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第三章 魔女までウチにやってきた①

 ユリネラがウチに来て三日目。朝食も食べ終わり、昨晩のゲリラ豪雨も、ケンカみたいなことがあったことも忘れて、みんなで後片付けをしていた時のことだった。

――ピンポーン

 呼び鈴が間延びした音で家の中に響いた。

「お客さんかなー?」

「ずいぶん早いね。なんだろ」

 まだ八時を少し過ぎたくらいの時間だった。僕は訝しく思いながらも玄関の框に降りて引き戸を開ける。

 そこには見知らぬ女性が立っていた。なんというか、尋常じゃない存在感を放っていて、その雰囲気にあてられた僕は「どちら様ですか」と声を掛けることすら忘れてしまう。

 その人は僕の顔をじっと見つめると、真っ赤な唇を吊り上げて艶然と笑った。

「まあ。可愛い男の子じゃない。あの子が惹かれる理由がわかるわ。食べちゃいたいくらい可愛いらしいのね」

 女性のオーラに圧倒されて、言われた言葉の半分も理解できずに僕は呆然とする。

 やけに背の高い女性で、高いヒールの靴を履いているにしても僕より頭一つ分は高低差があった。二十代後半くらいの年齢だろうか。金髪で、鼻が高くて、色白の、西欧人風の顔立ちで、瞳の色は曇り空のような灰色だった。メリハリのついた体を胸元の大きく開いた真っ黒なドレスで包み、その胸元からは豊胸手術でもしたのかと疑いたくなるほど大きなバストが覗いていた。ハリウッド女優だと言っても通用しそうな顔とスタイルをした女性。

「雅くん、だったかしら? ねえ、わたし、あなたのこと食べちゃってもいいかしら? ホホホホホ!」

 女性はそう言うと、あろうことかその豊満な胸を僕の顔に押し付けるかのように、僕を抱きしめてきたのだ。というか、女性の背が高すぎて、僕を抱きしめると自動的に僕の顔が女性の胸に埋まる位置にきてしまうのだった。

「きゃ、きゃああああ!」

 まるで女の子みたいな声で僕は叫んだ。

 な、なんなんだ、コレは!

 とても気持ちのよいことをされているような気はするけど、息苦しくてそれどころではない。

「な、何するんですか、いきなり! やめてください!」

 引き剥がそうと暴れるが、女性の力が強くてびくともしない。そうこうしているうちに、僕の声を聞きつけて、ユリネラが台所から飛び出してきた。

「雅、どうした――って、テメー、ババア!」

 ユリネラは謎の女性を睨みつけた。

「クソババア、こんなとこまで来やがったのか! テメー、雅から離れろ!」

 そう叫ぶと、ラジオ体操からから帰ってきたときに玄関に放り出したままにしてあった自分のボディーバッグを拾い上げ、中から取り出した何かを手に構えた。

「離れねえと撃つぞ!」

 ユリネラが構えたのは、拳銃のような形をしたものだった。

 僕は思わず身を竦めて固まる。僕を抱きかかえていた金髪の女性も、僕を放して両手を挙げた。

「あら。ユリネラったら、そんなもの持ってたの。ああ、わかった。お姉さんのお古をもらったんでしょう?」

 その女性は銃口を向けられながらも、どこか人を小馬鹿にするような笑みを口の端に浮かべたままだった。

「テメー、何しに来たんだよ!」

 ユリネラは拳銃を謎の女性に向けたまま言った。拳銃とはいっても、警察官の持っているような武骨なものではなく、木製の本体に彫金や真珠の装飾が施された古風なものだった。

「それはあなたの方が心当たりあるんじゃないの。先にイケナイことしたのはあなたじゃない」

「チッ」

 ユリネラは舌打ちをしたものの、拳銃らしきものは下げなかった。二人の女性はウチの玄関先で睨み合いを続ける。ユリネラは三白眼の目を吊り上げて女性を睨み、謎の女性は挙げていた手を下げて腕を組み、ユリネラを見下すように鼻で笑った。

 その時。

「あらあら、お客さん? 珍しいのね」

 緊張を打ち破るように、のん気な女性の声が玄関に響いた。

 引き戸の外に、いつの間にか隣の家のおばさんが立っていたのだ。小柄で少しふくよかなおばさんは、サンダルを引っ掛け、回覧板のファイルといくつかのビニール袋を持ってにこやかに微笑んでいた。

 ユリネラは慌てて拳銃らしきものをカバンの中に隠す。幸い、おばさんは気付かなかったらしく、ニコニコしたままだった。

「雅ちゃん、回覧板お願いね。それと、ウチで獲れたお野菜と、あとこれ、うちのお父さんが昨日釣りに行ったら、予想以上に釣れてね。お裾分け」

 おばさんは穏やかな笑顔を浮かべながら、ファイルと袋を僕に向けて差し出した。でも、僕は、謎の女性襲来やら、ユリネラの見せた拳銃やらがショックで呆然としていて、おばさんの言動に咄嗟に反応することができなかった。

「雅ちゃん、どうかした?」

 不安げに首を傾げるおばさんを見て、僕ははっと意識を取り戻す。

「い、いいえ! ど、どうもありがとうございます! いつもすみません」

 僕はできるだけ平常の笑顔を浮かべるよう努力しながら、おばさんから荷物を受け取った。

 おばさんの家は戦前からこの町で暮らしてきたおうちで、現在は兼業農家をしている。おじいさんとおばあさんとおばさんとで田んぼと畑の世話をしていて、勤め人のおじさんも最盛期には農耕機の操作要員として駆り出されている。そのおじさんは趣味の魚釣りもかなりの腕前で、時々こんな風に野菜や魚を分けてくれるのだ。おばさん達は小さな頃から僕を知っているから、僕は今でも「ちゃん」付けで呼ばれていた。

「玲ちゃんがこの前届けてくれたクッキー、おいしかったわよ。ありがとね。柔らかかったから、おばあちゃんも『美味しい』って言って食べてたわよ」

 僕は妹とお菓子を焼くことがあって、少しでものお礼にお裾分けすることがあった。

「喜んでもらえて嬉しいです。また今度作ったら届けますね」

「いつもありがとねえ」

 僕とおばさんは笑い合った。おばさんのほんわかとした話し方のおかげで、氷のように冷たく張りつめていた玄関の雰囲気が一気に和んだようだった。

「ところで、こちらは……?」

 おばさんは笑顔を浮かべたままだったが、少し訝しげな声色を混ぜてユリネラともう一人の謎の女性を見やった。

 いや、そりゃ、そうなるよね。でも、僕自身、これが誰なのかわからないんですけど……。

「え、えっと……」

 僕は言い淀み、ユリネラも困ったような顔をしていた。

 その時。

「オッハヨー、ゴッザマース。雅クンノ、ゴ近所サン、デスカー? ワタクシ、『マリア』言イマース。アメリカノ『方』カラ来マシタ」

 何を思ったのか唐突に、謎の金髪美女が片言の日本語で話し出したのだ。

「ワタクシーノ会社ハ、デスネー。雅クンノ、オ父様ガ、アメリカ出張ナサッタトキニー、タイヘン、オ世話、ナリマシテー」

 目が点になる僕とユリネラをよそに、女性は臆すことなく似非日本語を話し続けた。

「最近デスネー、オ父様ガ、オ亡クナリ、ナッタコト知リマシテー。ソレデ、社長ノ名代、ワタクシ秘書ノ『マリア』ト、社長令嬢ノ『ユリネラ』トデ、御仏前ニ、ゴ挨拶、来マシタノデスー」

 そう言って頭を下げる謎の美女。さらにはユリネラの方を向き、「ソウデスネ? ユリネラオ嬢様ー?」と確認を取る。水を向けられたユリネラは頬を引きつらせながらも、謎の女性以上の言い訳を思いつかなかったようだ。

「ソ、ソウデース。あいむふぁいん、さんきゅー」

 結果、片言が混じりまくった、わけのわからない受け答えをしている。だが、隣のおばさんは非常に感銘を受けた様子だった。

「まあまあまあ……ご丁寧に! 日本語もお上手で!」

「イエイエ、勉強中デース」

 謙遜まで完璧な自称「アメリカの方から来た」人に頭を下げながら、おばさんは自分のウチに帰っていった。おばさんを見送った美女は、おばさんが見えなくなったところで「ブフゥッ」と盛大に噴き出した。

「ユリネラ、下手過ぎよ。なによ、『あいむふぁいん』って。アメリカ人の設定なのに、なんで日本語訛りなのよ!」

 謎の美女は腹を抱えて笑っている。

「な、なに笑ってんだよ、テメー!」

 本人も恥ずかしかったのか、ユリネラは頬を真っ赤に染めていた。半分涙目になりながら、謎の女性を睨みつけ、その黒いドレスの襟を掴む。

「ちょ、ちょっと、ユリネラ……!」

「止めんな、雅!」

 僕の制止を振り切って、ユリネラは謎の女の襟を揺さぶり続ける。しかし、ユリネラがいくら頑張っても、背の高い女性には暖簾に腕押しと言った様子だ。まったく意に介した様子もなく、薄ら笑いを浮かべている。

「ホホホホホ! 相変わらず、すぐに頭に血が上る単純バカね、ユリネラは。知能はオキアミ並みかしら?」

 謎の女性はどこからか取り出したドレスと同じ黒色の扇を振りながら、高笑いをあげた。

「なんだと!」

「ホホホホホ! 悔しかったら、捕まえて御覧なさい!」

 そう言って、謎の女性が扇を大きく振った瞬間、その姿が消えた。まさに「煙のように」という形容がそのまま当てはまるように、女性が今までいた場所から一瞬でいなくなってしまったのだった。支えを失い、ユリネラが前につんのめりそうになるのを、僕は後ろから抱えた。

「大丈夫?」

「お、おお……わりぃ」

 少し慌てた様子で僕の腕から立ち上がると、ユリネラは周囲をキョロキョロと見回した。あの女性を探しているのだろうか。

「ね、ねえ。あの人はなんなの?」

「あの女は……あ!」

 ユリネラは玄関の戸の方向を指差した。引き戸は開いたままだったが、そこに黒い蝶が舞っているのだ。羽も体も全身が闇のように黒い蝶で、普通のアゲハチョウよりも二倍は大きいサイズだった。

「お前、マリアだな!」

「ええそうよ」

 ユリネラの言葉に応えたその声は、蝶の方から聞こえてくるようだった。

「海だったらカツオやらメカジキやらに化けるところだけれど、ここは地上ですものね。特別大サービスで蝶々に変身してあげたわ。華麗なわたしにぴったりでしょう?」

「テメーの腹黒さにはぴったりな色の羽だな、オイ!」

 宙を舞うその蝶をユリネラは手で掴もうとするが、寸前のところで蝶はユリネラの腕をすり抜けていく。

「テ、テメー! 腹黒魔女め、ジッとしてろ!」

「ホホホホホ! 文句は捕まえてからお言いなさいな!」

 大きな黒い蝶はそう言うと、玄関から外へと飛び立っていった。

「上等だ! やってやんよ!」

 ユリネラはビーチサンダルを引っ掻け、玄関の隅に立てかけてあった妹の虫取り網を掴むと、黒い蝶を追って外へと飛び出していった。

「お、おい。ユリネラ!」

 僕の声に振り返りもせず、ユリネラの背中はどんどん遠ざかっていく。追いかけようかとも思ったが、妹を一人にして家を空けるのも憚られた。

「ユリネラお姉ちゃん、行っちゃったね。あの蝶々を追っていったの? あの蝶々なんなの、お兄ちゃん?」

 途中から見ていたらしい妹が小首を傾げながら言う。僕に訊かれてもわからないことばかりで、僕は妹を見ながら頭を掻いた。そのとき。

「あれは囮よ」

 唐突に、背後から声が聞こえた。僅かに笑みを含んだような、あの女性の声だった。

 驚いて振り返ると、謎の金髪美女が玄関に立っていた。さらさらと流れる金色の髪、灰色の瞳、高い鼻、漆黒のドレスを纏ったすばらしくスタイルの良い長身は、最初に見たままの姿だった。僕が目を白黒させていると、女性はニヤリと笑った。

「ユリネラは今、あの蝶を囮とも知らずに追いかけ回しているわ。その間に少しお話しましょう、雅くん」

 そう言うと、女性はハイヒールの黒い靴を脱いで玄関に上がった。女性を見上げながら、妹は首を傾げる。

「おばちゃん、だあれ?」

「あ、玲、おばちゃんなんて呼び方、失礼……」

 僕が妹を注意しかけると、謎の女性は黒い扇子をかざしてそれを制した。

「いいわよ。気にしないわ。あなた達の年齢から比べたら、わたしはおばちゃんなんてレベルじゃないもの」

 女性はしゃがんで玲の目線になると、灰色の目を細めてチャーミングに笑った。

「おばちゃんの名前はマリアっていうの。海に棲む、意地悪な魔女よ。よろしくね、玲ちゃん」

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