第1話 辺境の次男と凍てつく海
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北の大陸、アステリア王国の最北端に位置するヴェルダン辺境伯領。
そこは、世界から見捨てられたような土地だった。
鉛色の雲が常に空を覆い、海からは凍てつくような潮風が吹き付ける。大地は痩せ細り、魔力の濃度を示す「大気魔素量」は、王都の十分の一にも満たない。
作物は育たず、魔獣すら寄り付かない。あるのは荒れ狂う海と、切り立った断崖絶壁だけ。
それが、私が転生したこの場所の現実だった。
「……計算通りだ。やはり、この時期の北風には『澱み』が含まれている」
領地の外れ、断崖の下にある隠し洞窟。
波の音が反響する薄暗い空間で、私は目の前の実験器具を凝視していた。
私、アルス・フォン・ヴェルダンは、今年で十五歳になる。
黒髪に黒目、少し色素の薄い肌。ヴェルダン家の次男としての外見は平凡だが、その中身には、かつて異世界である日本で、国家規模の資源開発プロジェクトを指揮していた記憶が詰まっている。
私の目の前にあるのは、数年かけて廃材を組み合わせて作った『魔素濃縮炉』の試作機だ。
ガラス管と銅線、そして微量の水銀を用いた無骨な装置。だが、そこに刻まれている術式は、この世界の魔導師が見れば発狂しかねない代物だった。
この世界の常識では、魔法とは「個人の体内にある魔力」を消費して現象を起こすものである。
だが、私の理論は違う。
大気中に希薄に存在する魔素を、物理的な圧力と触媒による化学反応で強制的に「固定化」する。いわば、空気を冷やしてドライアイスを作るような工程を、魔法的に行うのだ。
「起動」
私が指先から微量の魔力を流し込むと、装置の心臓部にある魔法陣が淡い青色に発光し始めた。
ブォン、と低い唸り声をあげて、洞窟内の空気が吸い込まれていく。
目には見えないが、肌を刺すような静電気が発生している。大気中の魔素がガラス管の中で圧縮され、螺旋を描きながら中心へと収束していく。
通常、魔素の薄いこの土地では、高度な魔法は使えない。
だが、逆なのだ。
北の海から吹き付ける暴風、荒れ狂う波。それら自然のエネルギーの奔流には、微細だが純度の高い魔素の粒子が乗っている。王都のように穏やかで淀んだ空気よりも、こちらのほうが余程「質」が良い。
チリチリと音が鳴り、ガラス管の底に光の粒が溜まり始めた。
私は息を呑み、その瞬間を見守る。
前世で石油プラントの設計図を引いていた時ですら、これほどの高揚感はなかった。
やがて、強烈な閃光と共に装置が停止する。
私は分厚い革手袋をはめ、ガラス管の底を取り出した。
そこには、親指の爪ほどの大きさの、透き通るような蒼穹色の結晶が転がっていた。
「成功だ……『高純度魔石』」
震える指でそれを摘み上げる。
小さい。だが、この結晶の中に秘められたエネルギー密度は計り知れない。
この世界の市場に出回っている「魔石」は、魔物の体内から採取される不純物だらけのどす黒い石だ。それですら、暖房器具や照明の燃料として高値で取引されている。
対して、私の手にあるこれは、純度九九・九パーセント。
これ一粒で、一般家庭の魔導ランプを一年間灯し続けられるほどの熱量を持っている。
「これなら……いける」
私は結晶を懐にしまい、洞窟の出口へと向かった。
外に出ると、夕闇が迫る海が広がっていた。相変わらず陰鬱な景色だが、今の私には、この荒れた海が黄金の宝物庫に見えていた。
誰からも見向きもされない、魔力の枯渇した土地。
だからこそ、誰にも邪魔されずにこの技術を独占できる。
この海風がある限り、私は無尽蔵にエネルギー資源を生み出せるのだ。
だが、問題は山積みだった。
崖を登り、領主の館へと戻る道すがら、私は思考を現実的な「政治」へと切り替える。
ヴェルダン辺境伯領の財政は、破綻寸前だ。
父である現当主、エドワード・フォン・ヴェルダンは武人としては一流だが、内政の才能は皆無に等しい。
領民は重税と不作に苦しみ、人口は減少の一途を辿っている。
そして何よりの問題は、王都にいる私の兄、長男のジェラールの存在だ。
館の正門をくぐると、執事のセバスチャンが沈痛な面持ちで立っていた。古びた燕尾服には繕った跡がある。
「おかえりなさいませ、アルス様。……旦那様がお呼びです」
「父上が? また王都からの手紙か?」
「はい……。ジェラール様からの、追加の送金要請かと」
私は溜息を噛み殺した。
兄のジェラールは、「社交」と称して王都で豪遊を続けている。次期当主としての地位を笠に着て、実家の窮状などお構いなしに金を無心してくるのだ。父は長男至上主義の古い考えを持つため、それを拒めない。
廊下を歩きながら、私は懐の魔石を握りしめた。
この技術を公表すれば、ヴェルダン家は一夜にして巨万の富を得るだろう。
だが、今のままでは駄目だ。
今のヴェルダン家には、この利権を守り切る「力」も「政治基盤」もない。下手に公開すれば、王家や大貴族に技術ごと接収されるか、あるいは暗殺されて終わりだ。
それに、ただ金を稼いで借金を返すだけでは意味がない。
私が目指すのは、そんな小さな復興ではない。
この魔石を使い、新たな産業を興す。
物流を支配し、人の流れを変え、この北の果てを大陸経済の中心地へと変貌させる。
そのためには、まず足元の「掃除」が必要だ。
執務室の重厚な扉の前に立つ。
中からは、父の怒鳴り声と、何かが割れる音が聞こえた。
「……ふう」
私は服の乱れを整え、表情を「従順な次男」のものから、前世で修羅場をくぐり抜けてきた「交渉人」の顔へと切り替えた。
覚悟は決まった。
今日、私は父に提言する。
それは、ヴェルダン家の、そしてこの国の歴史を変える最初の分岐点となるだろう。
「失礼します、父上。アルスです」
私は静かに、だが力強く扉を開いた。
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