第四章 人魚の秘密と姉妹の秘密①
翌日、残り三匹のヒトデ捜索を再開した。
「クソー、全然見つかんねーぞ」
そう言うと、水着姿のユリネラは砂浜にバタンと仰向けに倒れ、駄々っ子のように手足をバタバタさせた。昨晩とは打って変わって元気になっているようにも見えるけど、なんだか、わざとらしくも見える。僕は潮干狩り用の小さい熊手で怪しげな砂山を掘り返しながら、ユリネラの様子をチラチラ覗かずにはいられなかった。
一方のマリアさんは今日も中身が零れ落ちそうなほど胸元の開いた黒のドレスを纏い、長い脚を組んで優雅に腰かけていた。椅子代わりにしているのは、ヒトデ達の入った水槽だ。ヒトデ達は生きた心地がしないようで、ピクピクと痙攣するように震えている。しかし、残酷なる魔女は、灰色の瞳を細めてニヤニヤと楽しそうに笑い、存分にその様を楽しんでいるようだった。
「お兄ちゃん、わたしあっち探してくるー」
「あんまり危ないところに行かないようにね」
「わかってるよー」
動きやすいサロペットを着た妹は、元気に浜辺を走り回っていた。ここのところ、ユリネラと僕が海に入っているのを見続けて、波打ち際を多少は行き来できるようになったみたいだ。
妹の後ろ姿を見守りながら、なんだか大変なことになっているなあと、改めて思う。そりゃあ、家族を事故で亡くして、妹との二人暮らしが大変じゃなかったなんて言うつもりはないけど、少なくとも、最近は落ち着いて穏やかに暮らしていたように思う。それがここ一週間程で様変わりしてしまった。人魚二人に、魔女一人。なんだか、当たり前にその存在を受け入れてしまっているけど、実際はとんでもないことだ。普通だったら、そんなものに遭遇したら大ニュースだし天地がひっくり返るような出来事のはずなんだけど、僕は自然体で彼女らに接している。
多分、みんな普通の人と変わらなかったからだと思う。確かに変わっているところはあるけど(特にマリアさん)、アリアラもユリネラも、どこにでもいそうな普通の女の子だった。
すべてのきっかけはアリアラだったのだろうか。その時は人魚だなんて想像だにしなかったんだけど。声を魔女に差し出して僕のところにやって来たという人魚の女の子。長い黒髪と透き通るくらい白い肌をした、清楚な雰囲気の女性だった。青い瞳はユリネラと同じ色、顔立ちもやっぱり似ていた。日本人の僕が驚くくらい日本料理が上手だったし、妹にも優しくて、本当に素敵な女の子だったと思う。僕へのアプローチみたいなものには全く気付かなくて、それはたいへん申し訳ないことをしたのかもしれないけど……。
それとも、一番のきっかけは二年前の事故で僕達兄妹を助けてくれた、あのきれいな黒髪の人だろうか。あの人はやっぱりアリアラだったのだろうか。
「きゃー、いたー!」
僕の思考を、妹のいつもより一オクターブ高い歓声が途切れさせた。
「ヒトデさん待ってー!」
妹の声がした方を見ると、まるで短距離ランナーのように砂浜を猛然と走り抜けるヒトデが目に飛び込んできた。波の紋様の入った身を起こし、四本の突起を手と脚のように使って、すばらしいランニングフォームを見せつけている。昨日捕まえたヒトデ達に比べても、随分と足の速いヒトデだった。妹が「きゃはは」と笑いながらその後ろを追いかける。
「あら、あれはウチの万引きGメンじゃない」
魔女が呟いた。
「万引きGメン?」
「そう。わたしのお店から万引きして逃げようとする客を走って追いかけて捕まえるの。で、わたしの部屋まで連れてきてもらって、お客さんにはしっかり『お説教』して『反省』を促すわけ」
「な、なるほど」
僕はどんな説教と反省かは聞き返す勇気がなく、適当に笑って誤魔化した。魔女は灰色の目を細め、流木の下を確認しているユリネラに視線を向ける。
「まあ、まれに取り逃がすこともあるけどね。誰かさんみたいに、万引きの手付きが上手すぎて、取られたことに気付けない場合もあるし」
「ドーモスンマセンシター」
ユリネラは魔女の言葉に、死んだ目と棒読みの声で応えた。
一方の妹は、まだヒトデを追いかけている。その姿はいつの間にか、砂浜の端にある波消しブロックのあたりにまで近付いていた。僕は慌てて立ち上がる。
「玲、待って! もういいから。危ないから、それ以上追いかけるのはやめなさい!」
「大丈夫だもん!」
僕は叫んだが、妹は聞こうとしない。僕は熊手を放り投げ、妹の後を追った。
地上でのアドバンテージか、ストライドの差か、ヒトデと妹の距離はだんだんと近付いていた。ヒトデは砂浜での勝負に見切りをつけたらしく、砂上から波消しブロックに飛び移る。コンクリート製のブロックからブロックへ、ヒトデは次々と器用に飛び移っていった。妹もそれに続こうと、波消しブロックに足をかける。
「やめなさい、危ないから。戻っておいで、玲!」
「大丈夫!」
僕を振り返りもせずに、妹はブロックによじ登った。ヒトデが海側へ逃げていくのを、妹もブロックからブロックへと移動して追いかける。
「むふふ! ヒトデさん、覚悟しなさい!」
「わわあ! 勘弁してくださいっすー!」
妹は悪の組織の幹部みたいな表情でヒトデに詰め寄った。しかし、どうにも足元がしっかりしているようには見えない。僕は見ているだけでハラハラした。
ヒトデが一歩下がろうとすると、妹は間合いを詰めるために右足を大きく前に踏み出す。
その時。
「きゃあああ!」
悲鳴と、ボチャンという大きな水音が聞こえた。
「玲!」
僕は叫んだ。足がガクガクと震えた。
「うそだろ……」
本当に、サアッと頭から血が引いていく音が聞こえた。
波消しブロックから踏み外した右足、宙を舞う妹の身体、驚きに見開かれる妹の目、海面に着水すると同時に飛び散る波しぶき――なぜか、すべてがスローモーションで見えた。
「わー! お、お嬢ちゃん、大丈夫っすかー!」
ヒトデが驚いたように、ブロックの上から海面を覗いている。
妹は恐怖に歪む顔でバシャバシャと必死に水を掻いていた。波消しブロック周辺は水深が深い。足が海底につかないんだ。妹は空気を求めて必死に顔をあげようとしているが、パニックのためにプールで泳ぐときのように体勢を立て直すことができないようだった。
まだ小さかった頃の妹の姿が脳裏に浮かんだ。あの事故の日、海面で苦しそうにもがく小さな僕の妹。心臓が握りつぶされたみたいに、ギリギリと痛みを訴えた。
「玲!」
僕は洋服を着たまま海に飛び出そうとした。だが、その腕をユリネラに掴まれる。
「あたしに任せろ」
そう言って、水着姿のユリネラは僕をぐいっと後ろに押しやり、代わりに自分が海に入っていった。
すばらしく整ったフォームで水を掻き、ユリネラは妹の元へ一直線で進んで行く。まさに水を得た魚という言い方がぴったりの泳ぎだった。手足や腰のしなやかな動きがスピードを増加させ、あっという間に妹の近くに到着する。水を掻いて暴れる妹を、ユリネラは立ち泳ぎになりながら抱きかかえた。
「もう大丈夫だぜ、玲」
それでもパニック状態の妹は、ユリネラの腕の中で暴れた。妹の手足が顔にあたり、妹の動きのせいで浮力が削がれて沈まされる。けれども、ユリネラは落ち着いた様子で、自分の顔は海に沈んでも妹が沈まないように掲げながら、立ち泳ぎを続けた。少しずつ少しずつ、こちらに近付いてくる。
浜辺に近付くにつれ、だんだんと妹も落ち着き、ユリネラの足が海底に着く深さになる頃にはおとなしくユリネラに抱きついていた。
「ほら、お兄ちゃんだ。もう大丈夫だぜ、玲」
妹に優しく声を掛けながら、ユリネラは波打ち際から陸に上がってくる。妹はユリネラに抱っこされて、泣きじゃくりながらその肩に抱きついてた。
「もう大丈夫だ、玲。雅も、もう心配すんな」
ユリネラは穏やかな笑顔を浮かべ、優しい青い瞳で妹と僕とを交互に見つめた。僕は体中から力が抜ける。思わず砂浜に膝をつき、はあああと、大きな息が口から漏れた。
見上げると、ユリネラはやはり優しい表情で笑っている。ユリネラの短い銀色の髪から幾筋も水滴が落ちて、日に焼けた体を流れ落ちていった。太陽に照らされた滴は、一つ一つがきらきらと輝いて見えた。
「少し休もうな、玲」
ユリネラは妹を抱えたまま、砂浜に敷いたビニールシートに向かった。妹をその上に寝かそうとすると、妹はユリネラから離れるのを嫌がった。泣きながらユリネラにぎゅっと抱きついて、離れなかったのだ。
「わかった、わかった」
苦笑を浮かべながら、ユリネラは妹を抱っこしたままビニールシートに座る。僕はバッグからタオルを出して妹にかけ、髪や体の海水を拭いた。
「おい、ババア、日傘」
「はいはい」
マリアさんが日傘を掲げて、二人への直射日光を和らげた。
「どうする、玲。もう帰ろうか。それともお兄ちゃんに着替えを取ってきてもらうか?」
ユリネラは泣き続ける妹に声をかけながら、抱っこした妹の髪や背中を優しく撫でた。
「大丈夫か、玲? 苦しいところとかない?」
僕が問いかけると、妹は嗚咽の合間に「大丈夫」と言って、また泣いた。
僕は膝をついて、ユリネラに土下座せんばかりに頭を下げた。本当に泣いてしまいそうな気持ちだった。
「あ、あ、ありがとう、ユリネラ。もう僕、なんて言ったらいいか……!」
「あはは。泳ぎだけだからさ。あたしが自慢できるのは」
ユリネラは笑い、ひらひらと手を振った。
「でも、本当にありがとう」
「いや……どういたしまして。なんつって。ははは」
ユリネラは少しはにかむように笑った。




