第30話 見えない糸と魔導通信機
ヴェルダン公爵家の別邸、その執務室は、戦場のような殺気に包まれていた。
「……遅いですわ! ポート・ロイヤルからの入港報告が、なぜ三日もかかるのですか!」
リリーナが、羊皮紙の束をデスクに叩きつけた。
目の前で縮こまっているのは、早馬で駆けつけた伝令兵だ。
「も、申し訳ありません! 途中で街道が土砂崩れで塞がっており、迂回したため……」
「言い訳は結構です。……このタイムラグのせいで、積み荷の生鮮食品が一割腐りました。損失額は金貨三〇〇枚です。分かっていますの?」
リリーナはこめかみを押さえて溜息をついた。
彼女の怒りはもっともだ。
鉄道、船、飛行船。私たちの事業は拡大しすぎた。
王都、ヴェルダン領、瑞穂、そして西の商業連合。世界中に拠点が点在しているのに、それらを繋ぐ情報の伝達手段が、いまだに「紙と足」なのだ。
私はコーヒーを置き、リリーナに声をかけた。
「……限界だな、リリーナ」
「ええ、限界です。物理的な移動速度は上がりましたが、私の指示が現場に届く頃には、状況が変わってしまっています。これでは、いずれ組織が崩壊しますわ」
彼女は眼鏡を外し、疲れた瞳で私を見た。
「アルス様。……どうにかできませんの? 貴方なら、遠く離れた場所に一瞬で声を届ける魔法くらい、作れるのではありませんか?」
無茶振りだ。だが、それは私が考えていた次なる構想と完全に一致していた。
「……ああ、作れるさ。ちょうど構想を練っていたところだ」
「本当ですの!?」
「『魔導通信機』だ。……リリーナ、明日から伝令はいらなくなるぞ」
◇
翌日、地下工房。
招集された開発チームの面々は、作業台の上に置かれた奇妙な装置を覗き込んでいた。
二つの木箱が、長い銅線で繋がれている。
「旦那、こりゃなんだ? 糸電話か?」
カイトが箱をコツコツと叩く。
「原理は似ているが、媒体が違う。糸の代わりに『雷』と『光』を使う」
私は黒板に図解を描きながら説明した。
「従来の『伝言魔法』は風属性を使っていた。だが、音は減衰するし、風向きに影響される。数キロが限界だ」
「ええ。宮廷魔導師でも、王都から隣町まで届かせるのがやっとですわ」
シルヴィアが頷く。
「だから、音を別のエネルギーに変換する。……声の振動を『電気信号』に変え、それを銅線、あるいはいずれは『魔力波』に乗せて飛ばす」
私の説明に、全員が首を傾げた。
無理もない。「変換」という概念がこの世界にはない。
「実験してみよう。……カイト、私が箱に向かって喋る。君は向こうの箱に耳を当ててくれ」
私は銅線を工房の端まで伸ばし、送話器に向かって声を吹き込んだ。
原理は単純な電磁誘導だ。魔石の薄膜を振動させ、微弱な雷属性魔力を発生させる。
「……あー、あー。テステス。聞こえるか、カイト」
十メートル離れた場所で、受話器を持ったカイトが顔をしかめた。
「……ダメだ旦那。なんか『ザザッ……ブブッ』ってノイズが聞こえるだけだ。声には聞こえねぇ」
失敗だ。
やはり、既存の素材では音の再現性が低い。振動板の感度が悪すぎるのだ。
「もっと薄く、かつ魔力伝導率の高い素材が必要か……。金属板では硬すぎる」
私が腕を組んで悩んでいると、シルヴィアがふと、自分の首飾りを外した。
先端に付いているのは、淡く光る青い結晶だ。
「アルス様、これを使ってみてはいかがかしら?」
「それは?」
「『共鳴石』です。王家の歌劇団が、劇場の音響を良くするために使っている石ですわ。微かな音でも拾って、増幅する性質があります」
共鳴石。
私はその石を受け取り、魔力スキャンをかけた。
驚いた。この石は、圧力をかけると電気(魔力)を発生させる「圧電素子」そのものだ。
「これだ……! これならいける!」
「カイト! この石を極薄にスライスしてくれ! 厚さ一ミリだ!」
「あいよ! 任せな!」
カイトの神業的な加工技術により、共鳴石の振動板が完成した。
それを木箱に組み込み、回路を再接続する。
「よし、再テストだ。……今度は距離を離す」
私は受話器を持ったリリーナに、工房の外――庭園へ行くように指示した。
分厚い石壁と、数十メートルの距離。大声では絶対に届かない環境だ。
◇
庭園のベンチに座るリリーナは、半信半疑で木箱の受話器を耳に当てていた。
「本当に聞こえるのかしら……」
その時。
受話器の中から、微かだが、はっきりとした男の声が響いた。
『――こちらアルス。……聞こえるか、リリーナ?』
リリーナは息を呑んだ。
ノイズはない。まるで、彼がすぐ隣で囁いているかのような、鮮明な声。
耳元で名前を呼ばれた感覚に、背筋がゾクリと震えた。
「……っ! は、はい! 聞こえますわ、アルス様!」
彼女は慌てて送話器に向かって叫んだ。
『大きな声を出さなくていい。普通に喋ってくれ』
「あ……ご、ごめんなさい。……すごいですわ。本当に、貴方の声が耳元で……」
リリーナの頬が朱に染まる。
遠くにいるはずなのに、すぐ近くに感じる。この奇妙な距離感が、彼女の心拍数を跳ね上がらせていた。
『成功だな。これなら、王都とポート・ロイヤルを繋ぐことも可能だ』
「え、ええ……。これで業務連絡がスムーズになりますわね」
リリーナは平静を装ったが、受話器を握る手は熱くなっていた。
これは革命だ。
伝令も、手紙もいらない。いつでも、どこでも、彼の声が聞ける。
◇
工房に戻った私は、興奮気味のチームメンバーに囲まれていた。
「すげぇぞ旦那! こいつは世界を変える発明だ!」
「音質のクリアさに驚きましたわ。共鳴石にこんな使い道があったなんて」
私はホワイトボードに今後の計画を書き込んだ。
「まずは有線だ。鉄道の線路沿いに通信ケーブルを敷設する。これで主要都市間のホットラインを確保する」
「なるほど。線路のメンテナンス用通路を使えば、敷設コストは安く済みますわね」
戻ってきたリリーナが、すでに実用化モードに入っている。
「そして次は無線だ。……ケーブルなしで、魔力波を使って声を飛ばす。これができれば、航海中の『オオワダツミ』や、飛行中の『スカイ・アーク』とも連絡が取れるようになる」
夢は広がる。
だが、技術には常にリスクが伴う。
ふと、部屋の隅で気配を消していたカエデが、低く呟いた。
「……便利だが、危ういな」
「どういうことだ、カエデ?」
「声が糸を伝うのなら……その糸の途中で誰かが耳をすませば、盗み聞きできるのではないか?」
鋭い。
彼女は技術的な理屈は分からなくても、諜報員としての直感で「盗聴」のリスクを見抜いたのだ。
「その通りだ。通信線に細工をされたり、無線の魔力波を傍受されれば、情報は筒抜けになる」
私は表情を引き締めた。
情報革命は、同時に「情報戦争」の幕開けでもある。
暗号化技術、周波数スクランブル。やるべきセキュリティ対策は山積みだ。
「……対策チームも必要だな。とりあえず、最初の回線は『公爵家専用』として、厳重に管理しよう」
こうして、世界初の『魔導通信機』が誕生した。
私たちはまだ知らない。
この小さな箱が、やがて国境を越え、人々の意識を変え、そして世界を揺るがすプロパガンダの道具として使われる未来を。
翌日。
王城の執務室に設置された通信機から、最初のベルが鳴り響いた。
それは、時代が加速する合図だった。




