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第三章 魔女までウチにやってきた③

 ユリネラは完全に不貞腐れていた。座布団の上であぐらをかき、ちゃぶ台に肘をついて、そっぽを向きながら座っている。薔薇の花も早々に髪からとってしまったので、僕は一輪挿しの花瓶に挿しておいた。ちゃぶ台でユリネラと対面する形でマリアさんが座り、僕は二人の横にちんまりと正座していた。

「ユリネラ、女の子がそんな座り方していいのかしら。しかも、万引きで怒られようとしている人がそんな態度とるなんて考えられないわよね」

 挑発的な笑みを浮かべながらマリアさんが言っても、ユリネラはそっぽを向いたまま、姿勢を変えようとはしなかった。マリアさんは「ふうん」と言って笑い、ユリネラから僕に視線を移す。

「雅くん、アリアラは随分礼儀正しかったでしょう?」

「は、はあ……確かにきちんとしていましたけど……でも、別に僕は礼儀なんて……」

「ほうら、ユリネラ。お姉さんはきちんとしていたそうよ。どうするの? うん? あなたはそれでいいの?」

 マリアさんはおちょくるように、腕を伸ばしてユリネラの頬を人差し指で突っついた。ユリネラはそれを乱暴に振り払い、ブスッとした表情のまま、さも嫌そうに座布団の上で正座をした。

「ふふふ。そうね。きちんと女の子らしくしてないと、またお姉さんに笑われてしまうものね」

 マリアさんが満足げに微笑むのを、ユリネラは逆三角形になった目で睨み返していた。

「そんなに睨まないでよ。元はと言えば、あなたが悪いんじゃない。人魚を人間にする薬、早く返して頂戴」

 ユリネラは不貞腐れた顔のまま、ボディーバッグから薬瓶を取り出してちゃぶ台の上に置いた。マリアさんは黒手袋を嵌めた左手で瓶を摘まみ目の前にかざすと、訝しげな表情を浮かべた。

「ねえ、ユリネラちゃん、一粒足らないんじゃない?」

「あん? そんくらい多目に見ろよ。一粒足して売り直せばいいだろ」

「そうはいかないわよ」

 マリアさんは艶かしくも、少しわざとらしい溜め息をついた。

「開封済みの薬を売れるわけないでしょ。この残った薬は全部廃棄よ。とんだ損失だわ」

「テメー、普段はそんな衛生管理してねえだろ」

「あら。そんなことないわよ。うちの店はそう言いうのしっかりやってるもの。開封済みの薬を誤魔化して売るなんて、うちの店の信用に関わるわ。できるわけないじゃない」

「テメーんとこの栄養剤にはよくフナムシやらオキアミやらが混ざってるって、かなり噂が広まってるぜ?」

「ただの噂でしょ。わたしは知らないわ」

 マリアさんはユリネラからツンと視線を逸らし、面倒くさそうな表情を浮かべながら黒い扇子で胸元を煽いだ。

「そんなことより。あなたのお姉さんがこの薬の対価に何を支払ったか、あなた、知ってるでしょう?」

 それまで強気だったユリネラの青い瞳が不安げに揺れた。

「……姉さんの……声……」

 急に弱気になったユリネラの声に、マリアさんは真っ赤な唇を歪めてニヤリと笑った。

「そうよ。アリアラの、あの『美しい言葉』を紡ぐ『美しい声』。アリアラが一番大切にしてるものを差し出させて、わたしはやっとこの薬を譲ったの。つまりそのくらいこの薬は貴重なものなのよ。そう簡単に始末がつけられると思ったら大間違いだわ」

「じゃあどうしろっていうんだよ」

「もちろん、あなたにも対価を払ってもらうわ」

 マリアさんはクスリと笑う。

「あの薬一瓶の対価は、薬を飲む者の一番大切なもの。でも、ユリネラ。あなたの一番大切なものは、ほら、この前わたしがあなたにアレを譲るときに頂いちゃったでしょう。だからね。アレ、返して頂戴。それで帳消しにするわ」

 ニコニコと微笑むマリアさんに対して、ユリネラは俯いてしまった。

「……した」

「え? なあに?」

「……アレは失くした」

 ユリネラは小さな声でぼそりと呟いた。マリアさんは困ったように眉根を寄せる。

「本当?」

「嘘ついてどうすんだよ。あたしの手元には、もうアレはねえし、どこ行ったかわかんねえんだよ!」

 マリアさんは腕を組んでしばし黙り込んだ後、溜息をついた。

「ふうん。なら、仕方ないわ……だったら他の方法で賠償してもらうしかないわね」

「あん?」

 睨みながら聞き返すユリネラに、魔女はにこりと笑ってみせた。

「あなたの魂を頂戴。アレを失くしたなら、代わりにもらえるのはそれしかないでしょ」

「な!」

 絶句して固まるユリネラ。話について行けないながらも、僕は思わず身を乗り出した。

「待ってください! ユリネラをどうするつもりなんですか!」

「死んでもらうわ」

 ニコニコと笑いながら、魔女は何でもないことのように言った。

「冗談はよしてください!」

「冗談じゃないわよ。まあ、正確には人魚に『死』という概念はないから、言語的に正しくはないのかもしれないけれどね」

 マリアさんはニコニコと楽しそうに微笑んだ。

「人魚の寿命は長い。長命な個体は千年くらい生きると言われているけれど、それでも、いつかは肉体的な限界がやってくるわ。寿命ってやつね。人間の場合は、活動停止し、やがて腐っていくけれど、人魚は少し違う。どうなると思う?」

「さ、さあ……?」

 僕が困惑していると、魔女は人差し指を立てながら得意げに説明した。

「人魚の体は、寿命が来ると『卵』になるの。大粒の真珠くらいの大きさの、数十から百個の卵に変化するのよ。でも、海の中は環境も厳しいし、生存競争も激しい。だから、無事に孵化して幼生体まで成長できるのはそのうちの一つか二つと言われているわ。ね、そうよね、ユリネラ?」

 マリアさんがユリネラの方に顔を向けると、ユリネラはぶすっとした顔で頷いた。

「……そうだよ。卵は自分自身のコピー。だから、人魚にとって死ぬことは生まれることと同じ意味なんだよ」

「だから人魚の卵は魂と言っても差し支えないの。その美しいこと。何度か見たことがあるけれどね、真珠なんて比にならない美しさよ。虹色に輝く、まさに奇跡の存在だと思うわ」

 マリアさんは灰色の目を細め、うっとりした表情で言った。

「人間が子供を育てるみたいに、少数の卵を姉妹グループで保護して大切に育てればいいんじゃないかとも思えるけど、そこは戦略の違いだと言われているわ。苛酷な生存競争を勝ち抜いて姉妹グループの元に辿り着けた強い個体だけを受け入れるっていう、まあ、ある種の選別作業ね。そうよね、ユリネラ」

「さあ? あたしはよく知らない」

「ふふふ。あなた達姉妹みたいに、姉妹グループからはぐれた落ちこぼれ人魚もいるけどね」

 魔女は黒い扇子で口元を隠しながら、意地の悪い目付きでユリネラを見た。ユリネラは顔を顰めて、マリアさんから視線を外す。

「だからね。あなたの卵を頂戴。全部とは言わないわ。十粒くらいでいいのよ、どうせほとんどが死んでしまうんだし、いいでしょう?」

「そんなもん、もらってどうすんだよ」

「二、三粒は瓶に入れて観賞用。でも、残りはわたしの新しい魔術開発のための実験材料にさせてもらうわ」

 そう言って黒衣の魔女はニヤリと笑う。

「ふん。あたしの寿命が来たら奪ってくのか?」

「そんなの待てないわよ」

 マリアさんは急に冷たい表情になった。灰色の瞳が冷え冷えと凍りついていく。

「今ここで、あなたには死んでもらうわ」

 魔女はそう言って、手にした扇子をパチンと閉じると、まるで、拳銃のようにその先端をユリネラに突き付けた。ユリネラは青い瞳を見開き、驚きの表情で固まってしまう。

「や、やめてください!」

 僕は思わず立ち上がって、ユリネラを庇うように彼女の前に出た。魔女は「フン」と鼻で笑う。

「じゃ、雅くん、あなたが代わりに払ってくれるの? あなたの魂」

「ざけんなよ! なんでそこで雅が出てくんだよ!」。

 叫んだユリネラは、僕を横に突き飛ばして前に出る。情けなくも、ユリネラの腕の一振りで弾き飛ばされて畳に突っ伏していた僕の前で、ユリネラは座布団を手に持って振りかぶり、マリアさんに向かって投げつけた。

 だが、マリアさんは飛んできた座布団を除けようともせず、顔の正面で黒い扇子を広げた。扇子に触れる直前に静止した布団は、数秒後、思い出したように落下を開始する。黒い扇子が退けられると、ニヤリと笑う魔女の顔が現れた。

「ふふふ。あなたの大切なお姉さんが一番大切に思っている男性の魂は、同じくらい価値のあるものだと思うのよね。ねえ、そう思わない、ユリネラ?」

 魔女は笑みを深くする。

「それに、若い男の子の魂は大好物なの」

 そう言って、魔女は赤くて細長い舌を出し、自分の唇の周りをベロリと舐め回した。

「そんなの、絶対認めねえから! 雅を殺したら、あたしがテメーを殺す!」

 ユリネラは青い目を炎のように燃やして魔女を睨みつけた。そんなユリネラを見ながら、マリアさんは満足げな笑みを浮かべる。

「ホホホホホ。まあ、そんなに言うなら、譲歩してあげないこともないわよ」

「あ?」

「わたし、今ちょっと困っていることがあるのよ。それを助けてくれるなら、今回のことは大目に見てあげてもいいわ」

「困ってること?」

 魔女を睨みつける目はそのままに、困惑気味にユリネラは問い返した。

「わたしの屋敷と店で、魔力で知能と技能を与えたヒトデに、雑務やら家事やら任せているのは、知っているでしょう?」

「ああ」

 ユリネラは頷くが、僕はポカンとする。

「ヒトデ……って?」

 ユリネラは僕の方を見て、少し補足してくれた。

「運悪く魔女に捉まったヒトデ達が、魔法で知性と体力を強化されてから、魔女に扱き使われてんだよ。店番とか、屋敷の管理とか、その他にも魔女のわがままな注文に付き合わされて大変らしいぜ」

「あらあら。実際はとても良い職場環境なのよ? それに彼らの強化魔法だって、グレードの高いものを使っているわ。与えた体力はあなたにも劣らないくらいだし、知性だって。例えば、色々な地方のお客様がいらっしゃるから、対面した人の使用言語に自動対応するマルチリンガル・アーキテクトを積んであげてるし」

「よく言うよ。強化はしても、ぶっ倒れるまで扱き使う、超ブラックだって噂だぜ」

「噂なんてあてにならないわよ」

「ケッ」

 人魚と魔女は、青い瞳と灰色の瞳を交わして睨み合った。が、マリアさんは、ふと、視線を外し、困惑したように溜息をついた。

「でもね、そんな優しい魔女であるところのわたしの元から、ヒトデたちが急に出て行ってしまったの。きっと、いい職場だから、他のヒトデ達にも勧めようと、リクルート活動に出かけたのね」

「テメーの職場環境があまりにも悪いから逃げたんだよ!」

「わたし心配だわ。ホラ貝に食べられたりしてないかしら」

「よく言うよ。捉まえたら拷問すんだろ、どうせ」

「何匹かのヒトデは保護したのよ」

「聞けよ! あたしの話を!」

 叫ぶユリネラを無視して、マリアさんはツンとそっぽを向いた。僕は恐る恐るマリアさんに訊いてみる。

「それで、保護したヒトデはどうしたんですか?」

「ふふふ。いかな理由があろうとも、主人に断りなく外出したことは重罪だもの。反省してもらっているところよ」

 マリアさんはにっこりと微笑んだ。どんな風に反省させているのかは、恐ろしくて聞くことができなかった。

「それでね、あと十三匹がこの辺りの海岸に、普通のヒトデに紛れて隠れているはずなのよ。だから、それを探し出してほしいの。十三匹全員探してわたしに引き渡してくれたら、あなた達の魂は諦めてあげるわ」

 魔女は赤い唇を歪めてニヤリと笑った。ユリネラは腕組みをして思案するように頭を傾げていた。僕は選ぶまでもないことを、どうしてユリネラが迷っているのかがわからなかった。

「そんなの、迷うまでもなく僕らでヒトデ探しをするしかないでしょ」

「いや、あたしの卵を渡すって選択肢もあるからよ」

「は? なに言ってんの? そんな選択あるわけないよ」

 わけのわからないことを言うユリネラにイライラする。僕はユリネラを無視して、魔女に宣言することにした。

「探します。ヒトデを探しますよ、僕達」

 途端にマリアさんの顔に嬉しそうな笑顔が広がる。

「助かるわ! それじゃあ、早いとこお願いね」

 無邪気な笑顔で喜ぶマリアさんを、ユリネラは複雑そうな顔で見つめた。

「お前……もしかして、面倒なヒトデ探しをあたしに押し付けるために、わざとあんな怖いこと言ったのか……?」

 困惑するような表情のユリネラに、マリアさんはふわりと優しい笑顔を返した。

「うふふふ。わたしったら、本当は優しい魔女ですものね」

 マリアさんの暖かい笑顔を見て、ユリネラは少しほっとした表情になった。僕も安堵する。なんだ、あの死んでもらうとかは方便で、本気じゃなかったんだ。

 でも、次の瞬間、魔女は一瞬でその優しい表情を消した。微笑んでいたのが嘘だったみたいに、急に冷え冷えとした表情でユリネラを見据え、氷のように冷たい声で言い放った。

「優しいって有名なわたしだから、そう思われても仕方がないけど。でも、魔女は一度やると言ったら、必ずやるわ。ヒトデを全部見つけられなかったら、あなたか雅くんの魂を頂く。覚えておいて頂戴」

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