第7話 一番列車、荒野を駆ける
アステリア王国の北端に、遅い春が訪れた。
分厚い雪雲が去り、大地を覆っていた根雪が溶け出して川へと流れ込む。
だが、今年のヴェルダン領の景色は、例年とは決定的に異なっていた。
西の山岳地帯から海岸の港まで、大地を切り裂くように伸びる二本の銀色のライン。
『大王鋏蟹』の甲殻から精製されたバイオメタルのレールが、陽光を反射して輝いている。
その始発点となる旧廃鉱山の広場には、領民だけでなく、噂を聞きつけた近隣の村人までもが鈴なりになって集まっていた。
「おい、見ろよあれ……」
「鉄の塊だ。あんなデカいもんが、本当に動くのか?」
人々の視線の先に鎮座するのは、黒鉄の巨獣。
『魔導機関車ヴェルダン一号』。
全長一五メートル、総重量四〇トン。
無骨なボイラー部には冷却用のパイプが血管のように張り巡らされ、後部には大量の貨物を積載した貨車が三両連結されている。
馬車とは比較にならないその威圧感に、誰もが息を呑んでいた。
「……美しい」
運転席の横で、リリーナが陶酔したように呟いた。
彼女の手には分厚いチェックリストが握られている。
「魔導回路接続、オールグリーン。圧力弁、正常。……理論値通りの完璧な仕上がりです」
「ああ。だが、こいつの本領はこれからだ」
私は運転席に座り、革の手袋を締め直した。
計器類が並ぶダッシュボードは、前世の記憶と魔法技術のハイブリッドだ。
客車――といっても、貨車の一部を改装しただけの貴賓席には、エルヴィラ夫人が優雅に座っている。
「ふふ、楽しみですわ。私の商会の荷物を満載にしてもらいましたけれど、もし動かなかったら弁償していただきますわよ?」
「その心配は無用だ。……おいボルグ、お前も乗れ」
「勘弁してくだせぇ若様! あんな化け物に乗ったら魂が抜かれちまう!」
現場監督のボルグが尻込みするが、私は無理やり彼を機関助士席に座らせた。彼ら現場の人間こそが、この振動を体感すべきなのだ。
「出発進行!」
私が汽笛のレバーを引く。
――フォオオオオオオオッ!!
甲高い魔導音響が、春の空気を震わせた。鳥たちが一斉に飛び立ち、見物人たちが耳を塞ぐ。
次いで、主機始動。
魔石のエネルギーが解放され、ピストンが動き出す。
ズドン、ズドン、と腹に響く鼓動。
巨大な動輪が軋み、レールを噛む。
シュゴォォォ……! 排気管から蒼白い魔力の残滓が噴き出し、四〇トンの鉄塊が、ゆっくりと、しかし力強く前進を始めた。
「う、動いた! 鉄の山が動いたぞ!!」
歓声が爆発する。
列車は次第に速度を上げ、広場を離れていく。
ゴトン、ゴトン、ゴトン――。
レールの継ぎ目を渡るリズムが速くなる。
最初は小走り程度だった速度が、やがて早馬を追い抜き、未知の領域へと突入していく。
「ひぃぃぃっ! は、速ぇぇぇ!」
ボルグが窓枠にしがみついて叫ぶ。
景色が後方へと飛び去っていく。風圧が凄まじい。
時速六〇キロ。
現代日本なら遅い部類だが、この世界においては「神速」に等しい。
「機体安定。魔力消費率、想定の八五パーセントで推移。……凄いです、アルス様。これだけの質量を運んでいるのに、魔石の減りが微々たるものです!」
リリーナが興奮で頬を紅潮させながら叫ぶ。
風で乱れる髪も気にせず、彼女はひたすら計器の数値を記録し続けている。その姿は「氷の才女」ではなく、新しい玩具を与えられた少女のようだ。
私はチラリと後方を見た。
エルヴィラ夫人は、窓の外を流れる景色を見つめながら、扇子で口元を隠していた。だが、その目は笑っていない。
彼女の脳内では今、凄まじい速度でソロバンが弾かれているはずだ。
(この速度……。馬車で半日かかる道のりが、数十分? 回転率は一〇倍、積載量は一〇〇倍。……これは、物流の独占どころの話ではないわ。歴史が変わる)
彼女の視線が、熱っぽい色を帯びて私の背中に突き刺さるのを感じた。
やがて、前方に海が見えてきた。
目的地の港湾地区だ。
私は減速レバーを引き、魔導ブレーキを作動させる。
キーーーッ! と金属音を立てながら、列車は新設された港のホームへと滑り込んだ。
プシュウゥゥゥ……。
排気音と共に停車する。
所要時間は、わずか二五分。
馬車隊なら、まだ山道を喘ぎながら登っている頃だ。
「と、到着……ですか?」
港で待機していた作業員たちが、狐につままれたような顔で集まってくる。
私は運転席から飛び降り、高らかに宣言した。
「積荷を降ろせ! 新鮮な山の幸と、鉱石だ。すぐにエルヴィラ商会の船に積み替えろ!」
貨車の扉が開かれると、満載された荷物が姿を現す。
それを見た瞬間、港の空気が変わった。
疑念が確信へ、そして熱狂へと変わる。
「すげぇ……本当に運びやがった!」
「これだけの量を、たった一回で!?」
エルヴィラが優雅に降り立つ。彼女の足取りは軽く、その顔には満面の笑みが張り付いていた。
「アルス様。……私、決めましたわ」
「何をです?」
「貴方への出資額、三倍に増やします。その代わり――この鉄道路線を南の王都まで延伸する際は、我が商会を筆頭株主にしていただきますわよ」
彼女は私の手を取り、甲の裏に唇を寄せた。
それは服従の証ではなく、対等なパートナーとしての、あるいはそれ以上の独占欲の表れだった。
「ご期待に添えるよう、努力します」
「ええ、期待していますわ。……私の小さな魔王様」
その様子を、リリーナが背後からジトッとした目で見ているのに気づき、私は苦笑した。
こうして、一番列車の試験走行は成功した。
この日、ヴェルダン領は「陸の孤島」であることを辞めた。
魔導列車という大動脈が通ったことで、死に体だった北の地が、巨大な心臓となって鼓動を始めたのだ。
だが、光が強くなれば、影もまた濃くなる。
◇
数日後。王都、ヴェルダン本邸。
煌びやかな調度品に囲まれた部屋で、長男ジェラールは不機嫌そうにワイングラスを揺らしていた。
「……なんだと? アルスが、領地で妙な真似をしている?」
彼に報告を入れたのは、取り巻きの貴族の一人だった。
「ええ。何でも、魔獣の死骸を使って鉄の馬を走らせたとか。おまけに、あの『女狐』ことロッシ商会が頻繁に出入りしているようです」
「ふん。どうせ、田舎者の工作だろう。……だが、ロッシ商会が噛んでいるとなれば、小銭くらいは稼いでいるのかもしれん」
ジェラールは下卑た笑みを浮かべた。
彼の懐事情は、実家からの送金停止によって逼迫している。
借金取りの催促から逃れるためにも、新たな金づるが必要だった。
「丁度いい。父上も『アルスの様子を見てこい』と五月蝿いからな。……久しぶりに帰ってやるか、あの泥臭い田舎へ」
ジェラールはグラスの中身を飲み干し、獰猛な舌なめずりをした。
彼はまだ知らない。
彼が「小銭稼ぎ」だと思っているものが、王国の経済を揺るがす怪物に成長していることを。
そして、その怪物を作り出した弟が、もはや彼の知る大人しい次男坊ではないことを。




