユリネラは足が痛くなるとか、副作用はないって言ってなかったっけ……?」
「副作用の痛みは長年の企業努力で改善したわよ。でもねえ――」
魔女はもったいぶるように一旦言葉を区切り、ニヤリと赤い唇を吊り上げた。
「対象の愛を得られなければ泡となって消える――まあ、つまりは人魚の死、卵になるということだけれど。それはこの薬の本質だもの。変えようがないわ。アリアラはいつも相手の男を落としてきたから大丈夫だったけれどね。まあ、すぐ飽きて人魚の形態に戻って海に帰ってきていたけど」
魔女は灰色の目を細め、思い出したように笑った。
「ちなみに、人間への形態変化後、恋愛対象に好意を抱いてもらえなかった人魚の平均余命は四日間。ユリネラが服用してから、そろそろそのくらい経つかしらね?」
四日……? なに……それ……?そんなの聞いてない!
ユリネラに顔を向けると、目を逸らされた。魔女は楽しげにクツクツと笑う。
「人魚から人間への形態変化には莫大な生命エネルギーを必要とするの。だから、そのままだと一気に人魚の寿命は縮まる。でも、寿命を使い尽くしてしまうわけにはいかないから、残日数四日程度が残るようにストッパーはかけているけれどね。だから、全くの余談だけど、年寄りの人魚があの薬を使うと不完全な人間形態になってしまうの。アリアラやユリネラくらいの年代だから、完璧な体を得られるわけ」
「そんな……」
「だけど、それでも四日だなんて可哀想じゃない? だから、その時の恋愛対象である人間と両想いになって、対象から恋愛感情が向けられるようになれば、その感情のエネルギーを変換して、疑似的な生命エネルギーとして人魚に補給するアルゴリズムも組み込んであるのよ。優しいフォローでしょう?」
マリアさんがにっこりと微笑む。
僕は頭がクラクラしていた。冷静にものを考えるなんてできない状態だったが、人魚姿のままのユリネラを指差しながら魔女に必死で訴えた。
「で、でも、ユリネラはさっきの薬でちゃんと人魚の身体に戻ってるじゃないですか!」
「無駄よ。白の錠剤で人間に形態変化したときに、ユリネラはすでに生命エネルギーを消費してしまっているもの。青の錠剤は人間から人魚の形態に戻すシステムだけど、その工程にはエネルギーは必要ないし、代わりにエネルギーの還元もされない。だから、今のユリネラは生命エネルギーがすっからかんのままなのよ」
魔女は楽しそうに笑った。
僕は目を見開いてユリネラを見た。ユリネラは、今度は目を逸らさずに僕を見た。その顔は落ち着いた表情をしていて、僅かに微笑んでいるようにさえ見えた。
「なんで! どうして、そんな!」
僕が腕を掴んで揺すっても、少し困った風に笑うだけだった。
「お前のことが好きだからだよ、雅」
「え?」
なんだ。なんなんだ。なんでいきなりそんな。
次から次へと色々な情報が頭に流れ込んできて、僕は脳みそがパンクしてしまいそうだった。
「なんだよ、お前。そんな変な顔して。ババアが言ってたろ。姉さんはあたしが仲良くしたいと思う男の子を先回りして恋人にしちゃうって」
ユリネラは少し寂しそうに笑った。
「そんな……え、ちょっと、待って? じゃ、じゃあ、アリアラは? アリアラもあの薬を飲んだんだよね?」
「お前は何も知らなかった。姉さんは何も言わずに消えた。それでいいだろ」
どうして。どうしてそんなに優しい笑顔なんだ、ユリネラは。
「あたしも姉さんみたいに黙って消えようと思ったのに。どうしてこうなっちまったんだろう」
「なんでそんなこと言うんだよ! なんだよ、それ……!」
ユリネラは困ったような顔をしていた。でも取り乱した風ではなくて。わがままな子供を見て困ったなと思っている程度の表情だった。その顔を見て僕はさらに焦りを覚えた。
「何か……何か方法はないの!」
「あるわよ」
ユリネラの代わりに魔女が答えた。
「アンデルセンにあるでしょう……というか、アンデルセンの童話を参考にしてわたしが作ったわけだけれど」
「パクったんだろ」
「パクリじゃないわ。オマージュよ」
ユリネラの悪態にマリアさんが神経質そうに眉間に皺を寄せる。
「雅くん、もう予想は付いているんじゃないの?」
「お、王子様を刺す、ナイフ……?」
「その通り!」
マリアさんはぱっと花が咲いたように笑った。
「ああ。なんて素敵な悲劇! 王子様を好きになって、声を魔女に売ってまで地上に行ったのに、王子様は振り向いてくれない。このままでは人魚姫は泡となって消えてしまう。そんな彼女を心配して、彼女の姉妹が一発逆転アイテムを届けてくれるの。王子の心臓をそれで刺せば元に戻れる、ウルトラびっくりアイテム!」
魔女は胸の前で手を組み、演劇かかった声で捲し立てた。
「さあ、あなたが人魚姫だったら、どうする?」
魔女はニヤリと唇を歪めた。灰色の目から妖しい光を放ちながら、僕の顔を覗いて小首を傾げる。僕は何も答えることができなかった。




