第5話 甲殻の錬金術と最初の障害
領地の北端に広がる海岸線は、夏場でも腐臭が漂う嫌われ者の土地だった。
原因は、北の海から打ち上げられる『大王鋏蟹』の死骸だ。
牛ほどの大きさがある巨大な蟹型の魔獣。肉は泥臭くて食えず、甲殻は硬すぎて加工も焼却もできない。放置すれば腐り、疫病の温床となる。
歴代の領主にとって、この蟹の処理は頭の痛い「コスト」でしかなかった。
「……素晴らしい。宝の山だ」
私はハンカチで鼻を覆うこともなく、山積みになった甲殻の山を見上げて感嘆の声を漏らした。
隣では、現場監督のボルグが顔をしかめている。
「若様、正気ですか? こんなゴミ、金かけて集めてどうすんだ。臭くてかなわねぇよ」
「ボルグ、お前の目にはゴミに見えるか。だが、私の目には『最高級の合金素材』に見えている」
私は手袋をはめ、甲殻の一部に触れた。
硬度はおよそ鉄の二倍。だが軽い。この物質の正体は、高密度の魔素を含んで硬質化したキチン質だ。
通常の鍛冶技術では溶かせないが、私が開発した『結晶魔法』の応用なら話は別だ。
「準備はいいか! 離れていろ!」
私は作業員たちを下がらせ、甲殻の山の周囲に描かせた巨大な魔法陣の前に立った。
中央には、動力源となる『高純度魔石』を一つ設置してある。
「構成変換。有機結合解除、金属格子再構築――開始!」
魔石が唸りを上げ、魔法陣から蒼白い光の柱が立ち昇った。
バチバチという音と共に、積み上げられた赤黒い甲殻が光に包まれる。
分子レベルでの分解と再構築。
キチン質の繊維構造を維持したまま、魔素を触媒にして金属元素と融合させる。
強烈な熱風が吹き荒れ、光が収束した時――そこにあったのは、ゴミの山ではなかった。
鈍い銀色の光沢を放つ、金属のインゴット(延べ棒)の山だった。
「な……っ!? 蟹が、鉄になった!?」
ボルグが目を丸くして叫んだ。作業員たちも腰を抜かしている。
「ただの鉄じゃない。『バイオメタル』だ。鉄より軽く、錆びず、熱にも強い。魔導列車のボイラーと、レールを作るには理想的な素材だ」
私はまだ熱を帯びているインゴットを火箸で叩いた。
キィン、と澄んだ音が響く。
成功だ。これで、輸入に頼らずとも無尽蔵に資材を調達できる。
原価はほぼゼロ。加工に必要なのは私の魔力と魔石のみ。
これを市場に流すだけでも莫大な利益になるが、それはまだ先の話だ。
「さあ、運べ! まずは廃鉱山のレールをすべてこいつに張り替えるんだ!」
「おおおおっ! 若様すげぇ! これなら何でも作れるぞ!」
湧き上がる歓声。
しかし、その熱狂に水を差すような冷ややかな声が、背後から響いた。
「――そこで止めなさい。ヴェルダン家の皆様」
振り返ると、数人の騎士を連れた男が立っていた。
仕立ての良い服だが、その胸には隣領である「ガメリン子爵家」の紋章が刻まれている。
使者の男は、鼻をひくつかせながら、大仰な態度で私を見下ろした。
「私はガメリン子爵家の代官、ホフマンである。……貴殿が、噂の領主代行殿かな?」
「いかにも。当家になにか用か? 見ての通り、忙しいのだが」
「ふん。単刀直入に言おう。その『漂着物』の加工および占有を、直ちに中止していただきたい」
現場の空気が凍りついた。ボルグたちが殺気立つのを手で制し、私は眉を上げた。
「中止? ここはヴェルダン領の海岸だ。領内の物をどうしようが、私の勝手だろう」
「おや、ご存じない? 『北部海岸条約』によれば、海岸に漂着した資源の所有権は、海運を管轄する港湾局――すなわち、現在は我がガメリン子爵家に管理権限があるのです」
ホフマンはニヤリと笑い、懐から羊皮紙を取り出した。
確かに、古い条約だ。かつてヴェルダン家が没落しかけた際、海運の利権を隣家に奪われた経緯がある。
奴らは、私が何か金になることを始めたと嗅ぎつけ、言いがかりをつけて利権ごと奪い取るつもりなのだ。
「その素材、見るからに特異なもの。王国の財産として接収させていただきます。もちろん、過去に遡っての使用料も請求させていただきますよ」
典型的なハイエナの手口だ。
ボルグが「ふざけんな!」と怒鳴りそうになるが、私は冷静だった。
なぜなら、私の後ろには最強の「法典」が控えているからだ。
「……リリーナ」
「はい。準備はできております」
私の背後から、書類の束を抱えたリリーナが静かに進み出た。
眼鏡の奥の瞳は、氷点下の冷たさを帯びている。
「ホフマン殿。貴方の主張は『条約第4条・漂着資源の定義』に基づくものですね?」
「な、なんだ小娘。その通りだ。流木、琥珀、および海産資源は……」
「条約文を正確に読んでください。『自然死、および天候により漂着した資源に限る』とあります」
リリーナは書類をめくり、ある一点を指し示した。
「現在、アルス代行が加工しているのは『大王鋏蟹』の死骸です。これは王国法において『指定害獣』に分類されます」
「そ、それがどうした!」
「『領地法第12条』。領内に出現した魔物の討伐、およびその死骸処理は、当該領主の義務であり、その処理によって得た素材の所有権は、一〇〇パーセント領主に帰属する……と明記されています」
リリーナの流れるような反論に、ホフマンが口ごもる。
「ば、馬鹿な! あれは漂着物だ! 海から来たのだぞ!」
「いいえ、魔物です。死んでいようが魔物は魔物。資源ではなく、処理すべき廃棄物です。……それともガメリン子爵家は、この腐敗した魔物の死骸を『自領の資源』だと主張し、その管理責任――つまり、ここから発生する悪臭と疫病対策の費用も、全額負担されるおつもりですか?」
リリーナは一歩踏み出し、ホフマンに請求書の束を突きつけた。
「ちなみに、過去十年分の処理費用を試算しました。金貨にして三〇〇〇枚。資源だと主張されるなら、まずはこの未払い金をガメリン家に請求させていただきますが?」
「な、なにいぃぃ!?」
ホフマンの顔が真っ赤になった。
利権を奪うつもりが、莫大な借金を背負わされそうになったのだ。
ぐうの音も出ないとはこのことだ。
私はここで、助け舟を出すふりをして、釘を刺す。
「まあ待て、リリーナ。隣人同士で争うのは良くない。……ホフマン殿、今回は『魔物の処理』ということで、我々がボランティアでやっておく。それなら文句はないだろう?」
つまり、「手出しはさせないが、金も請求しないから帰れ」という手打ちだ。
ホフマンはギリギリと歯噛みし、私とリリーナ、そして銀色に輝くインゴットの山を睨みつけた。
「……くっ、覚えておれ! 子爵閣下が黙ってはいないぞ!」
捨て台詞を吐いて、使者たちは逃げるように去っていった。
その背中が見えなくなるや、作業員たちからドッと歓声が上がった。
「すげぇ! あのガメリン家の役人を言い負かしたぞ!」
「あのお嬢ちゃん、何者だ!?」
リリーナは歓声には答えず、ふぅと小さく息を吐いて眼鏡の位置を直した。
「……疲れました。詭弁もいいところです」
「詭弁じゃない、正論だよ。助かった」
「次はこうはいきませんよ。ガメリン子爵は強欲で有名です。武力か、あるいは経済的な圧力をかけてくるでしょう」
「望むところだ。その頃には、こちらの準備も整っている」
私はインゴットの一つを手に取り、北の空を見上げた。
素材は揃った。資金も回っている。
次はいよいよ、この素材を使って「心臓」を作る番だ。
この世界にはまだ存在しない概念。蒸気機関ならぬ、『魔導蒸気機関』の産声を上げさせる。




