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辺境領主の魔導変革記 ~魔力結晶と魔導列車で、世界の経済と物流を支配する~  作者: Nami


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第4話 氷の令嬢と契約の執務室



 領地の北外れ、針葉樹の森の中に、古びた石造りの修道院がひっそりと佇んでいる。

 世俗を捨てた者たちが祈りを捧げる場所。だが、私が今日ここに来たのは神に祈るためではない。

 この世で最も神を信じず、ただ「数字」という絶対的な真理のみを信奉する一人の女性を連れ出すためだ。


「……お帰りください。ヴェルダン家の次男様に付き合っている暇はありません」


 面会室に入るなり、冷ややかな声が私を出迎えた。

 リリーナ・フォン・エヴァーガーデン。

 粗末な灰色の修道服に身を包んでいるが、その背筋は定規で測ったように伸びている。

 窓から差し込む冬の日差しが、彼女の淡いアイスブルーの髪と、銀縁の眼鏡の奥にある知的な瞳を照らしていた。

 十七歳。かつて王都で「氷の計算機」と恐れられた才女の姿がそこにあった。


「挨拶もなしか。噂通りの鉄壁ぶりだな」

「無駄な社交辞令は時間の浪費です。……領地が貧困に喘ぐ中、次男様が『ごっこ遊び』のために私のような者を雇いたいとか。呆れてものも言えません」


 彼女は手元の写本作業を止めようともしない。

 セバスチャンの言う通りだ。彼女は私の計画を、貴族の放蕩息子による気まぐれな事業だと思っている。


「ごっこ遊びか。……では、この計算も君にとっては児戯に等しいかな?」


 私は懐から、一枚の羊皮紙を取り出し、彼女の手元に置いた。

 それは、昨日私が徹夜で作成した『第一次道路敷設計画』の予算試算表だ。

 リリーナは眉をひそめ、払いのけようとした。だが、その視線が紙面の数字を捉えた瞬間、彼女の手が止まった。


「……これは?」

「西の廃鉱山から港湾地区までの、土木工事に必要な資材と人件費の概算だ。だが、どうも数字が合わない。どこが間違っているか、指摘してくれないか?」


 リリーナの目が、狩人のそれに変わった。

 彼女は無言で眼鏡の位置を直し、羊皮紙を手に取る。その瞳が高速で紙面を走査していく。


「……前提条件が間違っています。この地質で砕石を敷くなら、基礎の厚みはあと二割必要。それに伴い、輸送コストの計算式が甘い。荷馬車一台あたりの積載量を過大評価しています。これでは工期が一ヶ月遅れ、予算は三割超過します」


 わずか十数秒。

 彼女は私が意図的に仕込んでおいたミスを見抜いただけでなく、地質と輸送の相関関係まで瞬時に導き出した。

 本物だ。私の前世の部下たちでも、ここまでの即答はできなかっただろう。


「正解だ。……なら、君ならどう修正する?」

「現地の土壌を活かすなら、砕石よりも焼成レンガを混合させるべきです。廃鉱山に残っている古い窯を使えば、コストは抑えられる。……いえ、そもそも何故こんな大規模な道を? ただの馬車を通すには過剰な強度設計です」


 リリーナは顔を上げ、私を睨みつけた。

 その瞳には、もはや侮蔑の色はない。あるのは純粋な知的探究心と、疑念。


「馬車じゃない」


 私は鞄から、もう一枚の図面を取り出した。

 それはまだ未完成の、しかし私の構想の根幹となる『魔導動力機関』と、それが牽引する『連結車両』の概念図だ。


「私が走らせたいのは、鉄の車輪を持ち、数百トンの物資を一度に運ぶ怪物だ。……これを実現させるためには、君の計算能力が必要なんだ」


 リリーナは図面を食い入るように見つめた。

 彼女の指先が微かに震えている。

 荒唐無稽な夢物語ではない。彼女の脳内で、私の提示した予算と物理法則が結合し、この計画が「理論上可能」であるという答えを弾き出したのだ。


「……狂っています」

「褒め言葉として受け取っておくよ」

「ですが、計算は成り立ちます。……莫大な初期投資と、緻密な工程管理があれば」


 彼女は深呼吸をし、眼鏡を外して私を見た。その素顔は、年相応の少女のあどけなさを残していたが、瞳の強さは変わらない。


「条件があります、ヴェルダン様」

「なんだ?」

「私に全帳簿の閲覧権限と、予算への拒否権をください。たとえ貴方様の指示であっても、数字の理屈に合わない出費は認めません。……不正も、妥協も、私は大嫌いですから」

「望むところだ。私のブレーキ役になってくれ」


 私は右手を差し出した。

 リリーナは少し躊躇った後、インクで汚れたその手で、私の手を強く握り返した。


          ◇


 数時間後。領主館の執務室。

 そこは早くも戦場と化していた。


「――酷いです」


 リリーナが、机に積み上げられた過去十年分の領地経営の資料を見て、呻くように言った。

 彼女は修道服から、機能的なブラウスとロングスカートに着替えている。


「使途不明金、架空計上、二重帳簿……。よくこれで破綻せずにやってこられましたね」

「父上の『どんぶり勘定』と、執事のセバスチャンの涙ぐましい努力の結晶さ」

「全て洗い直します。……それと、アルス様」


 リリーナは、私が描いた魔導列車の設計図を指し、冷徹に告げた。


「この『機関車』の製造に必要な耐熱金属ですが、現在の領内の備蓄ではゼロです。輸入するにしても、隣の領地を通す関税が高すぎます」

「ああ、分かっている。だからまずは『自給』する」

「自給? 鉱山は廃鉱ですよ?」

「鉄じゃない。魔獣の殻だ。海岸に打ち上げられる『大王蟹キングクラブ』の甲殻を加工すれば、鉄以上の強度と耐熱性を得られる」


 私の案に、リリーナは一瞬呆気にとられたが、すぐに手元の計算用紙にペンを走らせ始めた。


「……素材コストは、ほぼゼロ。加工費のみ……。なるほど、理論上は黒字です。ですが、それには加工工房の設立と、職人の確保が必要です。現在の予算残高では……」

「ギリギリだな」

「綱渡りどころか、蜘蛛の糸を渡るようなものです。……はぁ」


 リリーナは深く溜息をつき、しかし口元には微かな笑みを浮かべた。


「でも、退屈な写本よりは、やり甲斐があります」


 彼女は書類の山に埋もれながら、次々と指示書を書き上げていく。

 魔導列車の完成など、まだ遥か彼方だ。

 今はまだ、錆びついたレール一本すら敷けていない。

 だが、最強の事務官を得たことで、私たちの歯車はようやく噛み合い始めた。


 窓の外では、雪が激しさを増している。

 この冬の間に、基礎を固めなければならない。春になれば、嗅ぎつけたハイエナども――中央の貴族たちが動き出すだろうから。





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