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辺境領主の魔導変革記 ~魔力結晶と魔導列車で、世界の経済と物流を支配する~  作者: Nami


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第8話 放蕩兄の帰還と査察


 鉄道の開通から三ヶ月。ヴェルダン領には、かつてないほどの初夏の風が吹いていた。

 港湾地区は拡張工事の槌音が絶えず響き、巨大なクレーンが唸りを上げている。

 『ヴェルダン一号』に続き、二号、三号機関車もロールアウトし、今や一日に十往復のダイヤが組まれている。

 北の海で獲れた新鮮な魚介類は、燻製やオイル漬けの缶詰に加工され、鉄道で内陸へ運ばれた後、ロッシ商会の手によって王都や他国へと輸出されていく。

「……信じられません。今月の税収、昨対比で一二〇〇パーセント増です」

 執務室にて、リリーナが震える声で月次報告書を読み上げた。

 彼女のデスクには、山のような帳簿が積まれているが、その表情は疲労よりも充実感に満ちている。

「借金の返済ペースも順調です。このままいけば、父上が作った負債は年内に完済。来年からは純利益が積み上がります」

「あくまで計算上はな。……設備投資も嵩んでいる。油断はできない」

 私は窓の外、黒い煙を吐いて走る列車を見下ろしながら答えた。

 街には人が増えた。職を求めて近隣の村から流れてきた人々により、人口は倍増している。

 街区整備、下水道、治安維持。やるべきことは山積みだ。

 だが、私の懸念事項はそこではない。

「……そろそろ来る頃だ」

「え?」

「光が強くなれば、虫が寄ってくる。特に、金色の光にはな」

 私の予言に応えるかのように、ドアが激しくノックされた。

 飛び込んできたのは、セバスチャンだ。いつもの冷静な彼が、珍しく呼吸を乱している。

「あ、アルス様! 大変です! 正門に……!」

「ジェラール兄上か?」

「は、はい! ですがお一人ではありません。王都からの客人や護衛を数十人も引き連れて……まるで凱旋パレードのようです!」

 私は小さく溜息をつき、リリーナに視線を送った。

 彼女は瞬時に状況を察し、重要な帳簿と設計図を金庫へとしまった。

「行こう。……歓迎して差し上げないとな」

          ◇

 領主館の正面広場は、異様な空気に包まれていた。

 泥と油にまみれて働く作業員たちの前に、場違いに煌びやかな馬車列が停まっている。

 白塗りの車体に金箔の装飾。牽いているのは、観賞用の白馬だ。

 馬車から降り立った男――私の兄、ジェラール・フォン・ヴェルダンは、ハンカチで鼻を押さえながら、軽蔑の眼差しで周囲を見回していた。

「オエッ、なんだこの臭いは! 煙と魚の臭いで吐き気がするぞ!」

 金髪を派手に巻き、流行のシルクの服を着飾っているが、その体型は王都での不摂生により、以前よりも弛んでいた。

 後ろには、腰巾着のような貴族の男たちと、官僚風の男が一人控えている。

「お久しぶりです、ジェラール兄上。遠路はるばる、よくお戻りになりました」

 私が恭しく頭を下げると、ジェラールは私を一瞥し、鼻で笑った。

「ふん、アルスか。少し見ない間に、随分と小汚くなったな。……おい、なんだあの騒音は」

 彼が指さしたのは、遠くを走る魔導列車だ。

「あれが報告にあった『魔導列車』です。我が領の物流を支える……」

「ああ、もういい。興味がない」

 ジェラールは話を遮り、大股で館へと歩き出した。

「父上は寝込んでいると聞いた。今日から俺が当主代理として指揮を執る。……アルス、貴様はご苦労だったな。あとは俺に任せて、部屋で休んでいろ」

 すれ違いざま、彼は当然のようにそう言い放った。

 私が積み上げた数ヶ月の苦労を、たった一言で掠め取るつもりだ。

 後ろに控えていたボルグが、「なっ、ふざけんじゃ……!」と飛び出そうとするのを、私は背中の手信号で制した。

「……承知いたしました。では、執務室へご案内します」

          ◇

 執務室に入ると、ジェラールはあるじの椅子にドカと腰を下ろし、革靴のまま机に足を乗せた。

 取り巻きたちがワインを開け、宴会のような雰囲気になる。

「さて、アルス。単刀直入に言おう。……権利書を出せ」

「権利書、とは?」

「とぼけるな! あの鉄道と、魔石鉱山の権利書だ! 父上の代理権を持つ俺が、正式に管理する。貴様のような子供に、これだけの資産管理は荷が重かろう?」

 ジェラールの目は血走っていた。

 王都での借金、女遊び、そして見栄。それらを満たすための金が、今ここに無尽蔵にあると知ったのだ。

「それに、この男の報告によれば、貴様のやっていることは『違法』の疑いがあるらしいぞ?」

 ジェラールが顎でしゃくると、官僚風の男が一歩前に出た。

 小柄で神経質そうな男だ。

「王都財務局の監査官、スネークと申します。……アルス殿、貴殿は王国の許可なく大規模な土木工事を行い、さらに未認可の魔導機器を運用している。これは『国土保全法』および『魔導取締法』への抵触が懸念されます」

 なるほど。

 買収された小役人を連れてきて、法律を盾に私を脅す腹か。

 確かに、法の手続きは事後承諾の形をとっている部分がある。そこを突かれると痛い。

「ですので、一時的に全ての事業権限をジェラール様に移譲し、王都への正規の申請を行う必要があります。……さもなくば、事業停止命令を出さざるを得ませんな」

 スネーク監査官は、いやらしい笑みを浮かべた。

 脅迫だ。だが、今の私には彼らを排除する権限がない。長男という血筋は、貴族社会において絶対に近い。

「……お待ちください」

 その時、凛とした声が響いた。

 お茶の準備をしていたリリーナだ。彼女は我慢ならずに口を挟んだ。

「現在の事業は全て、エドワード辺境伯閣下の署名入り委任状に基づいて行われています。また、魔導列車の安全性については、魔導ギルドの仮認可も取得済みです。違法性はありません」

「ああん? 誰だ、この生意気な女は」

 ジェラールがリリーナを睨む。

 しかし、次の瞬間、その表情が下卑たものへと変わった。

 リリーナの整った顔立ち、知的な瞳、そしてブラウスの上からでも分かる膨らみに、欲望の色を隠そうともしない。

「ほう……。田舎にしては上玉がいるじゃないか。アルスの秘書か? もったいない」

 ジェラールは椅子から立ち上がり、リリーナに近づくと、その細い顎に手を伸ばした。

 リリーナが青ざめて身を引く。

「おい、女。名前は?」

「……リリーナ・フォン・エヴァーガーデンです。触らないでください」

「エヴァーガーデン? ああ、あの没落貴族か! ハハッ、親が罪人なら、娘も罪人みたいなもんだな」

 ジェラールは彼女の肩を強引に抱き寄せた。

「いいことを教えてやる。俺の世話係になれ。そうすれば、親の罪を少しは軽くしてやるよう、口を利いてやらんこともないぞ? ん?」

「離して……ッ!」

 リリーナが抵抗しようとするが、男の力には勝てない。

 その時。

「――兄上」

 私は静かに、しかし部屋の空気が凍りつくほどの重圧プレッシャーを込めて声をかけた。

 ジェラールの動きが止まる。

 彼は振り返り、私を見た。魔力のないはずの弟から放たれる、異質な殺気に気圧されたように。

「……なんだ?」

「リリーナ嬢は、当家の重要な財務官です。彼女がいなければ、明日の資金繰りも止まります。……兄上の『財布』が空になってもよろしいので?」

「チッ……」

 金と言われては、ジェラールも引かざるを得ない。

 彼は舌打ちをしてリリーナを突き放した。

「興が削がれた。……まあいい、夜は長い。楽しみは後にとっておくか」

 彼は再び椅子に戻り、私に命令した。

「分かったらさっさと書類を用意しろ。それと、今夜は歓迎の宴だ。領内の美味いものと、酒を全部持ってこい。ああ、それとロッシ商会の女会長も呼べ。あいつも挨拶に来るのが筋だろう?」

 彼は完全に、自分が王になったつもりでいる。

 私はゆっくりと頭を下げた。

「……かしこまりました。直ちに準備いたします」

 私はリリーナに目配せをし、部屋を出るように促した。

 彼女は悔しさに唇を噛み締めながらも、私の意図を汲んで退室した。

 部屋を出て、廊下を歩く。

 角を曲がったところで、控えていたセバスチャンとボルグが駆け寄ってきた。

「若様! いいんですか、あんな奴の好き勝手にさせて!」

「ボルグ、声を落とせ」

 私は冷静だった。いや、頭の中は氷のように冷え切っていた。

 ジェラールは一線を越えた。

 私の大切な部下たちを侮辱し、リリーナに触れようとした。

 もはや、兄弟の情けをかける必要はない。

「セバスチャン。兄上が要求した通り、最高級の酒と料理を出してやれ。……それと、この書類を」

 私は懐から、数枚の羊皮紙を取り出した。

 それは、あらかじめ用意しておいた『業務引継書』だ。

 ただし、裏がある。

「これは?」

「全事業の譲渡契約書だ。ただし、『負債の連帯保証』と『契約不履行時の違約金条項』が、極めて小さな文字で、しかも複雑な法解釈の中に紛れ込ませてある」

 ジェラールは書類など読まない。金と権力の文字だけを見て、喜んでサインするだろう。

 彼がサインした瞬間、ヴェルダン家が抱える過去の莫大な借金と、ロッシ商会との間に結んだ「納品遅延時の巨額賠償金」の責任は、すべて「当主代行ジェラール」個人へと移る。

「泳がせるんだ。彼は今、黄金の卵を産む鶏を手に入れた気でいる。……その鶏が、実は火を噴くドラゴンだとも知らずにな」

 私の目には、もはや兄は映っていない。

 ただの排除すべき障害物として処理プロセスを開始した。

「リリーナには、少し辛抱してもらうことになる。だが伝えてくれ。『倍にして返してやる』と」

 廊下の窓から見える夕日は、血のように赤かった。

 ヴェルダン家の膿を出し切る夜が始まる。


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