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辺境領主の魔導変革記 ~魔力結晶と魔導列車で、世界の経済と物流を支配する~  作者: Nami


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第9話 黄金の宴と破滅への署名


 その夜、ヴェルダン領主館の大広間は、狂騒の坩堝るつぼと化していた。

 シャンデリアの魔石が煌々と輝き、オーク材の長いテーブルには、領内の備蓄庫から持ち出された食材が山のように積まれている。

 北海産の高級な蟹、鹿肉のロースト、そして地下セラーで何年も熟成されていたヴィンテージワイン。

 それらは本来、冬を越すための資金源や、外交用の切り札として大切に保管されていたものだ。

「ガハハハ! 飲め飲め! 酒ならいくらでもあるぞ!」

 上座に陣取ったジェラールが、ワイングラスを掲げて下卑た笑い声を上げる。

 その周りを取り囲むのは、彼が王都から連れてきた太鼓持ちの貴族たちと、腐敗した監査官スネークだ。

 彼らは高価な絨毯にワインをこぼし、食べかけの肉を放り投げ、我が物顔で振る舞っている。

 私は、広間の隅でその光景を無表情に見つめていた。

 隣には、給仕係に変装させられたリリーナが控えている。彼女の手はトレーを握りしめて震えていた。

「……許せません。あのワインは、一本で金貨五枚はする年代物です。それを、あんな……水のように……ッ」

「我慢だ、リリーナ。彼らが飲んでいるのはワインじゃない」

「え?」

「『最後の晩餐』の毒だよ」

 私が小声で囁いた時、広間の扉が重々しく開かれた。

 一瞬、喧騒が止まる。

 現れたのは、夜会用のドレスに身を包んだエルヴィラ・ロッシだった。

 漆黒のベルベット生地は彼女の豊満な肢体を強調し、肩に掛けた真紅のショールが鮮烈な印象を与える。その姿は、まさに夜の女王だ。

「おや、これはこれは! ロッシ商会の女会長殿ではないか!」

 ジェラールが椅子を蹴って立ち上がり、満面の笑みで歩み寄る。

「お招きいただき光栄ですわ、ジェラール様。……随分と賑やかな歓迎ですこと」

「当然だ! これからはこの俺がヴェルダン領の主だからな。さあ、こっちへ来て俺の酌をしろ」

「ふふ、喜んで」

 エルヴィラは扇子で口元を隠し、私に一瞬だけ視線を送った。

 『手はず通りに』――その瞳がそう語っている。

 彼女はジェラールの隣に座ると、甘い声で囁きながらワインを注いだ。

 ジェラールは鼻の下を伸ばし、彼女の腰に手を回そうとするが、エルヴィラは巧みに身をかわす。

「気が早いですわ、ジェラール様。……わたくし、強い殿方が好きですの」

「強い? 俺のことか?」

「ええ。ですが、言葉だけでなく『証』が欲しいですわ。本当に貴方様が、この領地の全てを握っているという証拠が」

 エルヴィラの誘導は見事だった。

 ジェラールは自身の権威を誇示したくてたまらない状態だ。

「おい、アルス! 例の書類を持ってこい!」

 ジェラールが怒鳴る。

 私は待っていましたとばかりに、盆に乗せた書類と羽ペンを持って進み出た。

「こちらに。……領内の全事業権、および資産管理権を、現当主代行であるジェラール兄上に移譲する契約書です」

 分厚い羊皮紙の束。

 表紙には『権限委譲契約書』と大きく書かれている。

 ジェラールは中身を読もうともせず、いきなり最終ページの署名欄にペンを走らせようとした。

「お待ちください、兄上。……念のため、条文の確認を。特に第十三条の『最高責任者の義務』については……」

 私がわざとらしく忠告すると、ジェラールは鬱陶しそうに私を睨みつけた。

「うるさい! 貴様ごときが作った書類、俺が細かくチェックする必要があるか! どうせ俺に都合の良いように書かせたんだろうな?」

「は、はい。もちろんです。兄上が全ての利益・・を享受できるよう、作成いたしました」

「ならいい!」

 サラサラと署名がなされ、最後にヴェルダン家の家紋印が押された。

 その瞬間、契約は成立した。

 私は心の中で喝采を叫んだ。

 この契約書の肝は、利益の独占ではない。

 『事業に関連する一切の負債、損害賠償、および法的責任は、署名者個人の資産を担保として無限に負うものとする』

 という、裏面に小さく、かつ難解な法廷用語で書かれた特約条項だ。

 つまり、今後ヴェルダン領で起きるあらゆる損失は、ヴェルダン家(父)ではなく、ジェラール個人の借金となる。

「これで満足かい? エルヴィラ殿」

「ええ、とても。……これではっきりしましたわ。誰が『責任者』なのかが」

 エルヴィラは艶然と微笑み、サインされたばかりの契約書の写しを素早く懐に収めた。

 これで逃げ場はない。

 宴は深夜まで続いた。

 ジェラールは勝利の美酒に酔いしれ、私は従順な弟を演じきった。

 だが、本当の地獄は翌朝から始まる。

          ◇

 翌朝。

 二日酔いの頭を抱えながら、ジェラールは執務室で怒号を上げていた。

「金だ! もっと金を稼げ! 昨日の宴会で派手に使いすぎた!」

「ですが、兄上。現在の鉄道の運行スケジュールは限界ギリギリです」

 私は運行表を示しながら説明した。

 魔導エンジンは強力だが、熱を持ちやすい。三往復ごとに一回の冷却点検が必須だ。これはリリーナが算出した絶対の安全基準である。

「ええい、るさい! ただ走らせるだけだろうが! 点検など時間の無駄だ。冷却時間を無くせば、一日に二十往復はできるだろう!」

「それは危険です。エンジンが焼き付きます」

「俺に指図するな! これは命令だ。……さもなくば、あの生意気な女秘書を俺の寝室に連れていくぞ?」

 ジェラールは卑劣な笑みを浮かべた。

 私は拳を握りしめるふりをして、悔しそうに頭を下げた。

「……分かりました。仰せのままに」

 私は部屋を出ると、待機していたボルグに指示を出した。

 

「ボルグ。……『総員、命令に従え』だ」

「なっ、若様!? あいつの言う通りにしたら、機関車がイカれちまうぞ!」

「いいからやれ。ただし、運転士は飛び降りれる準備をしておけ。……貨物は安価な石材だけにしておけよ」

「……? へっ、了解だ。若様が悪巧みしてる顔だ、信じるぜ」

 そして、正午過ぎ。

 悲劇――いや、喜劇は起きた。

 無理な連続運転を強いられた『ヴェルダン一号』が、峠の登り坂で異音を発したのだ。

 冷却不足により、バイオメタルのシリンダーが熱膨張を起こし、ピストンが固着ロック

 凄まじい衝撃と共にエンジンが破裂し、機関車は線路の真ん中で立ち往生した。

 幸い、運転士は直前に脱出しており無事だったが、後続の貨車が脱線し、積み荷の石材が散乱。

 単線であるヴェルダン鉄道は、完全に封鎖された。

 一報が領主館に届いたのは、ジェラールが遅い昼食をとっている最中だった。

「ほ、報告します! 一号機関車が大破! 線路も歪み、復旧の目処が立ちません!」

「な、なんだと!? 修理させろ! すぐにだ!」

「予備パーツがありません! それに、線路が塞がっているため、港からの輸送がすべてストップしています!」

 ジェラールの顔色が青ざめる。

 だが、本当の恐怖はここからだ。

 執務室の扉がノックもなしに開かれた。

 入ってきたのは、ロッシ商会の制服を着た屈強な男たちと、氷のような表情をしたエルヴィラだった。

「……ジェラール様。少し、お話がありますの」

 昨晩の甘い態度はどこへやら。彼女の全身からは、歴戦の商人が放つ威圧感が立ち昇っている。

「エ、エルヴィラ殿? これは事故で……すぐに復旧を……」

「事故? いいえ、『人災』ですわ。我が商会の調査員から、貴方が安全基準を無視して運行を強要したという証言を得ています」

 エルヴィラは一枚の紙を突きつけた。

 それは、昨晩ジェラールがサインした契約書に基づいた『違約金請求書』だった。

「本日の輸送停止により、我が商会は王都への納品義務を果たせなくなりました。さらに、積載予定だった生鮮食品の廃棄損害、取引先への信用失墜による賠償金……。契約書の『重大な過失による損害条項』に基づき、即刻お支払い願います」

 ジェラールが請求書の数字を見た瞬間、その目が飛び出さんばかりに見開かれた。

「き、金貨……五〇〇〇枚だと!? ふざけるな! こんな金、払えるわけがない!」

「払えなければ、契約通り『個人の全資産』を差し押さえさせていただきます。王都の別邸、馬車、宝石、衣類……そして、貴方自身の『身柄』も含めて」

 エルヴィラの後ろに控えていた男たちが、ジャラリと手錠を取り出した。

 借金奴隷の回収人が使う、魔封じの手錠だ。

「ま、待て! 俺はヴェルダン家の次期当主だぞ! 父上が……!」

「いえ、契約書には『個人の責任』と明記されています。お父上は関係ありません。……さあ、どうなさいます? 今すぐ払うか、それとも鉱山で一生を終えるか」

 ジェラールは腰を抜かし、床に這いつくばった。

 そして、助けを求めるように私を見た。

「あ、アルス! なんとかしろ! お前、金を持っていただろう! あれを出せ!」

 私はゆっくりと兄に歩み寄り、冷ややかな目で見下ろした。

 そして、昨晩彼が言った言葉をそのまま返した。

「……俺に指図するな。もう、貴方は当主代行ではない。ただの『多重債務者』だ」

 私の合図と共に、セバスチャンが衛兵たちを招き入れた。

 衛兵たちは、今までジェラールに虐げられてきた恨みを晴らすかのように、荒々しく彼を取り押さえた。

「は、放せ! 俺は長男だぞ! 貴族だぞぉぉぉ!」

 絶叫しながら引きずられていくジェラール。

 その情けない背中を見送りながら、私は深く息を吐いた。

 

 部屋には静寂が戻った。

 リリーナが、震える手で眼鏡を外し、涙を拭った。

 エルヴィラが扇子を閉じ、いつもの妖艶な笑みに戻る。

「……あらあら。少しおいたが過ぎましたかしら?」

「いいえ。完璧な演技でした、エルヴィラ」

 私は窓の外を見た。

 線路は塞がっている。大きな損害だ。

 だが、これで最大の癌は切除された。

「さあ、仕事だ。……まずは線路の復旧。そして、兄上が作った借金の山を片付けるぞ」

 私の号令に、リリーナとセバスチャンが力強く頷いた。

 ヴェルダン領の真の支配者が誰なのか、これで全員が理解したはずだ。


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