狂気
聖奈人の意識が覚醒した。
しかし、それは眠りから覚めたという意味ではなく、いつも見る闇の夢の中でだ。
またか。
聖奈人は嘆息した。
そんなに悪いことが待ってんのか?
こうも短い期間に二度も見るとなると、流石に嫌になる。
この夢を見ている間は体は寝ているが意識のみは覚醒しているので、丁度金縛りのようなものなのだ。
はっきりと意識は起きているからいまいち寝た気がしない。
早く終わらないかな。
今や遅しと待っているが、一向に銃弾は闇を晴らさない。
そろそろ来てもいいんじゃないかなー。
体感的にはもう十分くらいは経っている。
いつもは目が覚めると同時に夢が終わる。つまり起きる直前にその夢を見るのだ。
だが、今回は明らかに違う。昨日の夢も違うといえば違うのだが、うたた寝したときと比べてももっとおかしい。
目が覚めないのだ。
さらに言えば、闇を晴らす銃弾が放たれる気配もない。
時間は刻一刻と過ぎる。どれだけ待っても夢は終わらない。
「どうなってんだ……」
そう独り言を呟いたそのときだった。
どこからか笑い声がする。
聖奈人の耳は聞こえるはずのない笑い声を捉えていた。
「なんだ……?」
声は反響し、三百六十度全方位から聞こえて、何処が出どころかは見当もつかない。
「あはははは」
声は次第に高まり、同時に聖奈人の不安も高まる。
咄嗟に耳を塞ぐも、無意味。栓の変わりである手をすり抜けて声は直接脳内に響いているかのように響き、声の大きさは変わることはない。
「アハハハハハハハハハ!!」
やがて頭がおかしくなりそうなにまで笑い声は大きくなり、脳がパンクしかけたその時、不意に笑い声が止んだ。
「……ん?」
急に静かになり、今度はなんだ、とあまり意味がなかった手を耳から離した。
ところで、形というものは重要である。
どんなに無意味なことでも……例えば、仕事をしている時に自分は無能で、なんの仕事も出来ないとしよう。どっちみち怒られるにしろ、何もしないでぼーっとしているより仕事をしている振りをしている方がまだ自分の心持ち的に言うとなんとか平静を保つことが出来る。
そんな経験は誰にでもあるだろう。
聖奈人はこの時、耳から手を離したのを心底後悔した。
耳を塞いでも意味がなくとも、その行動に意味があったから、先ほどは耐えることが出来たのだ。
聖奈人が耳から手を離した瞬間、笑い声とは違う、気が狂ったような絶叫が聖奈人を襲った。
その一瞬で聖奈人は意識を失う。夢の中で意識を失うなど、意味がわからないが。
そしてその絶叫と共にドロドロとした何かわからない闇が聖奈人の体を侵食し、やがてその体を完全に飲み込んだ。
意識はないが、聖奈人は何故だかこのことを鮮明に覚えていた。
そして、侵食が続き、完全に自分が消えようとしていたその時。
───ようやく目を覚ますことができた。
「っ!はぁ……っはぁ……っ」
こんなに最悪な朝を迎えたのは初めてだ。
今見た夢がなんなのか考えることもせずにただぼーっとするしかなかった。
体は汗だらけで、本当に寝ているだけだったのかという程だった。
震える手でスマートフォンの電源をオンにすると、時刻は七時半。休日に起きる時間にしては少し早い気がしないでもない。
しかし、あんな夢を見た後でもう一度寝ようとはなかなか思えるものではないのは明らかである。
聖奈人は掛け布団を蹴飛ばし、むくりと体を起こした。あまり疲れがとれなていないようで体がなんとなく重い。
衣類を脱ぎ、いつの間にか枕元に置かれていた洗濯済みのカッターシャツと制服を身につけ、鉛になったかのような足を運び、目をこすりながらとんとんと階段を降りていく。すると、ふわりと鼻孔の奥をくすぐるいい香りが漂ってきた。
リビングへと入室すると、エプロン姿の銃が料理をしている真っ最中だった。
「おはよう。おもったより早い起床だね。というかなんで制服なのさ」
「……おう」
適当に返答。
朝から嫌なものを二連続で見てしまった、と聖奈人は憂鬱な気分を更に加速させた。
「どうしたのかな。夢見でも悪かったのかい?」
「まぁな。最悪の夢だった」
頭を軽くかいてソファーにどかりと座った。
しばらく呆けていると、ポケットに入れてあるスマートフォンが振動した。
メールだ。
「ん?」
メールを開くと、送り主は『永海』とされてあった。
何の用だ。本文を確認した。
『おはよう愛しのお兄ちゃん♡昨日の夜は楽しめましたか?キャー♡私はお兄ちゃんとあのイケメンさんのあっつーい夜を想像してとっても楽しかったよ。キャー♡後でツーショットの写真送ってね♡キャー♡』
聖奈人は返信の欄をぽちりと押した。
「死……ね……っと」
『死ね』と愛のメールを打ち、永海に送信した。
しばらく待っているとまた永海からのメールが届く。
『図星だったからってそんなに怒らなくてもいいのに。このツンデレさんめ☆』
聖奈人は再度永海に返事をした。
『うんこ』
それを送信してからスマートフォンの電源を落とした。
もう永海のメールを見ないように。
「それで、今日はどうするのかな」
エプロン姿の銃が本日の予定を聖奈人に訪ねた。
いい加減外せ。目障りだ。
その短い心の声を奥にそっと仕舞い込み、普通に返事。
「そうだなぁ。かなの家にでも行こうかと思ってんだけど」
「佳凪太くんの家か。どんな家か気になるね」
「すっげー豪邸だぞ。漫画に出てくるような」
「……もしかして、佳凪太くんの家はお金持ちなのかな」
「金持ちだぞ。メイドが何人もいて、かなのことを御子息様って呼ぶんだぜ」
ただ、ムッキムキの華からは掛け離れたコスプレプロレスラーみたいなのだけどな、と付け加えた。
銃にしては珍しく驚いたようで、目を丸くしている。
「……そういえばどことなーくお高いオーラが……」
「だろ?しかも帰りにお土産として小さな袋の中に……ゔゔん!」
「最後なんて言った?まさかそのために行くんじゃないだろうね」
「ばっ、馬っ鹿野郎!そんなわけねーよ!」
目が泳いでいる。だが、嘘を言っているわけではなさそうだ。これは半分半分といった表現が正しそうだ。
「さ、さーて、かなにメールするか!」
銃を誤魔化そうと先ほど電源を落としたばかりのスマートフォンを手に取り、電源をオンにした。
数秒の待機時間、目線が突き刺さる。
「おっ、きたきた……って」
忘れていた。何故電源を落としたかを。
永海からのメールは中学生が発言してはならないような悍ましい文面に仕上がっていた。
『ま、まさかお兄ちゃん……そんなプレイまで……!恐れ入ったよお兄ちゃん。私が後押しすることはもう無さそうだね。グッジョブ!これからのめくるめくBLライフを楽しんでね!』と。




