第2話 破綻した帳簿と悪魔の提案
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執務室の床には、高価な陶磁器の破片が散らばっていた。
かつて王家から下賜されたという花瓶が無惨な姿を晒している。その破片の海の中央で、父エドワード・フォン・ヴェルダンは肩で息をしていた。
白髪の混じった赤茶色の髪、かつて戦場で武勲を立てた巨躯は、今や心労と酒でどこか弛んでいる。
「……金だ、金がない! なぜだ! 先月、商会から借り入れた二〇〇〇万ゴールドはどうした!」
父の怒号が部屋の空気を震わせる。
私は散らばる破片を革靴のつま先で避けながら、部屋の中央へと進み出た。
机の上には、王都からの手紙と、無造作に積み上げられた帳簿の山がある。
「父上。お気持ちは分かりますが、花瓶を割っても金貨は湧き出てきませんよ」
「アルスか……! 貴様、他人事のように! ジェラールからの手紙を見たか。また『至急、資金を送れ』だと! 今度は王太子殿下の誕生祝賀会で、辺境伯家として恥じぬ贈り物をせねばならんらしい!」
父は手紙を握りつぶし、テーブルに叩きつけた。
兄ジェラール。長男であり、ヴェルダン家の次期当主。
王都の華やかな社交界に身を置き、魔獣のうろつく汚い辺境には戻ろうともしない。
「恥じぬ贈り物、ですか。……父上、ご報告があります」
私は懐から、一冊の薄い革表紙のノートを取り出した。
これは私が独自に作成した、ヴェルダン家の『真の決算書』だ。
正規の執務官たちが父に見せている帳簿は、借金の利息や未払い金を意図的に隠蔽し、見かけ上の数字を良く見せている。父の怒りを買わないための、彼らの保身術だ。
「なんだ、それは」
「我が領の、現実的な財務状況をまとめたものです。結論から申し上げます。……このままジェラール兄上の要求に応え続ければ、ヴェルダン家はあと二ヶ月とかたたずに破産します」
淡々と告げた言葉に、父の目が大きく見開かれた。
瞬間、顔色が赤から青、そして土色へと変わっていく。
「は、破産だと? 馬鹿な。我が領は広大だ。税収も……」
「税収は昨年の凶作で三割減。対して、輸入せねばならない小麦の価格は高騰しています。加えて、兄上が先月『社交費』として消費した額は、金貨八〇〇枚。……これは、領民二千人が冬を越すための食料備蓄費とほぼ同額です」
私はノートを開き、具体的な数字が羅列されたページを突きつけた。
父は言葉を失い、わなわなと唇を震わせる。
「兄上は手紙に『王太子殿下への贈り物』と書いていますが、私が王都の知人に調べさせたところ、実際に兄上が金を使っているのは……裏通りの高級娼館と、違法な賭博場です」
さらに一枚の羊皮紙をテーブルに置く。
それは王都の裏社会に通じる商人から買い取った、兄の借用書の写しだった。
父はそれをひったくるように手に取り、目を通した瞬間、がくりと椅子に崩れ落ちた。
「……嘘だ。ジェラールは、我が家の希望なのだぞ……。あいつには魔力がある。中央で出世すれば、この貧しい領地も……」
「その希望が、今まさに家を食い潰しているのです」
私は冷徹に現実を突きつけた。
父は頭を抱え、呻き声を上げる。武人としての覇気は消え失せ、ただの老いた父親の姿がそこにあった。
ここが攻め時だ。私は声をワントーン下げ、ゆっくりと近づいた。
「父上。私に、提案があります」
「提案……?」
「このまま座して破滅を待つか。それとも――私に賭けてみるか、です」
私は父の目の前に立ち、まっすぐに見据えた。
「私を『領主代行』に任命し、領内の全権限を与えてください。人事権、財務権、そして司法権も含めて。そうすれば、半年以内に赤字を解消し、領地を黒字化してみせます」
一瞬の静寂。
次の瞬間、父は乾いた笑い声を漏らした。
「は、はは……。何を言うかと思えば。貴様のような魔力のない次男坊に何ができる? 内政などやったこともない子供が」
「子供扱いされては困ります。……それに、手ぶらでこんな提案はしません」
私は懐から、先ほど精製したばかりの『高純度魔石』を取り出した。
薄暗い執務室の中で、その蒼穹色の結晶は、まるで小さな星のように強烈な輝きを放った。
父の視線が釘付けになる。
魔力を感じ取れる父だからこそ、その石が放つ異常なエネルギー密度を肌で理解したはずだ。
「な、なんだそれは……!? 魔石か? だが、こんな純度の高いものは見たことがないぞ!」
「領内の海岸で見つけました。……どうやら、我が領地の地下深くには、未知の『高純度魔石脈』が眠っているようです」
嘘である。
だが、技術を持たぬ者にとって、高度な技術は魔法や奇跡と区別がつかない。
私はこの石を「天然資源」だと偽ることで、私自身の「製造技術」を隠匿する。
「これは試供品ですが、王都の魔導研究所に持ち込めば、金貨一〇〇枚は下らない価値がつきます。私が代行となれば、この鉱脈の開発を本格化させます」
父の喉がごくりと鳴った。
金貨一〇〇枚。たった親指大の石が、騎士の年収の数倍になる。
それが「鉱脈」として眠っているとなれば、ヴェルダン家は救われるどころか、巨万の富を得る。
「……本当か。本当に、そんなものが埋まっているのか」
「この石が証拠です。ですが、採掘には専門的な知識と、繊細な指揮が必要です。兄上には……無理でしょう」
父は魔石と、借用書の写しを交互に見た。
葛藤する時間は短かった。溺れる者は藁をも掴む。ましてや目の前にあるのは藁ではなく、黄金の船だ。
「……分かった。……分かった!」
父は引き出しから、領主の印章指輪と、羊皮紙を取り出した。
震える手で署名をし、印章を押す。
「アルス・フォン・ヴェルダンを領主代行に任ずる。……ただし! 半年だ。半年で結果が出なければ、貴様を勘当し、その身柄を奴隷商に売り払ってでも借金を返すぞ!」
「謹んでお受けします。……契約成立ですね」
私は恭しく一礼し、委任状を受け取った。
紙の重み以上に、ずしりとした権力の重みを感じる。
これで、私の手足は自由になった。
執務室を出ると、廊下には執事のセバスチャンが待機していた。
中の会話は聞こえていただろう。老執事は驚きの色を見せず、ただ深く頭を下げた。
「……若様。いえ、アルス代行様。いかがなされますか」
「セバスチャン。直ちに兄上への送金を凍結しろ。手紙には『領地は疫病で封鎖された』とでも書いておけ」
「承知いたしました。……して、浮いた資金は?」
私は歩き出しながら、次なる指示を飛ばす。
頭の中には、すでに今後十年のインフラ計画図が描かれている。
「まず、領民への食料放出だ。備蓄庫を開けろ。飢えた人間に労働はさせられない」
「はっ」
「次に、西の森にある『廃棄された鉄鉱山』。あそこの権利書を買い戻す」
「あのような廃鉱を? 鉄の質が悪く、数十年前に放棄されましたが……」
「鉄の質はどうでもいい。私が欲しいのは、あそこから港まで続いている『平坦な道』と、残されたトロッコのレールだ」
セバスチャンが怪訝な顔をするが、私は構わずに続けた。
普通の馬車輸送では、限界がある。
私が作ろうとしているのは、魔石エネルギーで走る自走式の輸送機関――すなわち『魔導列車』だ。
その実験線として、あの廃鉱のレール跡地は最適だった。
「急げ。冬が本格化する前に、港までの輸送路を確保する。……ヴェルダン領の反撃は、ここからだ」
窓の外を見ると、雪がちらつき始めていた。
凍えるような寒さだが、私の胸の奥には、溶鉱炉のような熱い野心が渦巻いていた。
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