第34話 断罪の鐘と科学の異端審問
その日、王都アステリアに鳴り響いたのは、正午を知らせるラジオの時報ではなく、重苦しい大聖堂の鐘の音だった。
ゴーン、ゴーン、ゴーン……。
不吉な鐘の音と共に、街の至る所に張り出されたのは、聖教会からの『布告』だった。
『告ぐ。空を飛ぶ船、千里の声を伝える箱、これらは全て神の理に反する悪魔の模倣なり。……これらを使用する者は、魂を汚され、死してなお地獄の業火に焼かれるであろう』
影響は即座に出た。
広場に集まっていた人々はスピーカーから離れ、怯えたように十字を切る。
ヴェルダン・タイムズの販売員は石を投げられ、新聞が路上で燃やされた。
「……ひどい有様ですわ」
公爵家別邸にて、リリーナが窓の外を見て唇を噛む。
「ラジオの聴取率は半減。鉄道のキャンセルも相次いでいます。特に、地方の高齢者層の動揺が激しいです」
「長年信じてきた『神の言葉』だ。昨日今日できた私の機械より重いのは仕方がない」
私は冷静にコーヒーを飲んだが、その味は苦かった。
信仰そのものは否定しない。だが、それを権力維持のために使い、進歩を阻害するのは許せない。
そこへ、教会の使者が現れた。
手渡されたのは、真っ赤な封蝋がされた羊皮紙。
『ヴェルダン公爵、アルス殿。……中央大聖堂にて待つ。貴殿の技術が神の御心に適うものか、弁明の機会を与えよう』
差出人は、オルトロス枢機卿。
弁明とは名ばかりの、公開処刑――異端審問への呼び出しだ。
「罠ですわ、アルス様! 行けば民衆の前で吊るし上げられます!」
シルヴィアが私の腕を掴んで止める。
「ああ、罠だろうな。だが、行かなければ私は『悪魔』と認めたことになる」
私は立ち上がり、白衣を羽織った。
「カイト、準備はいいか?」
「おうよ。……とびきりの『新兵器』を持ってきたぜ」
カイトがポンと叩いたのは、銃でも爆弾でもない。一台の精密な顕微鏡と、ガラスケースに入った薬瓶だった。
「行くぞ。……神とやらと、知恵比べだ」
◇
中央大聖堂。
数千人を収容できる巨大な石造りの空間は、信徒たちで埋め尽くされていた。
ステンドグラスから差し込む光が、祭壇に立つオルトロス枢機卿を神々しく照らし出している。
空気は重く、冷たい。誰もが私を、穢れた異物を見るような目で見つめている。
「よく来たな、迷える子羊よ」
オルトロスが、低い声で告げた。
彼は私を見下ろし、大仰に両手を広げた。
「アルス・フォン・ヴェルダン。汝の罪は重い。鉄の箱で大地を切り裂き、空を汚し、神のみに許された『奇跡』を機械で模倣した。……これは、人の分を超えた傲慢ではないか?」
信徒たちが「そうだ!」「悪魔め!」と口々に叫ぶ。
完全にアウェーだ。
私は祭壇の前に進み出ると、静かに答えた。
「傲慢、ですか。……私はそうは思いません。人が鳥のように飛びたいと願い、遠くの友と話したいと願う。その願いを叶えるために知恵を絞ることの、何が罪なのですか?」
「神への不敬だと言っている! 人は、神が定めた運命に従って生きればよいのだ!」
オルトロスが杖を床に叩きつけた。
「論より証拠を見せよう。……連れてこい!」
枢機卿の合図で、一人の少女が連れてこられた。
粗末な服を着た、スラム街の子供だ。彼女の腕には、深い切り傷があった。
「聖女よ、祈れ」
白い法衣を着たシスターが、少女の傷に手をかざす。
淡い光と共に、傷口が塞がっていく。初級の治癒魔法だ。
信徒たちが「おお、奇跡だ……」と涙ぐむ。
「見よ! これぞ神の力! 信仰ある者にのみ与えられる救いだ! ……アルスよ、汝の機械とやらで、この奇跡が再現できるか?」
オルトロスは勝ち誇った顔で私を見た。
魔法による治癒。確かに便利で、視覚的にも分かりやすい。
だが、万能ではない。
「……切り傷なら、魔法で治るでしょう。ですが枢機卿、貴方たちは『治せない者』を見捨てているのではありませんか?」
私は合図を送った。
扉が開き、カイトとシルヴィアが、一台の担架を運んできた。
そこに横たわっているのは、高熱にうなされ、激しく咳き込む少年だった。
肌には黒い斑点が浮き出ている。
「な、なんだその汚らわしい者は! ここを神聖な場所と心得るか!」
「彼はスラムで拾いました。……『黒斑病』です。教会に助けを求めたが、祈りが足りないからだと追い返されたそうですね?」
黒斑病。この世界では「悪魔の呪い」と恐れられ、治癒魔法が効かない不治の病とされている。実際は、強力な細菌感染症だ。
「ふん! 当然だ。それは神罰だ。悪魔に取り憑かれた証拠だ!」
「違います。……これは『病気』です」
私は顕微鏡をセットし、少年の喉から採取した粘液をプレパラートに乗せた。
そして、魔導プロジェクターを接続し、レンズの映像を大聖堂の壁に投影した。
「ご覧ください。……これが、少年を苦しめている『悪魔』の正体です」
壁に映し出されたのは、うごめく無数の黒い粒――病原菌だった。
拡大されたその不気味な姿に、会場から悲鳴が上がる。
「な、なんだこれは!? 虫か!?」
「目に見えないほど小さな生物、細菌です。これが体内で増殖し、熱を出させているのです。……魔法は肉体を再生させますが、この異物を殺すことはできない」
私はカイトから注射器を受け取った。
中には、青カビから精製・培養した特効薬『ペニシリン(魔導抗生物質)』が入っている。
「だから、私は知恵を使います。神が人間に与えた、考える力という武器を」
私は少年の腕に注射針を刺した。
薬液が体内に入っていく。
そして、再び壁の映像を指差した。
数分後。
画面の中で暴れまわっていた黒い細菌たちが、次々と動きを止め、破裂し、消滅し始めた。
「お、おお……! 悪魔が……死んでいく!」
「消えたぞ!?」
さらに数十分後。
苦しそうに呼吸していた少年の咳が止まり、顔の赤みが引いていった。
少年はゆっくりと目を開け、小さな声で呟いた。
「……水。……水が飲みたい」
静寂。
そして、爆発的なざわめき。
教会が見捨てた「死の呪い」を、異端の機械と薬が打ち払ったのだ。
「ば、馬鹿な……! 祈りもなく、奇跡など……!」
オルトロスが後ずさり、祭壇に背中をぶつけた。
私は彼に向かって、静かに、しかし会場の隅々まで響く声で告げた。
「枢機卿。貴方は言いましたね。人の分を超えた傲慢だと。……ですが、目の前の苦しむ命を、治し方を知りながら『神罰だ』と見捨てることこそ、真の傲慢ではありませんか!」
私の言葉に、信徒たちがハッとした顔をする。
「神は空の上にいるのではありません。……人を助けたい、生かしたいと願う、我々の『意志』の中にこそ宿るのです。この薬も、この機械も、その意志が生んだ結晶です。……これを冒涜と言うなら、私は喜んで悪魔になりましょう!」
その時。
一人の老婦人が、震える足で担架に歩み寄った。少年の祖母だろうか。
彼女は私の足元に跪き、涙を流して私の手を握った。
「ありがとうございます……! 公爵様、ありがとうございます……!」
それが引き金となった。
「公爵様万歳!」「彼こそが本物の聖者だ!」
信徒たちが次々と私に祈りを捧げ始めた。オルトロスの言葉など、もう誰も聞いていない。
「お、おのれ……! 衛兵! 捕らえろ! こやつは人心を惑わす詐欺師だ!」
オルトロスが絶叫するが、聖騎士たちは動かなかった。
彼らもまた、目の前の「命を救う現実」に、剣を抜く意義を見失っていたのだ。
「……勝負あったな、枢機卿」
私は白衣を翻し、堂々と大聖堂の中央を歩いて去った。
背後で、オルトロスが崩れ落ちる音が聞こえた。
科学と宗教の対決。
それは、私の圧倒的な勝利で幕を閉じた。
だが、これは新たな火種を生んだかもしれない。
教会の権威を失墜させた私は、明確に「旧体制」の敵となったからだ。
大聖堂を出ると、外は眩しいほどの晴天だった。
「……ふぅ。疲れた」
「お疲れ様です、アルス様。かっこよかったですわ」
待っていたシルヴィアが、ハンカチで私の額の汗を拭ってくれた。
「へへっ、あのジジイの顔、見ものだったな! これで薬も売れまくりだ!」
カイトが商売人らしい顔で笑う。
私たちは歩き出した。
医学という新たな分野も切り拓いた。
次はいよいよ、この国の枠組みそのものを変える時が来たのかもしれない。




