第3話 飢餓と希望の炊き出し
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翌朝。
ヴェルダン領の中央広場には、数年ぶりとなる活気――というよりは、異様な熱気が漂っていた。
立ち込める湯気。大鍋の中で煮込まれる麦と干し肉、そして根菜の香り。
それは、飢えに慣れてしまった領民たちの胃袋を暴力的なまでに刺激していた。
「並べ! 列を乱すな! 全員に行き渡る量は用意してある!」
騎士たちの怒鳴り声が響く。
普段なら領民を威圧するだけの彼らも、今日ばかりは「配給」という実務に追われていた。
私は広場に面した時計塔のテラスから、その光景を見下ろしていた。
眼下に広がるのは、数百人の群衆だ。彼らの服はボロボロで、頬はこけている。だが、その瞳には久しぶりに「生気」が宿っていた。
「……壮観ですね、アルス様。まさか備蓄庫の六割を一気に放出されるとは」
背後でセバスチャンが呆れたように、しかしどこか感心した声で言った。
彼は手元のリストをチェックしながら、私の無茶な指示を完璧に遂行している。
「六割で済んでよかったよ。これでも一週間分だ。冬を越すには足りない」
「はい。領民たちも、今は食べていますが……食べ終われば、不安に襲われるでしょう。『明日はあるのか』と」
その通りだ。
タダ飯ほど怖いものはない。領民たちは、これが気まぐれな施しなのか、それとも死ぬ前の最後の晩餐なのかを疑っている。
だからこそ、私が直接「契約」を提示せねばならない。
「行くぞ、セバスチャン。演説の時間だ」
私はテラスの手すりに手をかけ、階段を降りていった。
広場に私が姿を現すと、ざわめきが一瞬止まった。
次男坊である私の顔を知る者は少ない。だが、隣に控える執事長セバスチャンの存在が、私が「ヴェルダン家の代表」であることを示していた。
私は木箱の上に立ち、集まった領民たちを見渡した。
視線が痛い。期待、疑念、恐怖。様々な感情がないまぜになっている。
「ヴェルダン家の次男、アルスだ。父に代わり、私が領政を執ることになった」
魔力を少し声に乗せ、広場の隅々まで届くように語りかける。
「今日の食事は美味かったか?」
返事はない。だが、誰もが頷いているのが分かる。
「そうか。だが、勘違いするな。これは恵みではないし、慈悲でもない」
私は懐から、ジャラリと音を立てて革袋を取り出した。
紐を解き、中身を木箱の上にぶちまける。
冬の低い日差しを浴びて輝いたのは、金貨と銀貨の山だった。
兄への送金を止めた分と、屋敷の不用品(主に父のコレクション)を昨晩のうちに商人に売り払って作った、当面の運転資金だ。
どよめきが走る。これほどの現金を見るのは、彼らにとって初めてだろう。
「この食事は『前払い』だ。私はこれから、大規模な事業を始める。西の廃鉱山から港まで、新たな道を建設する。それに伴い、人手が必要だ」
私は群衆を指さした。
「男手はもちろん、炊き出しや運搬のための女性、老人でもできる軽作業もある。働く意思のある者には、適正な賃金を現金で日払いする。……これはそのための軍資金だ」
静寂。
あまりに唐突な提案に、誰も言葉を発せない。
領民たちにとって、領主からの命令とは「無償の賦役(強制労働)」が常識だったからだ。賃金が出る、しかも現金でなど、聞いたことがない。
「……信じられるかよ!」
沈黙を破ったのは、野太い怒声だった。
群衆を割って出てきたのは、熊のような巨躯の男だった。禿げ上がった頭に、傷だらけの腕。かつて鉱山で働いていた男たちの顔役だろう。
「俺はボルグだ。若様、あんたの言うことは綺麗事だ。どうせその金も最初だけで、後から『税金だ』と言って巻き上げるつもりだろう! 俺たちは何度も騙されてきたんだ!」
ボルグの言葉に、周囲の領民たちが同調して騒ぎ出す。
これが、この領地の現状だ。統治者への信頼はマイナス。
私は動じることなく、ボルグを真っ直ぐに見据えた。
「ボルグと言ったか。お前の疑念はもっともだ。言葉だけで信用しろとは言わない」
私は木箱の上の金貨を一枚掴み、指先で弾いた。
金貨は弧を描き、ボルグの足元に落ちた。
「拾え。それはお前の今日の『話を聞いた駄賃』だ」
「なっ……」
「そして、明日朝一番に西の廃鉱山へ来い。そこで働く者には、一日あたり銅貨五枚を出す。これは王都の労働者の相場と同額だ。さらに、三食の食事もつける」
銅貨五枚。それは、この貧しい辺境では破格の待遇だ。
ボルグは足元の金貨を拾い上げ、本物かどうかを確かめるように噛んだ。そして、私を睨みつける。
「……本気なのか。あんな廃鉱山、何に使う気だ? 鉄なんぞもう出ねぇぞ」
「鉄は掘らない。私が作るのは『鉄の道』だ。……ボルグ、お前は元鉱夫か?」
「ああ。今は仕事がなくて、木こりの真似事をしてるがな」
「なら話は早い。お前を現場監督の一人に任命する。人を集め、班を作れ。お前の取り分は色を付けてやる」
ボルグの目が泳いだ。
怒りで対抗しようとしていたのに、いきなりビジネスパートナーとして扱われたからだ。
私は畳み掛ける。
「私は慈悲深い領主ではない。無能な者は切り捨てるし、働かざる者には食わせない。だが、契約は守る。……飢え死にするか、私と契約して明日を生きるか。選べ」
冷たい風が吹き抜ける。
ボルグは数秒間、私を睨み続けていたが、やがて大きく息を吐き出した。
そして、不器用に頭を下げた。
「……食い物がなけりゃ、家族は守れねぇ。嘘だったら、その時はあんたを刺し違えてでも殺すぞ」
「いい覚悟だ。歓迎するよ、ボルグ」
その瞬間、広場の空気が変わった。
恐怖と疑念が、「労働への意欲」へと転化したのだ。
私は内心で安堵の息をつく。
最初の関門、労働力の確保(マンパワーの掌握)は成功だ。
館に戻った私は、すぐさま執務室で次の工程に取り掛かった。
セバスチャンが紅茶を淹れてくれるが、それに口をつける暇もない。
机の上には、私が作成した『工程管理表』が広げられている。
「……恐ろしいものですな」
セバスチャンが、覗き込みながら呟いた。
「人の配置、資材の搬入時期、そして資金の減り具合……すべてがこの図表一枚に収まっているとは。アルス様は、一体どこでこのような知識を?」
「夢の中で賢者に教わった、とでも言っておこうか」
私は曖昧に笑って誤魔化した。
前世のプロジェクト管理ツールを羊皮紙に落とし込んだだけだが、この世界では魔法以上のオーバーテクノロジーかもしれない。
「だが、セバスチャン。問題がある」
「人手は足りたのでは?」
「現場の労働力はな。だが、私の指示を正確に文書化し、物資の調達や帳簿の管理を行う『事務方』が圧倒的に足りない。お前一人に全てを任せるわけにはいかないだろう」
セバスチャンは屋敷の管理で手一杯だ。
私の思考速度についてこれる、優秀な秘書官が必要だった。計算ができ、口が堅く、そして貴族社会のしきたりにも通じている人物が。
セバスチャンは少し考え込み、やがて何かを思い出したように顔を上げた。
「……心当たりが、一名ございます」
「ほう? 誰だ」
「リリーナ・フォン・エヴァーガーデン。かつて王都で財務官僚を務めていた男爵の娘ですが……実家が政争に敗れて取り潰され、現在は縁者を頼ってこの領地の修道院に身を寄せております」
エヴァーガーデン家。聞いたことがある。数年前、不正を告発しようとして逆に濡れ衣を着せられた、清廉潔白だが不器用な一族だ。
「その娘、歳は?」
「十七歳かと。非常に聡明ですが、少々……性格に難ありと言われております」
「難あり?」
「ええ。『数字が合わないと蕁麻疹が出る』ほどの潔癖症だとか」
私は思わず笑みをこぼした。
最高じゃないか。私が求めていたのは、愛想の良い花嫁候補ではなく、不正を許さない鉄の監査役だ。
「すぐに呼んでくれ。……いや、私が直接迎えに行こう。これから作る『魔導産業都市』には、彼女のような人材こそが不可欠だ」
窓の外では、ボルグたちの怒鳴り声が聞こえ始めていた。
彼らはすでに動き始めている。
ならば私も、最強の布陣を敷かねばならない。
4話をお楽しみに!




