第6話 闇の商人と魔導エンジンの鼓動
領地の地下、かつて鉄鉱石を掘り出していた廃坑の奥深く。
そこは今、熱気と油の匂い、そしてオゾン臭が充満する秘密の工房へと変貌していた。
「圧力上昇、臨界点まであと一〇秒! 魔力供給ライン、安定しています!」
リリーナの声が洞窟内に響く。彼女は今や計算機としてだけでなく、実験データの記録係としても優秀な働きを見せていた。
私の目の前には、先日精製した「バイオメタル」の塊から削り出した、無骨な鉄塊が鎮座している。
『魔導複動式エンジン』の試作一号機だ。
構造は前世の蒸気機関に近いが、決定的な違いがある。
水を沸騰させるのではない。シリンダー内部で「魔力結晶」を気化・膨張させ、その爆発的な圧力をピストン運動に変えるのだ。
石炭も水もいらない。必要なのは、私の作った高純度魔石のみ。
「いけ……っ!」
私が始動レバーを引き下ろした瞬間、エンジンが咆哮を上げた。
ドォン!! ドォン!! シュゴォォォォ!!
腹に響く重低音。
ピストンが目にも止まらぬ速さで往復し、接続された巨大なフライホイール(弾み車)が唸りを上げて回転する。
その回転力は凄まじく、固定していた台座が軋み、洞窟全体が揺れた。
「ひ、ひぃぃっ! ば、爆発するぞ!」
現場監督のボルグが腰を抜かして悲鳴を上げる。
無理もない。馬車しか知らない彼らにとって、この自律駆動する鉄の塊は、暴れる魔獣そのものだろう。
「成功だ……! 出力安定。トルクも計算以上だ!」
私は回転計代わりの魔導ゲージを確認し、拳を握りしめた。
これならいける。
数百トンの貨物を積み、険しい山道も雪道も関係なく突き進む「魔導列車」の心臓部が、今ここで産声を上げたのだ。
「……信じられません」
リリーナが、回転するホイールを見つめながら呆然と呟いた。
「これ一機で、風車小屋一〇〇個分以上の動力があります。……アルス様、貴方は本当に、これを人間の手で作ったのですか?」
「言っただろう。世界を変える技術だと」
私はエンジンを停止させた。余韻のような熱気が肌を撫でる。
だが、感傷に浸っている時間はない。
物を作るだけでは片手落ちだ。これを運用し、利益を生み出すための「血管」――すなわち流通網が必要になる。
「セバスチャン、客人の到着は?」
「はっ。すでに別室にてお待ちです」
闇に紛れて屋敷を訪れた、一人の貴婦人がいる。
私がこのエンジンの開発と並行して、接触を図っていた人物だ。
◇
応接間に通された私は、ソファに優雅に腰掛ける女性と対峙した。
エルヴィラ・ロッシ。
年齢は二十代半ば。艶やかな濡羽色の髪を巻き上げ、喪服を思わせる黒のドレスに身を包んでいるが、その胸元には大粒のルビーが妖しく輝いている。
彼女は「ロッシ商会」の会頭であり、若くして夫を亡くし、その莫大な遺産と権利を引き継いだ伯爵未亡人だ。
社交界では「黒衣の女狐」と囁かれる、美しくも危険な女傑である。
「お初にお目にかかります、アルス様。……いえ、『領主代行閣下』とお呼びすべきかしら?」
エルヴィラは扇子で口元を隠しながら、品定めするような流し目を送ってきた。
その瞳は、獲物を狙う肉食獣のように鋭い。
「形式は不要です、エルヴィラ夫人。貴女のような大商人が、わざわざこんな辺境まで足を運んでくださるとは光栄です」
「ふふ、謙遜を。……最近、このヴェルダン領で奇妙な動きがあると耳にしましてね。大量の食料買い付けに、海岸での不審な工事。そして何より――」
彼女はテーブルの上に、小さな石ころを転がした。
それは私が市場調査のために極秘裏に流した、低純度の魔石の欠片だった。
「この美しい石。王都の宝石商たちが目の色を変えて探していますわ。出処はここ(・・)でしょう?」
さすがは商売のプロだ。情報のキャッチが早い。
私は隠すことなく頷いた。
「ええ。我が領の特産品です」
「素晴らしい。独占販売権を私にくださいな。そうすれば、貴方の抱える借金、私が肩代わりして差し上げてもよろしくてよ?」
エルヴィラは身を乗り出し、甘い香水の香りと共に囁いた。
魅力的な提案だ。だが、私は首を横に振った。
「お断りします」
「……あら? 欲のない殿方ですこと」
「石を売るつもりはありません。私が貴女に売りたいのは、石そのものではなく『未来』です」
私はリリーナに合図し、一枚の地図を広げた。
ヴェルダン領から王都、そして他国へと伸びる赤いライン。
「私は現在、大陸を横断する物流網を建設しています。従来の馬車で一ヶ月かかる距離を、わずか三日で結ぶ輸送手段です」
「三日? ……御冗談を。飛竜便でも使い魔でも不可能ですわ」
「可能です。先ほど完成した『魔導エンジン』を使えば」
私は彼女を工房へ案内するとは言わず、ただエンジンの設計図と、輸送コストの試算表だけを見せた。
エルヴィラの表情から、作り笑いが消えた。
彼女は真剣な眼差しで書類を読み込み、瞬時にその価値を理解した。
「……大量輸送による価格破壊。もしこれが実現すれば、既存の商会はすべて潰れますわね」
「ええ。だからこそ、貴女には『勝ち馬』に乗っていただきたい。ロッシ商会の持つ広範な販売網と倉庫、それを我が『魔導鉄道』のターミナルとして使わせてほしいのです」
エルヴィラは長い沈黙の後、妖艶な笑みを浮かべて立ち上がった。
そして私のそばに歩み寄り、耳元で吐息混じりに囁いた。
「……ゾクゾクしますわ。貴方、見た目は可愛らしい少年なのに、考えていることは魔王のようですもの」
彼女の指先が、私の胸板をゆっくりとなぞる。
明らかな誘惑。だが、その目は冷静に損得を計算している。
「いいでしょう、乗りましょう。その『魔導列車』とやらに。……ただし、条件があります」
「条件?」
「私が投資する代わりに、この輸送網の『優先利用権』を頂きとうございます。それと――」
彼女は私の顎を指先で持ち上げ、至近距離で瞳を覗き込んだ。
「事業が成功した暁には、貴方自身も、私のものになっていただきましょうか? 私、才能ある若いツバメを飼うのが趣味なんですの」
背後で、リリーナが筆を「バキッ」とへし折る音が聞こえた。
私は苦笑しながら、エルヴィラの手を優しく、しかし拒絶の意思を込めて握り返した。
「……善処します。まずは事業を成功させてからですね」
「ふふ、つれないお方。でも、契約成立ですわ」
エルヴィラ・ロッシ。
強力な資金源と物流のプロが、我々の陣営に加わった。
彼女の商会が動けば、資材の調達スピードは何倍にも跳ね上がる。
エンジンは完成した。
資金と販路も確保した。
あとは――車体を作り、レールを敷き、最初の汽笛を鳴らすだけだ。
冬の終わりが近づいていた。
雪解けと共に、ヴェルダン領の、そして世界の産業革命が幕を開ける。




