第三章 魔女までウチにやってきた④
「ほらほら、キリキリ働きなさい」
砂浜に海の魔女の声が響き渡った。炎天下の海岸には似合わぬ黒いドレス姿のマリアさんだったが、黒い扇子を黒い日傘に持ち替え、日焼け対策はばっちりの様子だった。
夏休みも終盤に入った海岸にはあまり人がいない。もともと、それほど有名な海岸でもないから、遠くに地元の子供達やサーファーが見えるくらいだ。
僕とユリネラは、膝半分の高さくらいまでを海水につけ、中腰になって海底を注意深く観察していた。地道な家出ヒトデの捜索作業だ。残暑の頃とはいえ太陽が燦々と輝く中では、かなりハードな仕事だった。
僕はハーフパンツにTシャツだが、ユリネラは早々に先日購入した水着に着替えていた。少し日に焼けた体に水色と黄色のビキニを身に着けた姿は、なんだかやはり眩しく見えて、僕はなるべくユリネラに背を向けて作業していた。
「ガーッ! また普通のヒトデだよ、クソッ」
海底の砂をひっくり返してヒトデを摘み上げたユリネラは、失望の声と共にそのヒトデを放り投げた。
「よーく見なさいね。わたしのヒトデにはこのマークが入っているから。見逃さないよう気合いを入れて探して頂戴」
そう言って、魔女は左手にはめた黒手袋を取ってみせた。手の甲に、波の形を象ったトライバルタトゥーのような模様が描かれている。マリアさんが言うには、逃げ出したヒトデにはそれと同じ模様が表面に刻印されているのだそうだ。
「なんだよ、あのババア、偉そうに!」
ユリネラは口を尖らせながら、ビチャビチャと、おそらくはわざと大きな波をたてながら海の中を大股で歩いた。悪態をつきたくなるユリネラの気持ちもよくわかる。
「わたしもヒトデさん探す……!」
事情をわかっていないものの、海岸までついてきた妹は必死の捜索を続ける僕達を見て心配になったようだ。真剣な表情で海に近づき、けれど、波打ち際まで来ると、それ以上進めずに固まり、眉をハの字にして寄せては返す波を見つめていた。僕は一旦海から上がり、恐々と海を眺める妹を抱えて波打ち際から遠ざかった。
「玲はいいよ。海岸で遊んでなさい。それか、お友達のおうちに遊びに行ってもいいんだよ」
でも、妹は僕に抱っこされながら、ぶんぶんと頭を横に振った。
「わたしも探す!」
「雅の言うとおりだぜ。玲は遊んでていいんだって!」
海の中のユリネラがそう言っても、妹は首を横に振るのをやめなかった。
「本当は雅だって関係ねーんだから、二人で帰れよ。ここはあたし一人で十分だよ!」
「なんだよ。たった一人でこの広い海岸から見つけられるわけないだろ。それにあの魔女は僕の魂のことも言っていたし、無関係じゃないよ、僕は」
「お兄ちゃんが関係あるなら、わたしも関係あるもん」
僕が抗議すると、妹も僕の腕の中で抗議した。
うーむ。妹を諦めさせるのは無理そうだ。
「それじゃあ、玲は砂浜に打ち上げられたヒトデがいるかもしれないから、それを探してくれる? 僕達は海の中を探すから」
「うん、わかった! わたし、がんばるー」
ぱあっと表情を明るくした妹は、元気よく浜辺を走り出す。引き潮でまだ湿っている砂浜を、洋服が汚れるのも構わず、目を皿のようにして地面を這いつくばりながらヒトデ探しを開始した。僕は妹を横目で見守りつつ、再び海に戻った。
「なんだよ。帰ればよかったのに」
ユリネラは不貞腐れたような表情を浮かべて僕に背を向けた。
「そういう言い方はよくないよ」
僕が眉間に皺を寄せながらそう言うと、ユリネラはチラリと僕の方を見て、それから再び僕に背を向けてからぼそりと言った。
「ふん……。ありがとう」
僕は咄嗟に「どういたしまして」という言葉が出てこなかった。居心地が悪いような嬉しいような恥ずかしいような心地いいような、不思議な気持ちになって、もごもごと「いや……別に」とか、なんだかはっきりしない言葉しか口にすることしかできなかった。僕は格好のつかなさを誤魔化すみたいに頭を掻きつつ、ヒトデ捜索作業に戻った。
そうしているうちに、バシャバシャと、海水の跳ねる音が近付いてくる。なんだろうと思って顔を上げると、マリアさんだった。
「ホホホホホ! ユリネラったら、モテモテじゃないの。玲ちゃんにも雅くんにも心配されて。愛されちゃってるわね」
脱いだ黒のハイヒールを片手に下げ、ドレスの裾をもう一方の手で引き上げながら歩くマリアさんは、中腰で屈むユリネラの顔を覗き込みながら言った。
「やっとあの完璧な姉に勝てそうで嬉しいんじゃないの、ユリネラ?」
「何言ってやがんだよ、知らねえよ」
ユリネラは魔女に背を向け、身を屈めたままヒトデの捜索を続けた。それでも、マリアさんは口の端に意地の悪そうな笑みを湛えたまま、しつこくユリネラの顔を覗き込むのをやめなかった。
「そうなの? てっきり、お姉さんを全く相手にしなかった男の子に優しくしてもらえて、すごく楽しんでるんじゃないかって思ったのだけどね」
そう言って、魔女は真っ赤な唇の端を吊り上げて、艶然と微笑んだ。
もしかして、マリアさんは遠まわしに僕のことを非難しているのだろうか。アリアラの気持ちに気づかなかったことについては、ユリネラからも相当に絞られたし……。そう思って、僕は小さくなりながらヒトデ探しを続けた。
手伝うでもなく周囲をウロウロするだけのマリアさんにイライラしたのか、ユリネラは海面を弾いて魔女に向けて水しぶきを飛ばした。
「邪魔なんだよ、どけよ!」
だが、水しぶきの軌跡は不自然に捻じ曲げられ、ことごとくがマリアさんを除けていった。魔女は楽しそうににこりと笑う。
「そうそう。邪魔と言えば、ユリネラはアリアラのことが邪魔だったでしょう?」
「は……? なに言ってんだよ、テメー……!」
手を止めて体を起こしたユリネラは、青い目を見開いてマリアさんを凝視した。僕も驚いて顔を上げると、マリアさんはわざとらしく小首を傾げていた。
「あら、違うの? 自分と違って女性らしくて、男にモテモテのお姉さんのことを、面白くないと思ってたんじゃない?」
「思ってねえよ!」
「ふうん。でも、あなた、あの男狂いのアリアラにかなり振り回されていたじゃない? 正直、邪魔な姉だと思ってたんじゃないかと思って」
マリアさんは無邪気そうな顔でにっこりと笑うと、ユリネラの顔色が変わった。
「は? テメーなに言ってんだよ!」
「可愛い雅くんがアリアラの毒牙にかからなくてよかったわねえ、ユリネラ」
え?
僕がきょとんとすると、ユリネラはマリアさんに詰め寄った。
「やめろよ!」
ユリネラはマリアさんのドレスの襟を掴むと、締め上げ、これ以上ないくらい怖い顔で魔女を睨み付けた。
「それ以上、姉さんのことを悪く言ったら、ぶっ殺すぞ!」
「はいはい。お口チャック、チャックね」
マリアさんはちっとも怖がる様子もなく、片手で口にチャックを閉めるジェスチャーをして見せた。
「ね、ねえ。いったい……?」
僕が二人に問いかけた時、妹の歓声が砂浜に響いた。
「あー! いたー!」
振り返ると、妹が自分の手より少し大きいサイズのヒトデを頭上に掲げていた。こっちに向かって得意満面の笑みを浮かべている。
妹の掴んでいるヒトデは、五つの突起が放射状に並んだ星のような形状こそ普通のヒトデと変わらないが、体表にはマリアさんの手の甲にあったのと同じ、波を象ったトライバルタトゥーのような模様が浮き上がっていた。突起を動かして、体をねじりながら妹の手から逃れようとしているが、がっちり握った妹の手を振りほどくことはできないようだった。
「か、かか、勘弁してくださいっすー!」
ヒトデがしゃべったのだろうか、絶望に満ちた声だった。ヒトデが話すということに、もう疑いを持たなくなっている自分に少し恐ろしくなる。
「お兄ちゃん、早く! 早く!」
妹がはしゃぐように僕を急かす。僕は海から出て、浜辺に持ってきていた水槽を手に妹の元に駆け寄った。それは昔、ザリガニを飼うために使っていた大きな容器だった。プラスチック製の透明な箱で、上面は空気が出し入れできるように網状の黒い蓋がついている。
「わー、出してくれっすー、お願いっすー!」
容器に放り込んで蓋をすると、ヒトデの悲痛な叫びが木霊した。ヒトデは下側二つの突起を足のようにして立ち上がり、横側二つの突起を腕のようにして透明なプラスチックの壁を叩き、上側一つの突起を苦悩する人の頭のように左右に揺らした。まるで牢屋に閉じ込められた人が無罪を訴えるような動きだった。
「ヒトデさんしゃべってるねー。すごーい!」
「お嬢ちゃん、助けてくれっすー。オイラ達、ただ、自由になりたかっただけなんすー。あんまりにもご主人様がオイラ達にひどい仕打ちを……うひゃ!」
ヒトデは妹を見上げながら切々と訴えていたが、妹の背後から魔女が顔を覗かせると、途端に口を噤んだ。
「あらあら。随分な言いようじゃないの。わたしはいつもあなた達のためを思って注意をして、わかりやすく指導をしていただけなのに」
いつの間にやら海から上がった魔女は、穏やかに微笑みながら水槽を覗いていた。
「ご、ごごご、ご、ご主人様ッ……!」
「何か言いたいことがあるなら言いなさい。今ここで! はっきりと!」
「い、いえ……。滅相もないっすー……」
それきり黙ったヒトデは力を失ったように倒れ込み、普通のヒトデのように水槽の底面にべたりと貼りついて動かなくなった。魔女に対して平伏しているようにも、ショックのあまり気を失ったようにも見えた。
「さあさあ。あと十二匹よ! もう少し頑張りましょうね!」
マリアさんパンパンと手を叩く音が浜辺に響いた。
水槽のヒトデはピクピクと痙攣するように震えていた。なんだかヒトデが可哀想になってくる。いくら僕達の魂を賭けているとはいえ、このまま魔女に引き渡してしまっていいものだろうか。




