第16話 予算委員会と天才技師の正体
地下水路での捕り物から一夜明け、ヴェルダン別邸には久しぶりに平穏な朝が戻っていた。
……と言いたいところだが、早朝から屋敷は大騒ぎだった。
「ひ、ひぃぃぃッ! あ、アルス様! 大変です!」
浴室から飛び出してきたメイドが、真っ赤な顔で私の執務室に駆け込んできた。
私はちょうど、昨夜確保したデータの解析を終え、コーヒーを飲んでいたところだ。
「どうした? カイトが暴れたか?」
「い、いえ、そうではなくて……! あの子、カイト様は……その……!」
言葉にならないメイドの後ろから、湯上がりのカイトが不機嫌そうに現れた。
ボロボロの服ではなく、サイズの合わない私のシャツを一枚羽織っただけの姿。
濡れた髪をタオルで拭きながら、彼女は億劫そうに欠伸をした。
「……うっせぇなぁ。風呂くらい静かに入らせろよ」
「カイト、お前……」
私は持っていたコーヒーカップを取り落としそうになった。
煤汚れが落ちた肌は雪のように白く、華奢な手足。そして、ぶかぶかのシャツの隙間からは、ささやかだが確かな膨らみと、女性特有の柔らかな曲線が見え隠れしていた。
昨夜の暗闇と汚れで気づかなかったが、カイトは紛れもなく少女だった。
「なんだよ、旦那。女が機械いじっちゃ悪いか?」
「いや……驚いたが、悪くはない。だが、なぜ隠していた?」
「スラムじゃ、女ってだけでナメられるか、売り飛ばされるからな。男のフリして油まみれになってる方が安全なんだよ」
カイトは事もなげに言い、テーブルの上のクッキーを勝手につまみ食いした。
そのサバイバル精神と合理性。
私は呆れるよりも先に、感心してしまった。
「なるほど。合理的だ」
「だろ? ……で、約束の『鉄の塊』はいじらせてくれるんだろうな? それがねぇなら、ここを出ていくぜ」
彼女の瞳は、宝石やドレスには目もくれず、部屋の隅に置かれた魔導エンジンの模型に釘付けになっていた。
本物の技術屋だ。
私は思わず笑みをこぼした。
「ああ、約束だ。……彼女に合う服を用意してやってくれ。それと、今日から開発チームに一名追加だ」
◇
数日後。
ヴェルダン別邸の工房は、熱気と口論、そして創造の喜びに包まれていた。
「だから! ここのギア比は1:3じゃなくて1:3.5だ! そうしねぇとトルクが逃げる!」
「カイトさん、計算上は1:3で十分です。部品の規格を統一しないと、量産コストが跳ね上がります!」
「お二人とも! いっそ、ここの軸受けに風属性の浮遊術式を組み込めば、摩擦係数はゼロになりますわよ!」
カイト、リリーナ、シルヴィア。
三人の才女が、一台の模型を囲んで議論を戦わせていた。
カイトの手先の器用さは異常だった。私の描いた図面を一度見ただけで、金属片を削り出し、誤差ミクロン単位の部品を作り上げてしまう。
『感覚』のシルヴィア。
『理論』のリリーナ。
『実装』のカイト。
三つの歯車が噛み合い、私の構想はかつてない速度で具現化していく。
「できた……」
夕方。
テーブルの上には、全長一メートルほどの精巧な『魔導列車模型』が完成していた。
ただの模型ではない。実際に小型魔石エンジンを搭載し、自走し、ブレーキ制御まで可能なミニチュアだ。
「完璧だ。これなら、あの石頭の古狸どもも納得せざるを得ないだろう」
私は完成品を撫で、明日の決戦――予算委員会に思いを馳せた。
◇
翌日。王城「白竜の間」。
国の予算を司る重要会議、予算委員会が開かれた。
円卓を囲むのは、財務大臣をはじめとする高官たちと、各派閥の有力貴族。その多くは、急激に台頭する私を快く思っていない保守派だ。
「……ヴェルダン次期辺境伯。貴殿の提出した『基幹鉄道敷設計画』だがね」
口火を切ったのは、ハミル伯爵という肥満体の男だった。ガストンの遠縁にあたり、魔導ギルドとも繋がりが深い。
「総工費、金貨五〇万枚。……正気かね? 国家予算の一割に相当する額だ。たかが移動手段のために、これほどの血税を投入するなど認められん」
「左様! 馬車で十分だ!」
「そもそも、安全性が信用できん。もし王都の中で爆発でもしたらどうする!」
予想通りの野次が飛ぶ。
私は動じることなく、リリーナに目配せをした。
彼女は分厚い資料を各出席者に配った。
「皆様のお手元の資料をご覧ください。……これは今後十年の経済効果試算です」
リリーナの凛とした声が響く。
「鉄道建設による雇用創出、資材の流通、そして開通後の物流コスト削減効果。これらを合算すれば、初期投資はわずか五年で回収可能です。六年目以降は、毎年金貨一〇万枚の純利益が国庫に入ります」
「き、机上の空論だ! そんな数字、いくらでも捏造できる!」
「捏造ではありません。ヴェルダン領での半年間の実績データに基づいています」
「ぐぬぬ……」
リリーナの鉄壁の論理に、ハミル伯爵が言葉に詰まる。
そこで私は、テーブルの中央に風呂敷で包んでいた「切り札」を置いた。
「百聞は一見に如かず。……安全性への懸念には、これでお答えしましょう」
風呂敷を解くと、精巧な模型と、円卓の上に敷かれた小さなレールが現れた。
カイトが徹夜で調整した最高傑作だ。
「おもちゃか? 我々を愚弄しているのか!」
「いいえ、実証実験です。……カイト、頼む」
従者として控えていたカイトが、緊張した面持ちで操作盤を握った。
彼女はドレスではなく、動きやすい技師の作業着を着ている(本人の強い希望だ)。
「……へい、任せな」
カイトがレバーを倒すと、模型の機関車が静かに、滑らかに走り出した。
シュゴォォ……という微細な音と共に、円卓の上を疾走する。
その貨車には、ハミル伯爵の目の前にあったワイングラスが載せられている。
「う、うわっ! 私の高級ワインが!」
列車は円卓の端――崖っぷちに向かって加速する。
落ちる、誰もがそう思った瞬間。
「ブレーキ!」
カイトが指先で操作すると、キィィンという音と共に、列車は円卓の縁ギリギリ、あと数ミリというところでピタリと停止した。
ワイングラスの中身は、一滴もこぼれていない。
「……なんと」
「あの速度から、これほど精密な制御を……?」
会場が静まり返る。
私は静かに告げた。
「これが魔導制御ブレーキです。……皆様、想像してください。この技術が大陸全土を結んだ未来を。物資は血液のように巡り、飢餓は消え、王国の国力は飛躍的に向上します」
そして、私は最後のひと押しを加えた。
シルヴィア王女から預かった言葉だ。
「さらに、シルヴィア王女殿下も本計画の技術顧問に就任されました。……まさか、王家の叡智までも否定されるおつもりですか?」
王家の紋章が入った推薦状を提示する。
ハミル伯爵の顔色が土気色に変わった。
経済的な根拠、技術的な実証、そして政治的な権威。
三方向からのチェックメイトだ。
長い沈黙の後、財務大臣が重々しく頷いた。
「……認めよう。本計画を国家プロジェクトとして承認する。直ちに予算を計上せよ」
「ありがとうございます」
私は深く頭を下げた。
勝利だ。
後ろでリリーナが安堵の息を吐き、カイトが小さくガッツポーズをしたのが気配で分かった。
◇
屋敷に戻った私たちは、ささやかな祝杯を上げていた。
「やりましたね、アルス様! これで王都からヴェルダンまでの全区間で工事が始められます!」
「ああ。資材の発注はエルヴィラに任せてある。明日から忙しくなるぞ」
「へへっ、あのデブ貴族の顔、見ものだったな!」
チームの士気は最高潮だ。
私は窓の外、王都の夜景を見ながら、ようやく一歩を踏み出した達成感に浸っていた。
だが、その平穏は長くは続かなかった。
バタンッ!
部屋のドアが荒々しく開かれた。
飛び込んできたのは、情報収集に出ていたエルヴィラだ。彼女の顔には、いつもの余裕がない。
「アルス様! 緊急事態です!」
「どうした、エルヴィラ。改まって」
「たった今、東の国境から早馬が着きました。……『帝政ガレリア』が動きましたわ」
室内の空気が凍りつく。
「国境付近の緩衝地帯で、大規模な軍事演習を開始したとのこと。その数、およそ三万。……しかも、目撃情報によれば、彼らの先頭集団には『黒い煙を吐く鉄の巨人』が配備されていると」
鉄の巨人。
地下水路でガストンが実験していた魔導兵器だ。
不完全だったはずの技術が、なぜ?
いや、ガストンが持ち出したデータをもとに、帝国が独自に完成させたのか。
「……演習というのは名目だろう。狙いは威嚇、あるいは侵攻の準備だ」
私はグラスを置いた。
鉄道建設の槌音が響く前に、軍靴の音が聞こえ始めていた。
私の作った技術が、最悪の形で牙を剥こうとしている。
「工事は予定通り進める。……だが、同時に『防衛策』も講じなければならないようだな」
私はリリーナ、カイト、そしてエルヴィラを見渡した。
内政チートの時代は終わった。
これからは、国家間の生存競争が始まる。




