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第二章 ツッコミがキツい人魚姫⑩

 僕はイライラしながら、布団に寝転がった。

「なんだよ、あいつ」

 わけのわからないことばかり言って、勝手なことばかり捲し立てて、僕の考えを聞こうともしないで。

 外の雨はますます激しくなっている。ビュビュウと風も強く、水滴が弾丸のように窓に打ち付けられる。地面を叩く雨音は耳をふさぎたくなるほどだった。

「くそ」

 僕は枕を壁に向かって投げつける。ボスンと、鈍い音をたてて跳ね返った枕は床に転がった。同時に僕は、はっとする。

「何やってんだ、僕」

 壁の向こうは妹の部屋だ。二階のその部屋は、もともとは父親と母親の部屋だったけれど、妹が小学校一年生になったとき部屋がほしいと言われ、片づけて妹の部屋にしたのだ。それまでは、今僕のいる部屋を子供部屋と呼んで、妹と共有していた。

 投げたのは軽いそば殻の枕だけど、古くて壁も薄い僕のウチでは十分音が響いたはずだ。

 聞き耳をたてるが、隣は静かなままだった。たぶん妹はもう寝てしまっているのだろう。

 僕はふうと息を吐きながら寝転がる。

 蒸し暑くて眠りづらい。気持ちがくさくさして、何かが喉につかえているようだった。なんとも言えない不快感が、夏の湿気のように僕に纏わりついている。

 なんだろう、これは。

 考えてもよくわからない。わかっているのかもしれないけれど、深く考えるのはなんだか嫌だった。

 もうやめよう、考えるのは。やめだ、やめだ。面倒くさいことは。

 僕は全てを振り払うように、目を閉じた。


 いくらかウトウトしていたようだった。何か大きな音を聞いたような気がして、はっと目が覚めた時には、まだ大きな雨音が聞こえていた。

 枕元の目覚まし時計で時間を確認しようとした瞬間、薄いカーテン越しに白光が迸った。まるで、窓の外から大量のストロボを焚かれたようだった。と、ほぼ同時に、爆発が起こったかのような轟音が響き渡る。

「雷……?」

 近くに落ちたのかもしれない。カーテンを開けて外を覗くと、闇の中、雨が叩きつけられる窓越しに、再び強い発光が見えた。直後に凄まじい雷鳴が轟く。

 僕は部屋から出て廊下に出た。妹が気になったからだ。妹の部屋の方に視線を向けると、襖が開いている。トイレにでも行ったのだろうか。

「玲……?」

 中を覗くと、妹は中にいた。そして、妹の傍らにもう一人。

「玲、大丈夫だからな。お空の上の怒りん坊なんか、すぐに、どっかいっちまうから」

 妹の布団の中で、一階の部屋にいるはずのユリネラが妹を抱きかかえていた。雷から守るみたいに、優しく包んで頭を撫でている。妹も、赤ん坊が母親にそうするように、ユリネラにしがみついていた。

「怒りん坊?」

 妹が問うと、ユリネラは優しい声で答えた。

「あたしが小さい頃にな、姉さんが教えてくれたんだ。雲の上には寂しがり屋の怒りん坊の鬼が一人で住んでるんだって。で、たった一人で寂しくて、あたしと姉さんとか、玲と雅みたいに仲良く暮らしてる家族を見つけると、悲しくなって雷を落とすんだ。しばらくたてば、おとなしくなるから大丈夫だ」

「ふうん?」

 眠たげに眼を瞬かせながら、妹はユリネラを見上げた。

「あ、お兄ちゃん」

 妹は襖から覗く僕に気付いて飛び起きた。ユリネラも起き上がって、僕を振り返る。

「あ、雅……その、雷が鳴ってさ、玲の様子が気になったから。部屋を覗いたら、ブランケット被って震えてたからよ」

「そっか……」

 気を使ってくれてありがとうと言いたかったけれど、うまく言葉が出てこなかった。僕とユリネラはなんとなく視線を逸らして黙り込む。けれども、妹はそんなことはお構いなしだ。僕の傍に来ると腕を引っ張りながら言った。

「ねえ、お兄ちゃんも一緒に寝よう!」

「え?」

「だって、わたしが幼稚園の時にはお布団を隣に敷いて一緒に寝てたでしょー」

「そうだけど……玲が『自分の部屋がほしい』『今日から一人で寝れるもん』って言ったんじゃないか」

「言ったけど――今日はみんなで一緒に寝たいんだもん! いいじゃん! わーん!」

 妹が突然、手足をばたつかせて泣き始めたので、僕はびっくりした。

 少し嘘泣きにも見える泣き方。小学校に入る前、さすがに外では見せなかったけど、おもちゃ屋の広告なんかを指さしながらこれをやられて、僕はだいぶ困らされたのを覚えている。「そんなにわがままする子はもう知らないよ」「この前、別のおもちゃを買ったばかりでしょ」と言って放っておくと、しばらくはプンスカ怒ってジタバタ暴れたり、僕を睨んだりしているが、いつの間にかケロッとした顔でおやつを食べていたり、お絵かきをしていたりしている。

 でも、そういうのは、小学校に入る頃には、自然となくなっていたんだ。

「お、おいおい。玲はそういうわがままとか、駄々っ子とかはもう卒業しただろ?」

「そんなのあきらは知らないもん! うわーん!」

 自分の呼び方まで「わたし」から「あきら」に変わっている。嘘くさい泣き方なんだけど、本人自身は本気のつもりみたいだった。わがままというか、半分甘えているような感じ。記憶にはないけど、僕も小さい頃には両親にこんな態度をとっていたのかもしれない。

「困ったなあ……」

 僕が頭を掻くと、ユリネラが立ち上がった。

「わかったよ、玲。みんなで一緒に寝ようぜ」

 そう言ってユリネラが暴れる玲を抱きかかえた。

「でも、ユリネラ……」

 僕が心配な顔で言うと、ユリネラは僕の方を見て、穏やかに笑った。

「いいよ。大丈夫だよ」

 結局、僕達は三枚の布団を妹の部屋に敷いて寝た。窓側から順に、ユリネラ、妹、僕の順だ。部屋はぎゅうぎゅうだし、それどころか、布団の端っこは壁や家具に当たって捲り上がっていたけれど、妹は嬉しそうにニコニコしていた。手を伸ばして僕の手を握っている。もしかしたら、もう片方はユリネラの手を掴んでいるのかもしれない。

「あのねー、花火ねー、今度また続きしようね」

「そうだな」

「また今度ね」

「お庭のプチトマトがねー、たくさん生るんだよー」

「すげーな」

「明日採ろうね」

「今日逃がした虫さん達、みんな元気かなー?」

「きっと、元気にしてるぜ」

「今は雨宿りしてるかもね」

「ユリネラお姉ちゃんと遊ぶの楽しいなー。アリアラお姉ちゃんも一緒だったらよかったのに」

「……そうだな」

「そうだね」

 そんなやりとりをしているうちに、外の雷はいつの間にか遠ざかったようだ。光と音の間隔が長く、雨も弱くなり始めている。妹の声はだんだんとトーンが落ち、瞼が重くなってきたように見えた。

「玲、もうおしゃべりはやめて寝ようか」

「うん……ねえ、あきらが寝ても二人ともいるよね」

「いるからよ、安心して寝ろよ」

 ユリネラが優しい声でそう言って、玲の頭を撫でた。

「じゃあ、あきら寝る」

「うん。おやすみ」

 しばらくすると、妹が安らかな寝息をたて始めた。安堵と一緒に、焦りも僕の中に湧いてくる。僕はなんて言ったらいいかわからなくて、居心地悪くブランケットを掛け直した。ユリネラに何か言いたいこと、言わなきゃいけないことがあるような気がするのに、うまく口を開くことができなかった。

「ごめんな」

 先にそう口に出したのはユリネラだった。妹を起こさないように小さな声でユリネラは続けた。

「あたしのせいかもな。あたしが花火のときにあんな態度とったからじゃねーかな、玲が一緒に寝たいなんてこと言い出したのは」

「え?」

 ユリネラに顔を向けると、ぼんやりと輪郭が見える暗闇の中で、青い瞳が僕をじっと見つめていた。

「玲を不安にさせちまったのかもしれねー。みんな仲良くしなきゃダメだって、玲は言いたかったんじゃねえかな」

「そうか……」

 僕達が喧嘩みたいなことをしたことが、玲を傷つけてしまったんだ。だから、あんな子供みたいに駄々をこねて甘えようとしたんだ。

「ごめんな、雅」

「いや、僕もごめん」

 ごめんと一言言ったら、心の奥の方が楽になった。

「ユリネラ、玲のことフォローしてくれてありがとう。玲のお母さんみたいだったね」

「アハハ。あたしが小さい頃、嵐で海が荒れた夜は、姉さんがああやってあたしを抱きかかえて眠ってくれたんだ」

「優しいお姉さんなんだね、アリアラは」

「そうだな。あたしを守ってくれる、優しい人だったな……でも……」

 言い淀んだユリネラの表情が強張って、青い瞳が揺れていた。

「どうしたの、ユリネラ?」

「いいや。なんでもねえよ。姉さんはお前にも玲にも優しかったか?」

 ユリネラがすぐに笑顔に戻ったので僕はほっとする。

「そうだね。色々気を使って僕を助けてくれた。家事も上手だったし」

「そうか。姉さんはすごいな。あたしなんか、洗い物を手伝うくらいしかできねえよ」

「十分だよ」

「でも、あたしは色々……その、ガサツだからよ」

 そう言って、ユリネラは溜め息をついた。弱気な言葉を洩らすユリネラに僕は少しびっくりする。

「でも、玲とよく遊んでくれるし。すごく喜んでるよ、玲は」

「そっかな。でも、姉さんだって、玲と遊んだりしてたんだろ?」

「そうだね。着せ替え人形の洋服を一緒に作ったり、おままごとの相手をしたりしてくれたね。でも、意外と玲はアウトドア派だから。ユリネラとの遊びの方を面白く感じてるかもしれないよ」

「そっかな?」

「そうだよ、玲は楽しんでるよ」

 そう言って僕が笑うと、ユリネラも笑った。でも、いつもよりは弱々しく見える笑顔だった。

「人間なんだから――あ、ユリネラは人魚なんだっけ? とにかく、他の人と得意分野が違って当たり前だよ」

「ははは。そうだよな。そうなんだけどさ――まあいいや。疲れた。寝る」

 ユリネラはそう言うと、ブランケットを頭まで被った。

「そっか……おやすみ」

 ブランケットから僅かに覗く銀色の髪が揺れて、「おー」とだけ返事が返ってくる。やはり元気のない声だ。本当に眠いのか、疲れたのか、それとも――僕が何かマズイことを言ったかな……。

 僕は女の子に対する態度には自信を喪失していた。

 よく考えてみれば、妹がいるとはいえ同じ部屋に男と一緒に寝ているんだ。女の子が緊張しない方がおかしい。妹のお願いとはいえ、悪いことをさせてしまっているのかもしれない。

 妹が寝たのだから、そっと部屋を出るのが正解なんだろうけど、妹の手が未だに僕の手をしっかり掴んでいる。これを引き剥がしたら妹を起こしてしまいそうで、そうしたら、また駄々っ子に戻ってしまいそうで、だからどうともしづらかった。

 とりあえずは寝るしかない。眠って一晩経って、無事朝が来ればいいんだ。そう思って僕は目を閉じた。

 僕がうつらうつらとし始めた頃、「なあ」と声を掛けられた。

 ユリネラがブランケットから少しだけ顔を出して、こっちを見ている。半分眠りの世界に入っている僕は、意識がはっきりしないまま「うん?」と応えると、ユリネラは静かに言った。

「姉さんじゃなくてあたしがここに来ちゃって、雅は迷惑だったか?」

 青い瞳が頼りなさげに揺れていた。花火の時に使ったマッチの炎のように、吹けば消えてしまうんじゃないかとすら思えた。

「……そんなことないよ。僕は楽しいよ」

 僕は夢現にそう答えた。そうしたら、ユリネラが笑った。

「へへへ、そっか」

 少しはにかんで、昼間みたいに快活に見える笑顔だった。青い瞳がサファイヤみたいにキラキラと輝いて見えた。

 瞼が重たくて、僕は再び眠りの世界に落ちていく。とても安らかな気持ちだった。そして、とても静かだったから、きっと雨は止んだのだ。


 確かに、昨晩の嵐は去っていた。朝、起きてカーテンを開けると、全てを洗い流したようなきれいな青空が広がっていた。庭や道が雨に濡れて水溜りもできているけど、太陽の日差しが燦々と降り注いでいて、昨日の豪雨が嘘のよう。朝の清らかになった空気が気持ちよくて、残った水滴はキラキラと輝いてきれいだった。

 妹とユリネラをラジオ体操に送り出して、僕は洗濯と朝食づくりに取り掛かる。今日はユリネラと妹と何をして遊ぼうかと考えながら。


 でも、人魚なんていう普通じゃない存在が近くにいて、平安に過ごせるわけはないのだ。すぐにまた、別の嵐が海から我が家にやってくることになる。

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