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私事について  作者:
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⑦こんな仕事(前)

 事実を基にした創作です。

・アルバイトについて⑦こんな仕事(前)


【2026.12】


 業者の方に、結構話しかけてくれる方がいる。ここでは親しみを込めて、以下オッチャンとする。(私はオッサンです)


『前はなんしとったん?』


「あー、前は派遣社員やっとったんですけど、まあなんかもう、あかんなと思って辞めて……それでしばらく無職やったんですけど……まあなんかあの、生活できんからなあってなって」

 

―――――――――――――――――


【2025】


 無職だったころ、日中出かけると、目に付く人の多くが働いていて、みんな偉いなあと思っていた。


 平日、アパートの駐車場に自分の車だけ残っていると、なんだかありもしない人の目が気になった。(被害妄想です)車を運転していても、ステーションワゴン、商用バン、トラック、社名の入った軽自動車を見かけるとやはり、みんな偉いなあと感心した。


 どんなお店でも丁寧な接客をされると、立派だと思った。


 アルバイトを始めれば、そうした他人に対する尊敬やうしろめたさ、のような感情がいくらか薄れるかと思っていた。他者に対する感謝も間違いなくあって、それはよいことだったけれど、それ以上に自分が働いていない劣等感のようなものの方が大きかった。自分の今している仕事が人に誇れるようなものかと言えば、そうではないのかもしれない。

 大したことのない仕事だと、誰でも(ある程度の我慢は必要だけれど)できる仕事だと自分で思っているように思う。だから、結局今も劣等感が消えないのだと思う。


―――――――――――――――――


【2026.1】


 相変わらず倉庫で荷物の準備なんかをしていると、声をかけてくれた。


『いつまでおるん? こんな仕事、もう嫌になったやろ』


 こんな? ……。 


「一応、3月までです」



 最初の数か月で結構嫌な目にあった私は、契約期間までは頑張ろうと思っていた。けれど、アルバイト先の社員の方は、その後も当然続けるものだと考えていたらしい。

 求人票には『3月末まで、更新の可能性あり』と書かれていた。曖昧な表現だ。それはそういうものかもしれないけれど雇用主側が生殺与奪(というと大げさだけれど)権を持っている。そもそも私自身、期間の定められた仕事だから、我慢できるというか、我慢しようと思って始めたアルバイトだった。


 もちろん職場のみんながすごくいい人たちで、仕事もやりがいがあって、給料も上がっていくならば、続けるのもやぶさかではないけれど。実際はそのどれもが満たされているとは言えなかった。やりがいと給料はまあ仕方ないけれど、人間関係は結構ここまで続けるのにも忍耐を要していた。

 もちろん全員が苦手な人というわけではないし、気にしないように心がければ我慢できないことはないのだけれど、時々(1日に1回程度)、なんでそんな言い方をされないといけないのだろうか、辞めたいなとか、これでいいんだろうか、みたいなことは思っていた。


 足がしもやけになったりしたことは、私自身、防寒対策を怠ったのが主たる原因であるけれども、ただ、根本的に対策をしなければならないほどの低温の環境下で長時間働かざるを得なかったわけで、体によくないと思っていた。危険手当がつくわけでもないし。

 そういうことを考えていたわけだから、当然辞める気でいた。


 社員の方からは、特に仕事ぶりは問題ないから、このまま続けてもらえると助かると言われた。働きぶりに問題がでなかったのは、つまり、私が嫌なことがあっても、キレたりせず、それを我慢していたからだ。(もともとそこまで難しい仕事ではないということももちろんあります)


 私はここで続けたら、以前、派遣会社にいたころのようにズルズル行ってしまうのではないかと、不安を覚えた。けれど次の仕事が決まっていないのに辞めるのはよくないだろうという、相手の意見もまあもっともでもあった。また無職になれば、精神の安定を欠くのは目に見えていた。ただ……なんだかどうにも面白くない気がした。


 4月以降の提示された労働条件は今と同じものだった。年収は賞与が多ければ250万円に達するかもしれない、というものだった。


―――――――――――――――――


【唐突なお詫び】


 以前、生産管理の仕事をしていた時、その会社の人が嫌な人たちばかりだった、ということを書いた記憶があるのですが、それは言い過ぎでした。親切にしてくれた人も居たのにと、いまさらになって反省しました。確かに嫌な人は多かったけれど、全員がそうではなく、優しい方、親切な方、良識を持った方もいらっしゃいました。その方たちにこの場でお詫びします。大変申し訳ありませんでした。


―――――――――――――――――


【栄養ドリンク】


 年末から1月の終わりにかけて、評価の高いホラーゲームのリメイク作品を遊んでいた。仕事から帰ってきて色々済ませてから、1.2時間くらい遊ぶことにしていた。

 相当以前から、ストーリーの気になっていた作品だったので、遊ぶことができてよかった。それが毎日の楽しみの1つだった。日々、少しずつでも進んだ(ゲームであったとしても)というのが精神にいい影響があったように思う。また、ゲームをすると目が疲れて、寝付きやすくなる気がしていてそれもよかった。

 仕事から帰って食事をすると、疲れもあって頭がぼーっとしてゲームに集中できなかったりする。そういうのもあって、夕食後に栄養ドリンクを飲んでいた。栄養ドリンクを飲むと頭がすっきりする気がする。昔、資格の勉強をしていた時もよく飲んでいた。ゲームのためだけではなくて、単純に体を壊さないように栄養を取るという理由もあった。


 ただ、あまり疲れていないのに飲むと眠れなくなることもあるのでそこは注意してほしい。あとホラーゲームは怖くて精神的に辛くなるときがあるのでそこも注意してほしい。(実際そういう注意書きがされていた)あと、栄養ドリンクのラベルってはがしにくいよなあ、と思って捨てずに貯めていたのだけれど、調べてみると瓶のラベルははがさなくてもよいとあった。忘れていました。


―――――――――――――――――


【2026.2】


『2月なったけど、ちゃんと探しとるんか』


 ちょうど、いい求人を見つけたときだった。だから、その時は自信を持って答えることができた。


「ええ、探してますよ」


『いつまでもやっとったらあかんて』


 こういうことを言ってくれるのは、優しさなのだろうか。


―――――――――――――――――


【転職活動】


 ある休日、ハローワークに出かけその求人について聞いてみることにした。のだけれど、その求人を検索しても表示されなかった。これはもしかして……と思ったけれど、一応聞いてみることにした。


『あー、先週決まってしまったみたいですね』


「……そうですか。なら仕方ないですね」


 他にも似たような求人が出ていたけれど、それは夜勤があって、できれば避けたかった。けれどもうそんなことを言っている場合ではないのかもしれない。


―――――――――――――――――


【生きる理由、勤務時間】


 働き出す前、生きる理由はそれなりに考えたつもりだった。

 「未練があるのならそれが生きる理由である」という格言を聞いて、まだ完結していない映画と漫画は未練だったので、格言にあてはめ、それを生きる理由とした。

 映画を観るのも漫画を読むのも、幸いそこまでお金はかからないから、仕事は今の自分でも務まりそうなものでいいと考えて、アルバイトにすることにした。アルバイトであれば、そこまで難しいことはないだろうし、責任も重くはなく気楽だろうと思ったのだ。そしてその部分は予想通りだったのだけれど、勤務時間がフルタイムで働くのと大差がなくて、それが問題だった。私は1日8時間労働するのなら、週4勤務くらいでも生活は維持できると考えていた。あるいは週5勤務でもその分労働時間が短ければ、なにか、無職の時みたいに本でも読めるのではないかと思っていた。(働くと本が読めなくなるのか?)

 週5で一日8時間働いていると、やはり生活の軸がアルバイトになってしまって、なんか思っていたのと違うな、となった。ただ、実際望み通りの勤務時間だったとしたら、給料は本当にギリギリになるだろうから、それはそれで不安になっていたとは思うけれど。


 自分の望み通りの働き方は逆に難しいのであれば、いっそアルバイトではなくて正社員でもっと給料のいい仕事をした方がいいのではないか、と思った。今の仕事でそれなりに嫌なことはあった(これからもあるだろう)。あったけれど我慢できないほどではない、でも結局我慢しているのなら、他のでもいいのではないか。これだけ我慢できることがわかったのだから、正社員でもやっていけるのではないかと思ったのだ。思っただけで実際できるかはもちろん分からないけれど。


 欲が出てきたのかもしれない。自殺のことを考えていたころに比べれば、すごい進歩、あるいは、回復していると言うこともできるのかもしれない。ただ、やはりそれは関係ないかなと思う。生きる理由の設定は既に済んでいたのであって、どんな仕事をするのかは、また別の問題だ。


 とにかく映画と漫画の完結を見届けるためには、それまで生活していかなければならないわけであって、であるなら、問題なく生活のできている今は、そこはクリアしている。であれば仕事はよほど嫌なことがなくて、こなせるものであればいいのであって、現在のものでも問題ないはずだ。……なのだけれど、実際、もっと別のことをしたいと思っているし、現在のはもういいかなと思っている。でもそれは欲というより、逃避なのではないかという気もしている。逃げた先がもっとつらい可能性は十分にある。


 無職だったころ、働いている人たちは皆立派な気がしていたけれど、今の自分は立派かと聞かれると、即答できない。確かに、舐められたりすることもあるし、給料も高くないし、やっていることも別に格好いいことでもないし、とは思うけれど、そんな風にやりたがらない仕事だとしても、誰かがやらなければならないわけであって、であるから……とか、そんな風に考えなければならない。


 結局、人の目を気にしているのかもしれない。

 オッチャンは転職を促す、社員の人は続けてくれると助かると言っている。助かると言ってくれるのは素直にうれしいけれど、それは『この時給で』ということなのだと思う。もしもこの仕事で年収300万円ももらえればそれでいいと思うかもしれないけれど、向こうは「うーん、300万円払うならいいかな」となるだろう。


―――――――――――――――――


【気にしないこと】


 人の目を気にして、自分を責めるのはよくないという話はよく聞く。私もそうだと思うし、そうなりたいと思うし、心がけている。でも完全に気にしないようにするのはとても難しいことだ。


 不愉快な態度を取られたら、嫌な気持ちになって当然だと思う。それを引きずらないために、自分に言い聞かせて、切り替えてダメージを軽減するというか、むしろ普段から準備しておくような、戦車の反応装甲のようなイメージかもしれない。あるいはトカゲのしっぽを切れるようにしておくイメージだろうか。(どういうこと?)


 けれど、人の意見は自分の中にも同じものがある場合があるのではないだろうかと思う。気にしていることをからかわれて傷つくような。


 こんな仕事をしていて情けないとか舐められるような仕事は嫌だ、とか。結局自分が一番、この仕事をしている自分を馬鹿にしているのだろうか。でも、もし他の人が自分と同じ仕事をしていたら、偉いし大変だろうな、と思うだろう。ただ自分がやっているとそうは思えない。もちろん大変なこともあるのですが。


 でもまあ、ごちゃごちゃといろいろ考えたけれど、最悪このままこの仕事を続けてもさほど問題はない。

 ①生活ができる。②能力的にこなせる仕事である。この2つは重要なポイントであって、やりがいや楽しい人間関係や高い給料、というのは、あればなお良い。という要素だ。能力が足りなくて続けられなかった仕事に比べればはるかにいい。けれど苦手な人がいたり、舐められたり、時給の額だったり、自分自身なにか(そんなたいそうな感情ではないけれど)誇れない部分がある。


 しかし、また転職して、そこで上手くいかなかったらその方が問題ではないか。そのとき、周囲の目はどうなるだろうか、自分の自信への評価はどうなるだろうか。もっと悪くなるだろう。



 本当に人の目を気にしないようにしいのであれば、人と関わらないことが一番だと思う。そういう考えで無職の時、株取引をやってみたけれど上手くいかなかった。株なんて、と思われる方ももしかしたらいるかもしれない。確かに、私みたいに勝手に金を減らしていたら、世話がないのだけれど、実際それで稼ぐことができてそれを社会に還元するとしたら、その場合はどうだろうか。私が汗水たらして働いても、募金とかは少額しかできない。でも、株でめちゃくちゃ稼いで、めちゃくちゃ慈善団体とかに寄付している方がいたとしたら、どちらがより社会のためになっているのだろうか。私にはそういうの無理だったけれど。


―――――――――――――――――


【アルバイトによるアルバイトへの教育A】


2026.3

 春は新生活が始まるということで何かと入用だから、倉庫の仕事は年末年始の時のように忙しくなるそうだ。というわけで短期のアルバイトの方が入ることになった。


『明日から、新しいアルバイトの人が来るから』


「そうですか」


『普段やっていることを教えてくれればいいから、よろしく』


「あ……はい」


 あ、私が教えないといけないんだ、と思った。

 同じ作業を担当することになるから仕方ないけれど、こういうのはなんか、伝言ゲームみたいになって間違って教えてしまう可能性があるのではないか、という気がして、社員の人が教えた方がいいと正直思う。

 

 私が入った時はちゃんと教えてくれる人がいなかった。一つ一つは教えてくれても作業の全体の流れみたいなの(そんなたいそうなものではないけれど)を教えようとする人がいなかった。


「①をやって」→終わる、手持ち無沙汰になりすることがないか聞く。

「②をやって」→終わる、手持ち無沙汰になり……。

「③をやって」→終わる、手持ち無沙汰……。

「あ、じゃああれをやって」→本来別にやらなくていいのだけれど、それがこちらは分からないので必死にやる。

 延々と「なにすればいいですか?」「これやって」を繰り返し続ける感じで、精神的に疲れた。


 入ったばかりの時はこんな感じだった。暫くして気づいたけれど、①→②→③は毎日同じ流れでやる作業だった。それだったら最初からそう言ってくれればいいのに、と思った。

 私が教えるときは気を付けて、無駄に気疲れさせないようにしたつもりだった。

 ①②③を一通りやってもらったら「あとは毎日、この流れでやってもらえばいいので。③までやったら、基本この時間帯はやること終わりです」

 そうすると、「なんだ、そこまでやったら終わりなんだ。これは毎日やることだからちゃんと覚えようとか」と見通しが立って安心するというか。

 

 (私から見て)社員の方は話しかけやすい雰囲気を出していなかった。仕事の指示以外は基本的に会話がなかった。声をかけて相手から話しやすくするとかそういった配慮が一切なかった。嫌われているのか、嫌がらせなのか、とか思っていたけれど、その人たちにとってはそれが普通だったのだ。ただ彼らにとっての普通は私にとってはすごく居心地が悪く息苦しかった。(ただ、別に私からも積極的に話しかけたりはしなかったけれど)


 新しい人が入って分かったのだけれど、この職場の居心地の悪さや(アルバイトに対する)配慮のなさは私だけが感じているものではなかったようで、少し安心した。


 仕事の指示にしても、理由の説明を省くところがあった。ただこれをやれ、あれをやれ、と言われて、たまに聞いてみると、いいからやれ、みたいなことを強い口調で言われる。話し易いわけがない。他の人は自分の仕事に集中していてフォローとかもないし。


 これは社員の人全員がそうというわけではなくて、私を指導する人がそうだったというだけなのだけで、どこでも1人ぐらいこういう人はいるし、もう仕事は大体できるようになったし、もういいかと思っていたのだけれど、新人の方と話したりしていると、やはりそういった態度を取るのはよくないと思った。



 そういうわけで、他の人と比べて相対的に聞きやすい私に、疑問点とかを質問されるのだけれど、それが少し辛い。もともとコミュニケーション能力が低いということもあるのだけれど、なぜなぜ、と質問攻めされるとすごく疲れてしまうのだ。まあこれらは別にいい。仕事に熱心なのはいいことだ。


 厄介なのが、私が小さい人間であるということで、(これ、自分の時は教えてもらえなかったんだよなあ、とか、意味も分からずキレられたんだよなあ)とつい、考えて、自分の時と比べてしまうのだ。私が、断片的な指示から、帰納法的に頑張って考えた理屈(大したものではない)、や仕事の流れをこの人たちは最初から答えを与えられるんだよなあ、なんだかズルいような……と思ってしまう時があるのだ。ただ、こんなことは思ったとしても言わないし、態度にも出さない。そんなことをしても自分の株を下げるだけだし、それはもういろんな意味で御免だ。


 本来最初からきちんと教えるべきことを教えなかった人間が悪いのであって、きちんと教えるのは当然のことだ。これで私が、自分も嫌な思いをしたから、あなたも嫌な思いをしろ、というのは間違っているし、私はそんな嫌な人間にはなりたくないし、ならない。(間違えないように言い聞かせている部分もあります)


 ただ私だけ、なんか、ちょっと損している感は否めないという。それだけなのだ。もう、こんなことは考えないようにしようと思う。

 仕事を理解しようとする姿勢は褒められるべきだし、自分から疑問点を解消するほどの高い意識はよい結果を生むだろう。すぐに私の仕事も助けてくれるはずだ。


―――――――――――――――――


【まともな人】


『辞めるんか?』


「いや、人が増えたのは繁忙期だからですね。仕事探してるんですけど、なかなか上手くいかなくて。もう少し居ることになりそうです。それでもいいって言われたんで」

 もう少し早く、ハローワークへ行っていたら違ったのかもしれない。


『お前だって、本当は家庭持ちたいんじゃないんか』


 家庭?


「いやー、無理ですね。もうそういうの諦めてます」人間性としても向いていない。


『できるできんじゃないんよ。したいか、したくないかやんか』


 次の業者の人が待っていた。


「んー、……………………………………まあ、いい人がいれば」


「それやったら、こんなんやっとったらあかんて」


 宗旨替えしたのか? と疑問に思われたかもしれないが、『いい人がいれば』というのは、一休さんが屏風から虎を出してくれたら捕まえますよ、というああいうニュアンスなのだ。まるで見込みのない仮定を前に持ってきてごまかしただけだ。


 私たちが関わるのは仕事中のごくわずかな時間だけだ。

 そこで、事細かにいかに自分が駄目な人間で、精神も弱く、結婚をしたり子孫を残すべきではないということを力説するのはとても骨が折れることなので、短く切り上げただけだ。後ろも詰まっていたし。オッチャンからすれば、私は普通の人間のように見えているのだろうか。ただ私はまともな人間に見えるように頑張っていたつもりだ。それが裏目に出てしまったのか。


 けれど通常状態の自分では大概の仕事は務まらない。だから頑張って普通のラインまで上げなければならない。気を付けているのは、挨拶の時だけ通常の声量の1.5倍もしくは2倍くらいの意識で話しかけるようにしている。そうすると、相手は「この人、実は元気いい人なのか。見た目はそんな感じまったくないけど」となるかは分からないけれど、元気よく挨拶した方が好感を持たれやすいし、ボソボソ言っていると舐められる恐れがあると思っている。私はたまに、人から訊き返されることがあるので、もしかしたら常にそのくらいで話した方がいいのかもしれないけれど、それだとすごく疲れるので、せめて挨拶だけそんな感じにしている。


 『狂人のまねとて大路を走らば、則ち狂人なり』

 

 という言葉もあるけれど。


 『吉田兼好』氏の『徒然草』の中にある文章だそうです。言葉自体は知っていたのですが、なにに書かれたものなのかは知りませんでした。



(つづく)

 読んでくださってありがとうございました。

 長くなり過ぎたので前後に分けました。後編は今日中には間違いなく投稿します。


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