第22話 鋼鉄の戦艦、抜錨せよ
ポート・ロイヤルの第1ドック。
そこには今、常識を嘲笑うかのような異形の巨影が鎮座していた。
全長一〇〇メートル、全幅一八メートル。
船体は漆黒に輝く「ガラス・コーティング鋼」で覆われ、甲板の中央には帆柱の代わりに太い二本の煙突がそびえ立っている。
船首には水を切り裂くための鋭利な衝角、そして前甲板には装甲列車から移植・改良された三連装魔導カノン砲が睨みを利かせていた。
魔導輸送戦艦『オオワダツミ』。
私が設計し、ポート・ロイヤルの船大工たちと、我が開発チームが総力を結集して作り上げた、世界初の全鋼鉄製船舶だ。
「……本当におっかない代物だ。見れば見るほど、船には見えねぇ」
棟梁が、黒光りする船体を撫でながら震える声で言った。
彼の周りには、数百人の船大工や船乗り、そして噂を聞きつけた市民たちが集まっている。
彼らの視線は、期待三割、恐怖七割といったところか。
「あんな鉄の塊、本当に浮くのかよ……」
「進水した瞬間に、ズブズブ沈んで終わりじゃねぇか?」
ひそひそ話が聞こえてくる。
無理もない。彼らにとって「鉄=沈む」は絶対の真理なのだ。
私は甲板のブリッジに立ち、眼下の群衆を見下ろした。
隣には、瑞穂の装束に身を包んだカグラと、技師服姿のシルヴィアが立っている。
「行こう。論より証拠だ」
私はドックの作業員に合図を送った。
「進水準備! 注水弁、開放!」
ゴゴゴゴ……!
水門が開き、海水がドック内へと流れ込んでくる。
水位が上がり、船底を濡らしていく。
見物人たちが息を呑む。
水が船体を持ち上げるか、それとも重みに耐えかねて沈没するか。
水位が喫水線に達した、その時。
ギシッ……というわずかな音と共に、数千トンの鉄塊が、ふわりと持ち上がった。
「う……浮いた!?」
「浮いたぞ! 鉄の船が浮いたぁぁぁッ!」
一拍の静寂の後、爆発的な歓声がドックを揺らした。
カイトが機関室から伝声管を通じて叫ぶ。
「旦那! 浸水なし! シルヴィア姫の防水結界も完璧だ! いつでも回せるぜ!」
「よし! 主機始動! 微速前進!」
私が号令を下すと、煙突から黒煙ではなく、蒼白い魔力の余波が立ち昇った。
船尾のスクリューが回転を始め、水を掻く。
巨大な船体が、滑るように港の外へと進み始めた。
◇
沖合に出ると、波は荒くなった。
だが、『オオワダツミ』は揺れない。
その圧倒的な重量と、船体下部に設置された「姿勢制御フィン」が、波のうねりを力ずくで押さえ込んでいるからだ。
「信じられません……。これほどの荒波なら、普通の船なら立っているのもやっとなのに、お茶が飲めますわ」
ブリッジで、カグラが湯呑みを手に驚愕していた。
彼女の視線の先には、どこまでも広がる青い海。そして、その彼方にある故郷がある。
「おい、若造! ……いや、公爵様!」
ドタドタと足音がして、棟梁がブリッジに駆け込んできた。
彼は出航直前、「俺も乗せろ! 自分が作った船の最期を見届ける義務がある!」と言って無理やり乗り込んできたのだ。
「なんだ、棟梁。船酔いか?」
「馬鹿言え! ……速すぎるんだよ! 今、何ノット出てる!?」
「巡航速度で二〇ノット(時速約三七キロ)。本気を出せば三〇は出る」
「に、二〇だと!? 追い風を受けた最新鋭のクリッパー船より速ぇじゃねぇか! 風もねぇのに!」
棟梁は計器と海面を交互に見て、あんぐりと口を開けている。
帆船は風待ちが必要だが、魔導エンジンに天気は関係ない。
直線的に、最短距離で海を渡れる。
その時。
シルヴィアが監視していた魔導レーダー(ソナー)が、不穏な赤い光を点滅させた。
「アルス様! 感あり! 二時の方向、水中より接近する巨大な熱源反応! ……この波形、間違いありません!」
カグラが顔色を変えて窓に駆け寄る。
海面が盛り上がり、巨大な水柱が上がった。
現れたのは、全長三〇メートルを超える青銀色の鱗を持つ大蛇――海竜だ。
しかも一匹ではない。五、六匹の群れが、鎌首をもたげてこちらを威嚇している。
「出た……! 奴らです! 瑞穂の海を封鎖した悪魔たち!」
カグラが刀の柄に手をかける。
棟梁が顔面蒼白になって叫ぶ。
「お、終わりだ! あんなもんに囲まれたら、逃げ場がねぇ!」
「逃げる? なぜ?」
私は冷静に操舵輪を握り直した。
「ちょうどいい実験台だ。……カイト、戦闘配備! 機関出力最大!」
「あいよッ! 魔石を惜しむな! 全速力だ!」
エンジンの回転音が轟音に変わる。
船は逃げるどころか、海竜の群れに向かって加速を始めた。
「なっ!? 正気か! ぶつかるぞ!」
「ぶつけるんだよ、棟梁」
海竜の一匹が、縄張りを荒らす黒い巨体に激怒し、凄まじい速度で突っ込んできた。
奴らの常套手段、体当たりだ。
木造船なら、この一撃で竜骨を砕かれて沈む。
だが。
ドォォォォォン!!!
衝突の瞬間、響いたのは破砕音ではなく、巨大な鐘を叩いたような、甲高い金属音だった。
船体は大きく揺れたが、それだけだ。
対して、海竜の方は――。
「ギャオオオオオッ!!?」
悲鳴を上げてのたうち回っていた。
自慢の硬い頭部の鱗が割れ、血が噴き出している。
「……は?」
棟梁が目を白黒させる。
「作用・反作用の法則だ。……生物の骨や鱗が、分厚い鋼鉄の装甲と真正面からぶつかれば、壊れるのは柔らかい方だ」
私は冷徹に告げた。
この船は、動く要塞だ。生身で勝てる道理がない。
「さて、痛み分けで終わらせるつもりはない。……総員、反撃用意!」
私はブリッジの攻撃盤を操作した。
「主砲、照準合わせ! ……撃てッ!」
ズドン! ズドン! ズドン!
三連装カノン砲が火を噴く。
至近距離からの徹甲榴弾が、のたうち回る海竜の胴体を直撃し、肉片となって吹き飛ばした。
「次! 水中からの敵にはこいつだ! 一番・二番『魔導魚雷』、射出!」
船底の発射管から、スクリュー付きの自走式爆弾が放たれる。
それらは魔法誘導で海中を突き進み、船の下から攻撃を仕掛けようとしていた別の海竜の腹に吸い込まれた。
ドゴォォォォン!!
海面が盛り上がり、巨大な水柱と共に、海竜の死骸が浮き上がった。
一方的な蹂躙だった。
かつて船乗りたちを絶望させた海の王者は、科学と魔法の融合が生み出した鋼鉄の暴力を前に、ただの「大きな魚」へと成り下がった。
「す、すげぇ……」
棟梁が腰を抜かしながら呟く。
「俺たちは……今まで何に怯えていたんだ? 鉄の船ってのは、こんなにも強ぇのか……!」
「退け、雑魚ども! この海はもはや、お前たちの狩り場ではない!」
私が一喝すると、生き残った海竜たちは、恐怖に駆られて海中深くへと逃げ去っていった。
勝利だ。
レーダーから敵影が消える。
カグラが、震える手で口元を覆い、涙を流していた。
「……勝った。あの海竜に、完勝した……」
「まだ道の途中ですよ、カグラ殿。……見えてきました」
私は前方を指差した。
海竜の群れが去ったその先に、うっすらと島影が見えてきたのだ。
桜色の霧に包まれた、神秘の島国。
「あれが、瑞穂皇国……」
「はい。私の故郷です」
『オオワダツミ』は汽笛を鳴らし、堂々とその領海へと侵入していく。
黒船の来航。
それは、鎖国状態にあった東の国にとって、驚天動地の大事件となるだろう。




