第31話 ラジオ放送と歌姫の誕生
魔導通信機の実用化から一週間。
公爵家の業務効率は劇的に改善されたが、私には新たな不満が生まれていた。
「……普及しないな」
執務室で、私は試作機の在庫リストを見ながら溜息をついた。
性能は申し分ない。だが、端末一台あたりの製造コストが高すぎるのだ。共鳴石の加工、純銀の回路、そして魔石バッテリー。
一般市民が気軽に買える値段ではない。これでは、一部の富裕層や軍部だけのツールで終わってしまう。
「インフラとは、誰もが使えるものでなければ意味がない」
私の呟きを聞いていたリリーナが、紅茶を置きながら苦笑した。
「理想は素晴らしいですが、現実はコストですわ。全世帯に端末を配るなんて、国家予算が破綻します」
「全世帯に配る必要はないさ。……『受ける側』をまとめればいい」
私は窓の外、王都の中央広場を見下ろした。
多くの市民が行き交い、井戸端会議をしている。
彼らに情報を届けるのに、一人一台の端末はいらない。
「『ラジオ放送』だ。……街頭に巨大な受信機を設置し、一箇所から全員に向けて声を届ける」
一対一の通信から、一対多の放送へ。
これなら端末の数は最小限で済み、情報の拡散力は桁違いになる。
「なるほど……。広場でニュースや天気予報を流すのですか? 確かに便利ですが……」
リリーナは首を傾げた。
「お堅いニュースを聞くために、わざわざ足を止める人がいて?」
「……痛いところを突くな」
そう、コンテンツの問題だ。
娯楽の少ないこの世界でも、ただの演説やニュースでは人は集まらない。
大衆を惹きつけ、足を止めさせ、熱狂させる「何か」が必要だ。
その時。
廊下から、美しいハミングが聞こえてきた。
透き通るような高音、正確なピッチ、そして聴く者の心を震わせる表現力。
「……今の歌声は?」
「ああ、シルヴィア様ですわ。最近、気晴らしによく歌っていらっしゃいますの」
私は弾かれたように立ち上がり、廊下へ飛び出した。
◇
中庭のテラスで、シルヴィアは花に水をやりながら歌っていた。
古の聖歌だろうか。その歌声は、プロの歌劇団員すら裸足で逃げ出すほどのレベルだった。
彼女は私に気づくと、ハッとして口を噤み、顔を真っ赤にした。
「あ、アルス様! い、いつからそこに!? 聞かれてしまいました!?」
「素晴らしい……。シルヴィア様、貴女にこんな才能があったとは」
「は、恥ずかしいですわ! 王族たるもの、人前で歌うなど……」
彼女は顔を覆うが、私はその手を取った。
「恥じることなどありません。その歌声は、武器になります」
「武器?」
「ええ。人々の心を掴み、癒やし、そして動かす最強の武器です。……頼みます、シルヴィア様。貴女の歌を、王都中の人々に聞かせてほしい」
私は彼女に「ラジオ放送」の計画と、その第一弾として彼女の生歌を流したいと提案した。
最初は躊躇していた彼女だが、「私の歌で、みんなが元気になってくれるなら……」と、最後にはにかみながら承諾してくれた。
◇
決戦の日――第一回試験放送の当日。
王都の中央広場には、カイトの手によって巨大なラッパ型の魔導スピーカーが設置されていた。
道行く人々は、「なんだあれは?」「新手の処刑台か?」と怪訝な顔で見上げている。
一方、ヴェルダン別邸の防音室。ここが臨時の放送スタジオだ。
マイクの前に立つシルヴィアは、緊張でガチガチになっていた。
「だ、大丈夫かしら……。喉が詰まりそうですわ……」
「リラックスしてください。目の前に観客はいません。……私だけに歌うつもりで」
「アルス様……」
彼女は深呼吸をし、小さく頷いた。
私はカイトに合図を送る。
送信機のスイッチが入る。
キィン……という微かな起動音が広場のスピーカーから鳴り響いた。
『――あー、テステス。……王都の皆様、こんにちは』
突如、空から降ってきた男の声(私だ)に、広場の人々は仰天した。
「うわっ!? 何だ今の声は!」
「空から声がしたぞ! 神様か!?」
ざわめく群衆。掴みはOKだ。
私はそのまま続けた。
『驚かせて申し訳ない。これはヴェルダン公爵家がお送りする、新しい魔法「ラジオ」です。……本日は記念すべき第一回の放送として、特別な歌をお届けします』
私はマイクの前から退き、シルヴィアに場所を譲った。
彼女は一度だけ私を見て、そして目を閉じ、歌い出した。
曲は、アステリア民謡『風の丘』。
誰もが知っている、けれど誰も聞いたことがないほど美しくアレンジされた旋律。
♪〜
シルヴィアの歌声が電波に乗り、広場のスピーカーから溢れ出した。
その瞬間、広場の騒雑音が消えた。
市場で値を叫んでいた商人も、走り回っていた子供も、馬車の御者も。
全員が足を止め、口を開けてスピーカーを見上げた。
「……なんて綺麗な声だ」
「天使が歌っているのか?」
ノイズの混じらない、澄み渡るソプラノ。
それは疲れた人々の心に染み入り、涙を誘うほどの優しさに満ちていた。
一曲が終わった時、広場は静寂に包まれ――そして次の瞬間、割れんばかりの拍手と歓声が爆発した。
「うおおおおおっ! すげえぇぇぇ!」
「もっと聞かせてくれぇ!」
スタジオには歓声は届かない。だが、カエデが窓の外を見て報告してくれた。
「……主よ。広場が大変なことになっている。……民が熱狂している」
大成功だ。
シルヴィアは安堵し、へなへなと椅子に座り込んだ。
「よ、よかった……」
私はすかさずマイクを戻し、締めの言葉を述べた。
『……お聞きいただき感謝します。この「ラジオ放送」は、毎日正午にお届けします。ニュース、天気、そして素敵な音楽を。……提供は、皆様の暮らしを支える「ヴェルダン・グループ」でした』
最後のCMもしっかり入れた。
これこそが真の目的だ。
感動の余韻と共に企業名を刷り込む。これでヴェルダン公爵家のブランドイメージは不動のものとなる。
◇
放送後。
王都は「謎の歌姫」の話題で持ちきりだった。
正体が第三王女シルヴィアであることはまだ伏せているが、それが明かされれば、王家への支持率も爆上がりだろう。
だが、成功の裏には常にリスクが潜む。
王都から遠く離れた山中。
そこに潜伏していたガレリア帝国の情報部隊が、奇妙な機械を囲んでいた。
「……感度良好。アステリアの『放送』とやら、確かに傍受しました」
「ふん。のんきに歌などを流して平和ボケしているようだな」
隊長らしき男が、傍受したシルヴィアの歌声を録音しながら、歪んだ笑みを浮かべた。
「だが、この技術は使える。……周波数を解析しろ。奴らの放送に割り込み、我々の『声』を流すのだ」
「プロパガンダ……恐怖と混乱の種を蒔くのですね」
「ああ。次の放送が楽しみだ。……歌姫の悲鳴に変わる瞬間がな」
見えない電波の戦争が始まろうとしていた。
私はまだ、その具体的な脅威には気づいていなかったが、漠然とした予感はあった。
一度繋がってしまった世界は、善意も悪意も、瞬時に伝播させてしまうのだと。




