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第四章 人魚の秘密と姉妹の秘密③

 ウチに帰りつくと、ユリネラは妹と一緒にお風呂に入ってくれた。その間に、僕は昼食を準備する。三人でお昼を食べた後は二人とも昼寝を始めた。疲れたのだろう。僕はシャワーで汗を流したり、掃除をしたり、宿題をしたりして時間を潰した。

 マリアさんが話していたことについて、ユリネラに改めて聞くことはできなかった。ユリネラはウチに帰ってきてからずっと顔色が悪かったし……。妹に対しては笑顔で接するのに、ふと見せる表情は沈んだ顔なのだ。そんなユリネラに、気の利いたことを一言も言えない僕自身も情けなくて少し落ち込んだ。

 魔女が持っていかなかったので、ヒトデ達はまだ僕の手元にいる。とりあえず、彼らには水槽に入ったまま僕の部屋にいてもらうことにした。

 そのまま夜になっても、マリアさんはお酒を飲み続けているのか帰ってこなかったので、僕達は早めに就寝することにした。

 自分の部屋の電気を消して布団に入っても、色々なことが思い出されてなかなか寝つけない。そのまましばらく、ブランケットを被ってまんじりともせずにいると、枕元の水槽からヒトデ達のシクシクと泣く声が聞こえてきた。

「ああ。もう僕達はおしまいっすー」

「でも、この方の妹さんをあやうく水難事故に巻き込むところだったっすー」

「こんなことをしでかして、助けてくださいなんてとても訴えらえないっすー」

 小さな声で囁き合うヒトデ達。どうやら、僕が眠ったと思っているようだった。気まずい。僕は起きるに起きられなくて、目を瞑り続けることにした。

「ああ。せめてあの書類が届いていればー」

「ご主人様の機密文書らしきものを持ち出したんですがー」

「オイラ達には内容がよくわからなかったっすけどー」

「何か、ご主人様の弱点を握れるかと思ったっすー」

 ヒトデ達から大きな溜息が漏れた。

「この海岸に着くように、持ち出した書類を海流郵便に乗せたんすけどー」

「海底で拾ったワインの瓶に入れて偽装までしたのにー」

「いくら待っても到着しなかったっすー」

 再び、ヒトデ達が溜息をつく。

「もう仕方がないっすー。また元の仕事に戻るだけっすー」

「地獄っすけどー」

「仕事の前に、どんな拷問にかけられるか考えるとチビリそうっすー」

 ヒトデ達は震える声でそう言って、さめざめと泣いた。彼らの鳴き声に責められ、僕は居たたまれない気持ちで目を閉じる。ごめんなさい。僕は君達を見捨てます。ユリネラを助けるにはそれしかないから。ごめんなさい。

 僕が心の中で懺悔の言葉を繰り返しているうちに、ヒトデ達の泣き声は次第に小さくなっていった。代わりに、寝息やいびきが聞こえ始める。泣き疲れて眠ってしまったのだろうか。

 僕は静かに布団を離れて部屋を出て、一階の台所に向かった。ヒトデ達と同じ部屋にいるのは辛かったんだ。


 暗い台所の電気を点けた。すると、先客がいたことがわかって僕は面喰う。

 先客はユリネラだった。僕もびっくりしたけど、ユリネラも目を見開いて僕を見ている。ユリネラは電気も点けずに、暗い場所にずっと一人でいたのだろうか。

「あ、雅……」

「ユリネラ? どうしたの? 大丈夫?」

「あたし、その、喉乾いてよ。あと、昼寝し過ぎたのかな。なんか、目が覚めちまって」

 ユリネラは「ハハハ」と笑いながら頭を掻いた。どこか乾いたような笑い声だった。

「僕も喉が渇いて」

 そう言うと、ユリネラがコップに水を注いで渡してくれた。

「ありがとう」

 水を口に含む。冷たい。飲み込むと、喉からお腹に冷たい水が広がっていくのがわかった。一息つくと、ヒトデ達に感じた複雑な気持ちも落ち着いてくる。

 改めてユリネラの方を見た。寝巻き姿はいつものとおりだし、顔は笑っている。でも、どことなくいつもよりは元気がないように見えた。

「なんだよ。あたしの方ジロジロ見てさ」

「いや……」

「もしかして、心配してくれてんの?」

「えっと……うん」

 僕が頷くと、ユリネラがクスクスと笑った。

「大丈夫だよ。あたしはそんなに弱くねーし。それに、雅まで、糞ババアみたいに姉さんのこと誤解すんなよ」

 ユリネラは胸を反らして、ふんと笑った。

「姉さんは親しい人には素直にものを言う人なんだ。だから、たまに誤解されることもあるけど、純粋な人なんだよ。そもそもあたしがブスだって言うのも本当の事だろ。姉さんみたいな美人とは月とすっぽんだよ。姉さんは物覚えがいいけど、あたしはバカな出来損ないだし。あたしは言葉づかいも態度もなってないけど、姉さんは礼儀正しいし、それに、姉さんは本当に美人で優しいからな。いろんな人間の男にモテるのも当然なんだ。魔女は姉さんがさも男をとっかえひっかえしてたみたいに言うけど、そんなのは違う。姉さんはいつも真剣だったよ。恋人のことを心の底から好きになってたし、恋人の傍にいるときはいつも幸せそうに笑ってた。姉さんが恋人から贈り物をもらってたのは事実だけど、別に姉さんがねだってるわけじゃなくて、相手がどうしてももらってくれって言ってくるんだって。さすが姉さんだよな。そこまで相手を惹きつけちまうんだ!」

 少し声を上擦らせながら、ユリネラは矢継ぎ早に言葉を紡いだ。まるで、何かに急かされるみたいに。少しかわいそうなくらい必死だった。でも、僕はユリネラの言葉に素直に頷いた。

「そっか。アリアラは本当にいい子なんだね」

「そうだろ! そう思うだろ! やっぱ、雅はちゃんとわかってくれんだな」

「うん。肉親のユリネラがそう言うんだもん」

「だよな。姉さんを一番知ってるのは、あたしだもんな」

 ユリネラは嬉しそうにニコニコ笑った。

 実際のところ、アリアラがどんな性格なのかは、今の僕にはわからない。でも、ユリネラが言うアリアラの姿を信じてもいいんじゃないかと思ったんだ。少なくとも、ユリネラがそれで笑顔になってくれるなら。

 でも、その前に、僕には主張しておくべきことがあるように思えた。

「でもさ」

「ん?」

「ユリネラはブスなんてことないよ」

「へ?」

 きょとんとするユリネラに、僕は言葉を続けた。

「ユリネラは十分美人で、アリアラに負けてないと思うけどなあ。というか、二人は顔が結構似てるよ」

「は?」

 ユリネラは、びっくりしたような、怒ったような、困惑したような色々な感情の混じった不思議な顔をした。

「お、お前、目ぇわりいんじゃねーの? おかしいよ!」

 喉が渇いたらしいユリネラは、コップに水を注いで一気に飲み干す。

「そうかな」

「おかしい! 絶対!」

「そうだねえ。アリアラのアプローチにも僕は全く気が付かなかったし。感覚がおかしいいのかも」

「そうだよ。おかしいぜ!」

 ユリネラの僕を責めるトーンが普通の状態に戻ってきた。それに安心を覚える僕は自分自身に苦笑する。

「今思うと、アリアラに失礼な態度をとってたかもってことが、あといくつかわかるよ」

「なんだよ、聞かせろよ」

 ユリネラはワクワクとした表情で、僕の顔を覗き込んだ。僕は苦笑いしつつ、素直に白状することにした。

「二日目の夜にね、アリアラが『今日はなんだかひとりで眠れないんです』って、スケッチブックに書いて僕の部屋に来たんだ」

「マジか!」

 ユリネラが大きな声を出したので、僕は人差し指を出して「しー」と言う。ユリネラは済まなそうな顔をして、今度は声のトーンを抑えた。

「ついにだな。あんまりに朴念仁な朴念仁に業を煮やした姉さんが、ついに自分から動いたんだ! で、それから、お前はどうしたよ?」

「えっと……妹の部屋に連れて行って、妹と寝てもらった」

 ユリネラは絶句したように、口をぽかんと開けて僕を見る。なんだか重苦しいような沈黙で台所が満たされてしまった。てっきり罵倒されるか、殴られるかすると思っていた僕は逆に焦ってしまう。

「あ、あのね、妹がアリアラと一緒に寝たいってゴネてたからさ。そのことを気に掛けて二階に上がってきてくれたんだと思ったんだよ。その後も夜中に二階に来たことがあったけど、『わざわざ妹のためにありがとう』って言ったら、アリアラは笑って――たぶん、苦笑してたんだろうけど、妹の部屋に行ってくれて……」

 ユリネラが何もしゃべらないことに不安になってしまった僕は、聞かれてもいないのに追加エピソードを話してしまう。それでも、ユリネラは黙ったままで、なんだか神妙な表情で僕のことを見ていた。奇妙な緊張感。なんだか恐ろしい。これなら、怒ってくれた方がマシだ。言葉に出せないほどに、僕のことに呆れているんだろうか。

 バシン、と、しばらくたって、ようやくユリネラが僕の頬を叩いてくれた。

「痛てて」

 とは言ってみたが、全然痛くない強さだった。

「ばーか」

 ユリネラは短い銀髪の隙間から覗く青い瞳で僕をじっと見ながら言った。

「せっかくの童貞喪失のチャンス潰して、雅のばーか」

 そう言うと、ユリネラはクスリと笑った。僕は赤くなって言い返す。

「ど、どどど童貞なんかじゃ……」

「あれ、童貞じゃねーの?」

 わざとらしくキョトンとした表情で僕を見つめ返すユリネラに、僕は負けた。

「すみません……見栄を張りました」

「ワッハッハッハ! そうだろ、そうだろ。まったく、お前ときたら、女より妹、妹、妹なのな。このシスコン野郎」

 満足そうに笑ったユリネラは、しかし、その青い目を細めて優しい表情になった。

「でもさ、そういうとこがお前のいいところだよ。案外、その辺に姉さんも惹かれたのかもな。似たもの姉妹だからな」

「え?」

「なんちゃって。おやすみ!」

 ユリネラは僕に背を向けて、小走りに台所から出て行った。

 なんだったんだ、今の?

 一人取り残された台所で、僕は首を傾げる。でも、軽やかなユリネラの足音にほっと安堵の気持ちを覚えて、そっちの方が僕にとっては大切だったんだ。

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