第二話 フトモモ教
これは、怪盗ホチキスの誕生秘話である。
もうすぐ梅雨となる季節、薄暗いどこぞの部屋の中のことであった。ここはフトモモ教の本部。
フードローブをまとった二人が、怪しい火の揺らめきを囲んでいる。
「教祖様、いまだに信者の増える兆しがありません。」
フード奥の表情は明確には窺えないが、その顔に壮年の皺が刻まれた男性が、ため息を漏らす。
「無理を言うでない。まだ活動は始まったばかりだ。何しろ、立ち上げてからまだ二か月。今は雌伏の時期、準備に勤しむのが筋というものだろう。」
透き通った若い声を発したその女性――教祖――は、火の光をじっと見つめながら、思索に飛んでいた。
あーん、どうしたら、増えるんだろう?
私達の、な・か・ま(はあと)
絶対、この世には結構な信者がいる筈!
でも、これを強引に集めると、
烏合の衆になってしまうし……
それはぶっ飛んだ思索だった。
男性がひとりごつ。
「考えてみれば確かに、この時期この今、信者ばかり増やしても、対象が少なければ、ただのイカガワシイ集団に過ぎませんね……。新たに一つ、大きな刑務所が、この国に必要かもしれません。」
「おまえは、その檻の中で拝めるというのか?まさか、自ら進んでフトモモをさらすとかいうのではなかろうな?」
「滅相もないことを、おっしゃらないでください。わたくしめは、見せるのではなく、見る方です。だから、信者なのです。神ではないのです。」
「そうだな、済まなかった。やはり、神か……」
教祖は唸った。因みに、ここでいう神とは、フトモモをさらした女性のことである。ここ、フトモモ教の本部は、その女性を崇める変態集団の巣である。まだ信者は二人だが。
「いっそ、教祖様が神とあらせられるのは、いかがでしょう?わたくしめは、教祖様の御素性は存じ上げませんが、大変スバラシイものと想像しております。これは妄想ではありません。直感です。信者だからこそ分かる、第六感です。」
やはりこいつは檻に入れておいた方がいいかもしれない、そう教祖が思ったかどうかは定かではない。どうせ、教祖も同じ類なのだから。
その言葉に教祖は黙った。
「教祖様?」
「……」
教祖は沈思黙考していた。
「何か、不相応なことを申し上げてしまいましたでしょうか。失礼を申し上げていたのであれば、お許しくださ……」
「いや、そういう方法があるな。」
「神になるのですか?」
「お前はそれにこだわるな……。寒気がするぞ。お前はもしかしたら、私の素性を知っているのではないのか?それでいて、ハアハア言っているような気がしてならない。」
そもそもハアハア言っていない。
「わたくしめは、一介の信者に過ぎません。第六感はあっても、第七感はございません。素性を見抜くことなど、神以外であれば、教祖様ぐらいしかできぬものと心得ております。」
教祖は思った。大丈夫だ、こいつは単なるバカだから安心していい。だから万年ナンバー2止まりなのだ。そもそも神こそそんな感覚は持ち得ないだろう、と。彼女らこそ、一市民なのだから。それに、第七感ってなんだ、もういいや。とにかく世の中、お前のようなヘンタイばかりではない、とヘンタイの教祖は一人納得していた。
「神を、作る。」
「えっ!?」
男性は、教祖の言葉が理解できなかったのか、素っ頓狂な声を上げてしまう。教祖は改めて、ゆっくり、同じ言葉を紡いだ。
「神を、作る。作ればいいのだ。さすれば、自ずと信者は増える筈だ。あの神の神々しさにヤられない者など、信者ではない。」
教祖も少し、興奮しているようだった。当たり前のことを言っていることに気付いていないヘンタイ。
「では、どのように……」
「お前の信心はよく分かった。素性の一部を明かすとしよう。私は、若年集団の中に普段はおり、彼ら彼女らの一挙手一投足をよく目にしている。その立場を利用し、神を作り出すのだ。」
「はあ……」
男性は、まだ想像が働いていない様子だった。教祖は続ける。
「学び舎というところにいる。そこで、半ば多少強引に、彼女らのフトモモをさらさせるのだ。恐らく、彼女らの殆どは、それをひどく恐れるだろう。しかし中には、自らのフトモモの素晴らしさに気付ける者が、いや、密かに気付いている者さえいよう。その者の、心のたがを、外す。」
「なるほど。では、具体的にはどのように。」
男性は先ほどと余り変わらない質問を繰り返した。やはり所詮ナンバー2、そう教祖は落胆しつつ指示を下す。
「まずはお前に準備を命ずる。お前は、給与を得、わずかばかりの小遣いを、奥さんより頂いている筈だ。」
「じぇじぇ!!ど、どうしてそれを!?さすがは第七感を持つ、わが教祖様であらせられる……はい、その通りにございます。で、何を調達すれば宜しいのでしょうか。ただ、わたくしめの小遣いは大変貧相でして……」
「能書きはいい。今から言うものを買って来い。案ずるな、日本という国の通貨単位で、せいぜい数千といったところだ。」
「ありがたき御言葉、光栄にございます。」
俺、今、日本語しゃべっているんだけどな、「じぇじぇ」とか、昨今の流行語は素直に受け取れるぐらい、あなたもどっぷり日本人ですよ、というか今朝観てたでしょ。どこまでこの教祖様は異世界雰囲気を堪能したいのだろうと、男性は思ったとか思わないとか。
「買うものは、大小、複数の大きさのホチキスだ。あと、替え芯を忘れるな。これは定期的に購入するから、毎月、その分お小遣いからの出費が増えるものとして覚悟せよ。」
「ははーっ。了解にございます。して、どのように用いるのですか?」
その言葉に教祖は、ぴくりと体を動かす。しかしすぐに気を取り直したか、上半身を屈ませると、両手の先でローブの裾をつまんだ。
「……何をなさいますか!?もしや、やはり神に……」
教祖は聞こえない振りをした。単に、恥ずかしかったからだ。そして、つまんだ裾を少しだけ、ほんの少しだけ引き上げた。
「このように、裾を持ち上げてから、まあ、正確に言えば、フトモモが現れるまで持ち上げ、その部位をホチキスで留める。あらましはそんなものだ。学び舎の者達は、スカートという、このローブより幾分短い腰巻を身に付けている。そこに同じことをするのだ、秘密裏に。」
「ざんね……いや、そういうことだったのですか。よく分かりました。」
男性は少し、安堵したようだった。だがまだ不安があるようで、教祖へ問うた。
「では、それをどなたが行うのでしょうか。わたくしめでは、恐らく、遅かれ早かれ檻に入ることになってしまうと思います。お役に立てず、申し訳ありません。」
「それこそ案ずるな。お前の役割は、飽くまで準備だ。資材の購入に注力せよ。替え芯を切らすな。実際の行動は、私が行う。」
「お一人ですか?」
「そうだ。こういう秘密の行動は、人数が少ない方がいい。それに、私はかなり身のこなしがよい。自分で言うのも、気が引けるがな。」
「その御自信に安心致します。しかし教祖様、くれぐれもご無理をなさらぬよう。」
「もちろん。」
ただ、このときの二人の安心の意味は、食い違っていた。教祖は、男性を連れて行くことはないから安心せよ、と言ったつもりだった。ところが男性は、日々の小遣いを地道に計算していたのだった。一人でホチキス使うのならば、それほど替え芯はいらないよね、って。