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第三章 魔女までウチにやってきた②

 ともかく、マリアさんには居間に上がってもらった。マリアさんは畳の上の座布団にきちんと正座し、ちゃぶ台の前で背筋をピンと伸ばして座っていた。しかしながら、インテリアとの違和感が半端ではない。長身のマリアさんと対比されて、日本家屋の内装がミニチュアに見えるほどだった。

 僕が湯呑にお茶を淹れて差し出すと、マリアさんは笑顔で受け取った。

「いただくわ」

 湯呑をきちんと手で支えながら、喉を鳴らしておいしそうに飲み干す。

「あの……えっと……」

 何と言っていいかわからずに言い淀む僕の横で、妹がずずいと体を前に乗り出した。

「マリアおばちゃんは魔女なの?」

「そうよ」

 そう言って、マリアさんは手にした黒い扇子を軽く振る。

 すると、何もなかった空中に、突如、赤い金魚のようなものが現れた。扇子の裏から赤いインクがふわっと染み出たようにも見えた。金魚らしきものは、尾を揺らしながら僕らの頭の上を悠々と泳いでいく。

 目が点になる僕とは対照的に、妹は目をキラキラさせながら立ち上がって空中の赤い金魚に手を伸ばした。

「魔法があることは他のお友達には内緒よ。でないと、消えてしまうから」

「わかったー」

 マリアさんは笑顔で頷き、またどこから取り出したのかわからないが、手にした透明な風船に息を吹き込んでいくらか大きくすると、黒い扇子で追い込みながら金魚をその風船の中に誘導する。金魚が入ったところで風船の口を縛り上げて紐をつけると、風船は赤い金魚を中に入れたままふわふわと浮かび上がった。

「玲ちゃん、これあげるわ。普段はあなたのお部屋の押し入れの中にでも隠しておいでなさい。でも、一週間に一度は日に当てること。そうすれば長生きするわよ」

「わあ、おばちゃん、ありがとう!」

 透明な風船の中を元気に泳ぎまわるそれを、妹は嬉しそうに眺めた。妹はマリアさんに言われたとおり、風船をもって足早に自分の部屋に向かう。残された僕は目を点にしたままマリアさんに視線を移した。

「手品じゃ……ないんですよね……?」

「さて、ねえ? 信じない人にとっては手品と変わらないし、どちらでもいいのよ、わたしにとってはね」

 そう言って、マリアさんは黒い扇子で口元を隠しながら「ホホホホ」と笑った。

「それで本題だけれどね」

 マリアさんは扇子をパチンと閉じると、僕に顔を近付けて小さな声で言った。

「あの子とはもうヤッたの?」

 点になっていた僕の目が、さらに小さな点になる。

「は……?」

「だから、ユリネラとはもうしたのかって話よ。チューでもいいわ。したの? してないの? 海の中のことだったら水晶でたいていのことはわかるんだけど、地上はうまく覗けないのよね」

 マリアさんはそう言って溜め息を吐いた。

「で、どうなの?」

「は? え? ええええ? な、なにを言って……」

「その顔はまだってことね。まあ、アリアラで落とせないなら、ユリネラがそう簡単に落とせるわけないわよねえ」

 マリアさんは金色の髪を掻きあげながら、どこか嬉しそうな顔をしていた。

「いったい、何の話を……?」

 僕が問い返した瞬間、バン、と居間の襖が勢いよく開かれた。

「ババア!」

 そこにはゼーゼーハーハーと肩で息をするユリネラがいて、さっき見た拳銃をマリアさんに向けて構えていた。傍らに抱えた虫取り網には、あの黒い蝶ではなく、なぜか海藻が入っている。

「あら、以外と早く捕まえたのね、あの蝶々」

「捕まえた瞬間、蝶がワカメになるとか、ムカつく仕掛けしやがって!」

 憎々しげに叫んだ次の瞬間、ユリネラは引き金を引いた。

 爆発音と共に、銃口から何かが発射される。だが、それは銃弾ではなく、青く輝く火の玉のようなものだった。僕は思わず頭を抱えて身を低くした。青い光芒は狙い違わずマリアさんに向かって一直線に進んでいく。

 だが、マリアさんは慌てる様子も見せず、余裕の笑みを浮かべたまま、黒い扇子をかざしただけ。

 マリアさんが青い光芒に向かって扇子を振る動作をすると、青い火の玉はその場で静止してしまった。まるで見えない壁に阻まれたみたいに。光芒は負荷に耐えかねるようにその場で振動したかと思うと、ミシミシと音をたてながら崩れていった。青い光の中を黒い筋が無数に走り、最後にはばらばらの欠片となって床に落ちて散らばったのだ。

「ホホホホホ! その銃の製作者は誰だと思っているの?」

 魔女の哄笑が居間に響いた。

 床に落ちた青い光芒は、陶器が割れたように粉々になっていた。それはやがて光を失い、灰色の欠片になったかと思うと、徐々に姿を変えていった。

「うぎゃあ!」

 ユリネラが上擦った悲鳴をあげた。光芒の欠片がフナムシに姿を変えたからだ。海の岩場を這いまわる、あの虫のような形状の甲殻類だ。一匹どころではない。光芒の欠片一つ一つがフナムシに変わっていくものだから。何十匹もがうじゃうじゃと、手足と触角を蠢かせながら畳の上を這いずり回っている。食事中に見たら確実に戻すだろう光景だった。

 マリアさんがパチンと右手の指を鳴らした。すると、それまで自由気ままに蠢いていたフナムシ達が、マリアさんに向かって一直線に歩き出す。マリアさんの両手にはいつの間にやら、お茶碗と箸とが握られており、フナムシはそのお茶碗に向かって、マリアさんの脚をドレスを腕を、どんどん這いあがっていった。

「うげええええ!」

 呻いたユリネラは顔面蒼白だった。

 マリアさんの右腕のお茶碗は、すぐにフナムシでいっぱいになる。そして、彼女はなんと、箸でその中の一匹を摘まんでそのまま自らの口に運んだのだ。手足と触角を動かすフナムシを、躊躇なくだ。

 ユリネラが吐きそうな顔をしている。

「ユリネラもどうかしら? おいしいわよ」

 マリアさんは口内のものを噛み潰しながら、にこやかに笑った。

「いるわけねえだろ、ボケババア!」

「あら。ちゃんと、有名パティシエの作るレアチーズケーキ味にしてあるのよ。プチッと噛むと、甘くて芳醇な味わいが口の中に広がるの。癖になるわよ」

「なるわけねーよ! いつも余計な嫌がらせしやがって」

「うふふふふ! いい趣味でしょう?」

 マリアさんがニンマリと笑うと、ユリネラはクラシカルなデザインの銃を再び彼女に向けて構えた。

「お前の悪趣味のせいで、何回あたしが迷惑被ったと思ってんだ! テメー、雅に余計なこと言ってねえだろうな!」

「ユリネラとはもうヤッたのかってのは訊いたわ」

「テメッ……! な、何言ってやがんだよ!」

 ユリネラは悲鳴のように叫ぶと、マリアさんに飛びかかり銃口をこめかみに押し付けた。

「お、おい、ユリネラ!」

 僕が呼んでも、真っ赤になってマリアさんを睨み付けるユリネラは腕を放そうとしない。でも、マリアさんは銃口を押し付けられても余裕の表情を崩さなかった。

「ホホホホホ! そんなに怒らなくてもいいじゃない。あなたのためを思って言ったことよ、ユリネラ」

「うるせえ、ババア! あたしは、あたしがこのウチに来たのはそういうんじゃねえ! ただ……ただ……姉さんの真意を知りてえから……ってだけで……」

 ユリネラの声のトーンはだんだんと落ちていった。

 マリアさんの灰色の瞳が、ユリネラの青い瞳を真っ直ぐに見つめた。銃口を突きつけられたまま、数秒間ユリネラの目を覗き続けると、マリアさんは唇の端を持ち上げてニヤリと笑った。

「ふうん? そうなの。それならわたしも野暮なことはもう言わないわ」

 そう言ってマリアさんがパチンと指を鳴らすと、引き金を引いていないはずのユリネラの拳銃が銃口からポンと煙を吐きだした。ユリネラが驚いたように飛び退く。でも、先ほどの青い光芒も銃弾も発射されておらず、銃口から真っ赤な薔薇の花が一輪生えただけだった。ユリネラが目を丸くしている。

「落ち着いて話しましょう。わたしがあなたを追ってきたわけは、そんな野暮なことを訊くためじゃないのよ。わかってるでしょ。わたしは海の中のことならなんでもわかるのよ。ましてや、わたしの店の中のことならね」

 マリアさんは優しい微笑みを浮かべつつ、銃口から赤い薔薇の花を摘むと、ユリネラの銀色の髪に差してやりながら言った。

「あなたがわたしの店から取っていったものを返して頂戴」

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