プロローグ
「うわああああああああああ!」
どこからともなく断末魔の叫びが聞こえる。その声を断末魔だと判断するには容易だった。
何しろこの状況だ。まだ年端もいかない少年でさえその断末魔が何を意味するか理解していた。
人が消えているのだ。跡形もなく。『死』などという現実的なものではない。死体すら残らないその概念そのものの消滅は、少年はおろか、年を食った大人でさえ叫んでしまうような恐怖だった。
あちこちから聞こえる叫び声の主は、もちろん知らない誰かのもので、初めて聞いた声は結局誰のものか分からない。知っていたところで誰かはわからないだろうが。
叫び声は人のいなくなった街に木霊し、やがて虚空へと消えてゆく。
昼間だというのに夜を連想させるくらい空は暗い。形容するならば、闇だ。
少年は無我夢中でほとんど誰もいない道路を駆け、どこへ向かうでもなく走り続ける。いつか自分も消えてしまうのだろうか、という一抹の不安は拭おうとただただ疾走する。
自分は消えない、自分は消えないと小声でつぶやきながら、それまで信じてもいなかった神に祈りながら。
「はぁ……はぁ……!」
こんなに走っても無駄だ。
どこに行っても起こるべきことは結局起こるのだ。無駄だとわかっていた。
しかし、少年は走らずにはいられなかった。
どこかへ逃げることが出来たならば、きっと自分は助かる、消えずに済むと、ありもしない妄想を頭に張り巡らせながら大して早くもない足で疾走する。
と、少年の目の前でまた一人消えていく。下半身から徐々に、侵食するかのように消えていく姿は周囲に恐怖を与えると同時に、消えていく本人にも……いや、本人が一番恐怖を感じているだろう。
「嫌だあぁぁぁぁぁぁぁ!消えたくない!消えたくない!消えたくな……」
若い、大学生ぐらいの男は年甲斐にもなく大きな声で泣き叫んでいたが、男は甲高い、人間が発せるような音ではない不愉快な音を立てた後、他の消えていった男たちと同様にこの世から姿を消した。
「くそっ……くそっ!」
大学生であろう男がいた場所をなるべく見ないよう通り過ぎ、不安を振り払う為に先ほどよりも速く、誰もいない道を駆ける。
ごく偶に人を見かけるが、誰も彼も虚ろな目をしていて、少年を助けてくれそうな救世主はその中にいそうになかった。
そもそも、投げやりになり、自分が助かろうという気がないように思える。
その虚ろな目をした人たちも次々と消えていき、少年の不安は更に加速していく。
「はぁ……はぁ……っ!なんだよこれえええ!」
叫ばずにはいられなかった。少年の心はもうボロボロで、走る気力さえも削がれていく。
息もあがり、体力も限界に近づき、地面に両手両膝をつく。
俯きながら嗚咽交じりに少年は「助けて」とつぶやき続ける。
だが、この状況で助けてくれる人間など、どこにいるのだろうか。
分かっていた。分かってはいたがどうしても助けを求めずにはいられなかったのだ。
そして数十秒後、少年にもその時が訪れた。
少年の体に激痛が走る。
「うわああああ!誰か!誰か助けてえええええ!」
つま先から少しずつ消えていく。他の消えていった者たちと同じだ。
「やめろ!やめてくれよおおおお!」
のたうち回るが、もうどうすることもできない。徐々に体を侵食していく感覚が不快で仕方がない。
ゆっくりとした侵食だったが、次第に上半身にまで侵食が及び、今度は手の指先からも体が消え始めた。
もうダメだ、と死を覚悟したその時だった。
「大丈夫かな?」
優しい声と共に、ぽん、と肩に何かが当たる感覚がした。
それと同時に、侵食が止まり、消えていった体が元に戻る。
「え……?」
「危ない危ない。間一髪だったね!」
少年が振り返った先には、不思議な格好をした少女が立ったいた。
少女の姿はまさに幻想的で、少年にはその姿がこの闇の中を照らす太陽のように思えた。
呆気に取られていた。何かを言うことも出来ず、ただ少女を見つめる。少女も少年を見つめていた。
やがて我を取り戻した少年は思わず少女に名前を尋ねた。
「あの、貴方は……」
「私?私の名前は…………」
少女はにっこり笑い、その名前をーー。




