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第四章 人魚の秘密と姉妹の秘密②

「あのー」

 そんな僕らにおずおずと近づいてきたのは、さっき妹が追いつめたヒトデだった。

「オイラのせいですいませんでしたっすー。お嬢ちゃん、大丈夫だったでしょーかー?」

 ヒトデはおろおろとしているような雰囲気だった。

「もうオイラ逃げないっすー。捕まえてくださいっすー。残りのみんなも呼ぶっすー」

 そのヒトデから「ヒュウ」という口笛みたいな音が鳴った。すると、岩の下と砂山の中から二匹のヒトデが這い出てきた。まるで自首する容疑者のように、頭代わりの突起を垂れておずおずと歩いてくる。僕は三匹のヒトデを摘まみ、複雑な気持ちを抱きつつも仲間のいる水槽に入れた。

 妹が僕の忠告を無視して無茶なことをしたのが悪いということはわかっている。でも、その原因となったヒトデに複雑な感情を抱かずにはいられない。それに、このヒトデを集めないとユリネラが消えてしまうことになるんだ。だから、捕まえるしかない。僕はそうやって自分自身を納得させながら水槽に蓋をした。

「なあ、玲が眠っちゃったぜ。泣き疲れたのかな」

「本当? それなら、そのまま一旦ウチに連れて帰ろうかな」

 僕はユリネラから妹を受け取り、背中に背負って立ち上がる。眠った子供は重たい。おまけに服が水を吸った分だけさらに重量が増えている。でも歩くのが無理な重さではなかった。僕は踏ん張って立ち上がり、妹の重心の位置を調整しながらゆっくりと歩き出す。僕の横に、海水に濡れた水着姿のままのユリネラが、ヒトデの入った水槽と荷物を担いで並んだ。

「ユリネラ、どうしたの?」

「あたしも一緒に帰ろうと思って」

「それはいいけど、その格好のまま帰るの?」

「ああ。着替える時間もシャワー浴びる時間もないし。いいだろ?」

 確かに、早く妹を連れて帰りたいから、ユリネラの着替えを待ってはいられないんだけど。ご近所でも、サーフィンやマリンスポーツをする人で、ウェットスーツや水着のまま海岸から帰ってくる人も見かけるし、問題はないとは思う。

 でも。

 隣に並ぶユリネラを改めて見て、思わず赤面してしまう自分に僕は気が付いた。

 ユリネラは海から上がったままきちんと拭いていないから、濡れた銀色の髪がぺたんと顔に貼りついている。髪の先から滴る雫が、頬から、首筋、それから胸元へと流れていった。水に濡れているせいなのか、ユリネラはいつもと少し違って――なんというか、その、色っぽいように見えた。

 でも、冷静に見たって、そりゃあ豊胸手術後みたいなマリアさんの体型はすごいんだろうけど、ユリネラも十分スタイルはいいんだ。少し日に焼けた体は、手も脚もすらりと伸びていて、胸も小さくないというかむしろ大きい方だし、お腹はきゅっと引き締まって、腰からお尻にかけてきれいな曲線を描いている。顔だって、ぱっちりと開いた青い瞳と、すっと通った鼻に、ほんのりと朱色が差した小さな唇。すべてのパーツがバランスよく配置された、整った顔立ちだった。

 海水が目に入ったのか、ユリネラは何回か目を瞬かせた。髪は銀色なのに、長い睫毛は黒い色をしているんだなあと、僕はなぜだか目を離せずに、気が付いたら、そんな細かいところまで観察してしまっていた。

「ん? どうした?」

 ユリネラが怪訝な顔で僕の方を見た。僕は妹が重たいふりをして下を向く。

「いや、別に、その……」

「あ?」

「いや、なんかさ……その……」

「なんだよ」

「綺麗だなって……思って……」

 僕は赤くなって俯いた。ユリネラは首を傾げる。

「え? 何が?」

「ユ、ユリネラが……」

 言ってみてから、ユリネラを横目で覗くと、彼女は青い瞳を大きく見開いていた。

「バ、バカじゃねえの?」

 そう言うと、怒っているように顔を真っ赤にして、僕に怒鳴りつけた。

「そういうことは姉さんに言えっての。あたしに言ってどうすんだよ!」

「だ、だけど」

 僕は下を向いて続けた。

「そう思ったから……」

「な……!」

 ユリネラは絶句したみたいに固まってしまった。僕も再び下を向いて、言葉を発せられなくなる。潮騒と蝉の声だけが聞こえる。奇妙なくすぐったい感覚が満たす空間。

 だが、それは魔女の襲来によって破られた。

「ホホホホホ! 全く、下手なラブコメにもならない会話ね」

「な、テ、テメー!」

「大変そうな雅くんを助けてあげようと思ったのよ」

 そう言ってマリアさんがパチンと指を鳴らすと、妹の両肩からひも付きの風船がいくつも生えた。ふわふわと空中に漂うそれが妹の体重を支えているのか、僕の負担は大きく減った。

「楽になったでしょう?」

「あ、はい……。ありがとうございます」

 灰色の目を細めて笑うマリアさんに、僕は複雑な気持ちを抱きつつも一応頭を下げる。僕の横のユリネラは「ケ」と悪態をついて、不機嫌そうな顔で横を向いた。

「それにしても、ユリネラを綺麗だなんて、面白い感性をもっているのね、雅くんは」

 マリアさんはクスクスと笑った。僕は少しムッとしながら魔女に反論する。

「何なんですか。失礼ですよ、笑ったりして」

「だって、ちょっと前まではとびきりの美少女と同居していたでしょう? それなのに、こんなヤンチャな子を綺麗だなんて言うから、奇特な男の子だと思ったのよ」

 そう言って、マリアさんは意地の悪い笑みを浮かべた。

「ユリネラのスタイルも悪くはないけど、アリアラの方がいいでしょう? アリアラの方が色白で、守ってあげたくなるようなタイプの可愛い女の子じゃない」

「いや……色白のイメージは確かにありますけど、別に……。スタイルがどんなだったとか、実はあんまり覚えてなくて……」

 僕がそう言うと、マリアさんが怪訝そうな表情で僕を見た。僕はなんだか悪いことをしたみたいな気がして、下を向いた。

「す、すみません。あんまり細かく見てなかったのかもです……」

「まったくよー。お前はどこに目ぇ付いてんだって話だよな」

 ユリネラにまでからかうように肘で突っつかれた。どっちの味方なんだ、君は。

「ふふふ。でも案外、雅くんの見る目は正しいのかもしれないわね。アリアラのいいところは外見と取り繕った言動だけで、性格は最悪だったもの」

「え?」

 僕はマリアさんの言う意味がわからなくて、マリアさんの方を見ながらぽかんとする。マリアさんは、扇子で口元を隠していてもわかるくらい、ニヤニヤと歪んだ笑顔を浮かべていた。ユリネラが慌てたようにマリアさんに飛びかかる。

「ちょっ……! なに言ってんだよ!」

 そう言って掴みかかるユリネラに対し、マリアさんは扇子でいなしながら灰色の目を細めた。

「だって。相当なぶりっ子でしょ、アリアラってば。声があった頃は、鼻にかかったわざとらしい甘え声で、イケメンやら金持ちやら王子様やら、片っ端から誘惑してたじゃない」

「姉さんは、そんなんじゃねえ!」

「そうかしら? 飽きっぽくて次から次へと……尻軽にしか見えなかったけど」

「テメー! 黙れや!」

 激昂したように声を荒げるユリネラ。でも、マリアさんは構う様子を見せない。

「確かにモテるための努力だけは認めざるを得ないわね。料理や言葉の勉強。一日に何度も鏡を見て、表情の作り方を練習したり、人魚のくせに日焼けを嫌ってわたしからから大量に日焼け止めを買ったり。スタイルをよくするために、美容薬もよく買ってくれたしね。美容器具やら化粧品やら、大のお得意様だったわ。まあ、金持ちどもに貢がせた財産がたんまり有るから、いくら使おうと構わなかったんでしょうけど」

「べ、別にいいだろ! 姉さんは恋に一途な努力家なんだ! 誰だって好きな人に好かれたくて努力するだろ。それに姉さんは別に男の人に貢がせようとしてたわけじゃない!」

「そうかしら? まあ、それはいいとしても。他人にはおべっかばかりなくせに、あなたお姉さん、あなたのことは随分バカにしてたじゃない」

 そう言うと、魔女は意地の悪い視線をユリネラに送った。

「バ、バカになんてされてねえ!」

 大きく叫んだユリネラだが、その声はなぜだか震えているように聞こえた。

「あら、アリアラはわたしにまであなたの悪口を言ってたわよ。自分と似てないブスだとか、可愛くないとか、あんなに日焼けしちゃってバカみたいとか、いちいちガサツで付き合ってられないとか、頭の出来の悪いとか、出来損ないだとか。あなたお姉さんに嫌われてたわよね。面と向かってお姉さんから結構キツイこと言われていたんじゃないの?」

 ふふん、と、小馬鹿にするように魔女は笑った。ユリネラは、はじめは魔女を精一杯睨み付けていたが、だんだんと下を向いて黙ってしまった。握られた拳が微かに震えている。

 打ち寄せる波の音と蝉の鳴き声が響く中、居心地の悪い沈黙がしばらく続いた。

「ユ、ユリネラ、本当……なの……?」

 僕が小さな声で尋ねると、ユリネラは頭を横に振った。

「ち、ちげーよ! ね、姉さんはそんなんじゃ、ない……」

 それは、やっとといった様子の、搾り出すような声だった。だが、ユリネラは再び顔を上げると、今度は捲し立てるように早口で喋り始めた。

「あたしが小さい頃は、姉さんはあたしをそりゃあ大事にしてくれたんだ。優しくて、甘えさせてくれて。ちょっと酷いこと言われることはあったけど、全部あたしを心配して注意するために言ってくれたことだ。一度あたしがキレちゃって『もう出てくよ』って言ったら、『ごめん、もう嫌なこと言わないから』って。『この世で一番ユリネラが大事なの。だからついつい色々言っちゃうの。わたしを置いて行かないで』って泣いて抱きついて来たんだ。だから! あたしは姉さんに嫌われてなんかいねえ! 嫌われてなんかねえよ!」

 魔女はユリネラの必死な言葉を鼻で笑った。

「それ典型的なDVする人の弁明よね。アリアラの場合は暴力じゃないけれど。ねえ、そう思わない、雅くん?」

 ニコニコ笑いながら同意を求めるマリアさんに、僕はなんとも答えることができなかった。

 僕のウチに滞在していた時のアリアラは、いつも優しく笑っている印象しかなかった。僕の妹にも優しくしてくれたし、妹も懐いていた。それに、ユリネラがウチに来たのは、アリアラにつれなくした僕のことを説教するためなんだし。優しい姉と、姉を心配する妹――そんな理想的な姉妹というイメージしか僕の中にはなかった。それなのに――。

「まさか……あんなに優しかったアリアラが、ユリネラを……?」

「ふふふ。たいてい、DVする人って外面がいいって言うじゃない。アリアラもそういう人なのかもしれないわよ? あ、あと。あれは酷いと思ったのよね」

 マリアさんは長い人差し指を頬に当てて記憶を掘り返すようにしながら、言った。

「妹の男を奪うっていう癖――というか、性癖?」

 マリアさんの言葉を聞いた途端、ユリネラは目を剥いて魔女に食ってかかった。

「ちがっ! ちげーよ! 何言ってんだよ、このクソババア!」

「事実でしょ。あなた、何人恋人をお姉さんに盗られたの?」

「こ、恋人なんていねーもん……」

「ああ、言い方が正確じゃなかったわね。あなたがちょっと人間の男の子と仲良くなると、あなたのお姉さん、すぐその相手と寝たわよね」

 ユリネラは目と口を見開いたまま固まってしまう。

「何なのかしらね、あれ。もう病気としか思えないわよ。妹が好きになろうとしてる男の子を好きになっちゃう病っていうか、本格的に好きになる前に寝とっちゃう病っていうか」

「やめろよ! たまたまだろ! つーか、あたし、別にそいつらのこと好きになんてなってねーし!」

 ユリネラはムキになった子供みたいに、顔を赤くして必死だった。

「あら。あなたが漁師の男の子とか、海辺のお城に住む王子様とかと友達になると、いつの間にか、あの薬で人間の姿になったアリアラがその子達に近付いて、あっという間に男女関係を結んでいたじゃない。ま、すぐに飽きて二、三日で捨てて海に帰ってきてたみたいだけど」

「やめ……!」

 絶句したユリネラに、マリアさんはわざとらしい溜息をついてみせた。

「その頃はあの薬の対価として、『若さ』をもらっていたんだけど。でも、どこからか、わたしが乙姫ちゃんに譲ったはずの玉手箱を手に入れたみたいで。適当な男の子を海に招いては若さを補給してたのよね。そんなのつまらないじゃない? だから、今回、『薬瓶の薬を全部使い切っちゃったから新しいのを頂戴』って言ってきたときには、あの子の『声』を頂いたわけ」

 魔女は灰色の目を細めておかしそうに笑った。

「あの子の鼻にかかった甘え声はあの子にとって最強の武器よ。あなたの好きになった子だけじゃなくて、数々の金持ち、権力者、イケメンをそれで落としてたんだもの」

「ね、姉さんは別に、遊びじゃなくて……いつも、相手のこと本気だったし! 一度好きになると、その人しか見えなくなるっていうか……」

「ふうん、そうなの? まあ男関係の話はこれで終わりにしましょうか。その代り、もっと酷いことを教えてあげるわ」

 そう言って魔女はユリネラの耳の辺りにかかった銀色の髪を掴んだ。

「やめろ!」

 制止するユリネラの声と手を無視して、マリアさんは掴んだ銀色の髪を掻きあげた。そこには当然ユリネラの耳があったんだけど、その耳の形状が少し普通とは違っていた。耳の上半分が、真っ直ぐな線を介して失われていたのだ。

「普通の人魚はね、耳の先端が魚の胸ビレみたいな形状をしているのよ。そこに人間とは比べ物にならないくらい優秀な聴覚を持っているの。だから、卵から孵った時に、人魚の群れに向かって進むことができるわけ。魚群探知機みたいなものよね」

 マリアさんはユリネラの髪を掴んだまま、淀みなく解説を続けた。

「ユリネラはその部分が欠損してるせいで聴力が――そうねえ、一般的な人間くらいかしら。そのくらいしかないのよね。でもそれはアリアラも同じなのよ。ねえ、ユリネラ?」

 ユリネラは髪を持つマリアさんの手を振り払うと、下を向いた。口を一文字に引き結び、悔しそうにも、不貞腐れたようにも見える顔をしていた。

「……ああ、そうだよ。姉さんは、嵐の日に波の呑まれて人魚の群れからはぐれちまったんだ。その時に岩礁にぶつかって、両耳の聴力が小さくなっちまったんだよ。そんで、元いた群れに帰れなくなった」

「人魚は回遊する生き物だものね。それからアリアラは何十年も一人で過ごしたのよ。そして、寂しくておかしくなってしまいそうなアリアラの前に現れたのが、卵から孵ったばかりのこの子だった。その時はユリネラの耳はしっかりあって、人魚の群れに向かって泳いでいるところだったの」

 マリアさんは真っ赤な唇の端を吊り上げて笑いながら、見てきたかのように語った。

「アリアラには二つの選択肢があったと思うのよ。一つは、ユリネラの後をついて行って、どこかの姉妹グループに合流すること。でも、それだと、アリアラが一人で群れから離れることがあれば、また合流できなくなってしまう。だから、アリアラはそれを選択しなかった」

 魔女は、楽しくてならないという顔で僕の方を向いた。

「雅くん、どうしたと思う?」

「さ、さあ……?」

 僕は不穏な空気に戦きながらも、首を横に振った。

「アリアラはユリネラを捉まえて、自分のたった一人の妹にした。そして、ユリネラの耳を切ったの」

「え……?」

 僕は、目を見開いた。言葉が出てこない。ユリネラの方を見ると、傷ついたような表情をしていた。自分の耳がヒリヒリと痛んだような気がした。

「ふふふ。まだ物心つく前のユリネラは、ちょっと目を離すとすぐに他の姉妹グループの元に泳ぎだそうとするから、自分の手元におくために仕方なくって言っていたけれどね」

 魔女は意地悪な笑みを浮かべながら、ユリネラの顔を覗きこんだ。

「あなた、知ってた?」

「知ってるよ……なんとなく、記憶にある……」

「なあんだ。覚えてたの。驚かそうと思ったのに、つまらないわ」

 泣きそうな顔で下を向くユリネラを、マリアさんは満足げな表情で見つめた。ユリネラは俯いたままぽつりと呟く。

「姉さんは、もう一人になるのは耐えられないって言ってた……」

「なるほど。アリアラが男をとっかえひっかえしてたのは、そのせいかもしれないわね。ホホホホホ!」

 魔女は興味深そうに頷き、楽しそうに笑った。僕は言葉もなく、二人を交互に見ることしか出来なかった。

 海岸通りに風が吹いた。夏の終わりを告げるような、冷たい風だった。

「もう……姉さんの話はやめにしてくれ。お願いだ……」

「そうね、悪かったわ、ユリネラ」

 魔女は、絵画の中の聖母のように優しい笑顔を浮かべながら、ユリネラの頭を撫でた。ユリネラはそれを振り払う力も出ないらしく、されるがままだった。

「それじゃあ、わたしはお酒でも飲みに行ってくるわ。その風船は家に着いたら自動的に消えるから。玲ちゃんはあったかいお風呂にでもいれてあげなさいね」

 僕達に背を向けると、魔女は脇道へと消えていった。

 俯いたままのユリネラに、僕はなんて言って声を掛けていいのかわからなかった。波の音と、蝉の鳴き声だけが響く。でも、その鳴き声は盛夏の頃と比べればずいぶん弱々しいように聞こえた。

「行こうぜ」

 ユリネラはぼそりと呟くように言った。

「う、うん」

 下を向いたまま歩き出したユリネラに、僕は黙って従った。何かを話すような雰囲気ではなくて、僕達は口を閉ざしたまま、蝉が最後の力を振り絞る鳴き声を聴きながら歩き続けた。

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