18、パンドラスフィンクス(?)について
※ 最後に蛾の画像がありますので、苦手な方はご注意ください。
18、パンドラスフィンクス(?)について
2022.Ⅹ
私は会社帰り、スーパーで買い物をしていた。
以前車のエンジン不調のときにも書いた広い駐車場のあるお店だ。
店内放送は流行歌のインストゥルメンタル曲とセールの情報、それに地元出身声優の方の交通安全啓発、主にその三つがかかっている。
(どうでもいいことだけれど)私はたこ焼きが好きだったりする。関係ないけれど、大手スーパーの従業員の方から聞いた話だと、たこ焼きは焼かずに揚げているものもあるとのことだった。確かに揚げるだけの方が簡単そうだ。さらに関係ない話だけれど、私は学生のころ、たこ焼きとか焼き物の店でアルバイトをしていた。もう15年くらい前のはなしで、時給は830円だった。今はどこも最低賃金が時給1000円くらいだから、すごく上がったなあと思う。もちろん物価も上がっているのだけれど。
歩いているとき、店内放送の曲が気になった。
聴いたことがあるような、ないような、でもいい曲だと思った。私は邪魔にならないよう隅っこの方に移動して、鞄からスマートフォンを取り出し音声検索をしてみた。
……無理かな、どうだろう。
いくらなんでもスーパーの中では雑音が多すぎるだろうか。そう考えながら、画面を見つめていると、識別できませんでした。と表示された。
仕方ない。これがインストゥルメンタルでなければ、歌詞で検索すれば特定できただろうけれど、そうではなかったわけで結局曲は判らなかった。
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音声検索の精度が悪かったというわけではなくて、車の中で音楽を聴いているときとかなら、きちんと正解を当ててくれる。やはりスーパーの中はノイズが多すぎたのだと思う。車の中で検索してみる場合は、たいてい曲を知っているのだけれど。
いい曲だ。とハッとなって、急いでスマートフォンを取り出し音声検索をかける、というのは結構スピード勝負だと思う。それなら歌詞の一部を覚えて、あとからそれで検索した方がよいと思う。
※もちろん、運転中の話ではないですよ。
前置きが長くなってしまいました。
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2023.5
ゴールデンウィークだったけれど、大した予定もなく過ごしていた。
なんとなく出かけようかな、と思ってアパートの扉を開けたら、足元に綺麗な緑色の蛾がいることに気づいた。
綺麗な色をしていた。緑が濃い部分と薄い部分があった。とりわけ頭の辺りが濃い緑になっていて綺麗だと思った。胴体が太い。頭部の先端から線を引いたように、左右の羽根は綺麗に二等辺三角形のシルエットを作っていた。
(お蚕様みたいだ)
私は綺麗な蛾を見つけると大抵この感想を抱くのだけれど、あとで調べてみるとそこまで蚕には似ていなかったりする。(なんだそれ)
外にいると鳥に食べられてしまうだろうか、とか考えたけれど、自然のことに手を出すべきではないと思い、写真だけ撮らせてもらった。
珍しい種類なのだろうか、この時はそう思っていた。
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2024.5
また特に予定がなかった。そしてまた、緑の綺麗な蛾を見つけた。
(今年も来てくれたのか)とおめでたいことを考えていた。私は外で見る分にはこうした感想を持つ余裕があるけれど、部屋の中に入って来られるとものすごく狼狽して取り乱し、「あの……すいませんけど出てってもらえないですかね」、みたいな感じになる。
次の日もアパートの廊下でその蛾を見かけた。
種類は同じだろうけれど……同じ個体だろうか、それとも別の個体だろうか。なんとなく後者のような気がした。1日生き延びるというのは、なかなか難しいことのように思えたのだ。(特に根拠があるわけではないですが)
また写真を撮らせてもらうことにした。なんという名前の蛾なんだろうか。そのとき、あ、と閃いた。
(そうだ、画像検索をしてみよう)
違う虫の画像が出てくる可能性もあるので、画面を離し目を細めながらスマートフォンを操作する。私は別に虫全般が好きというわけではなくて、たまたま今回好きな見た目の蛾をみつけた、という感じです。基本的には苦手です。
『Pandora sphinx』
(ぱん、どら……すぴ、スフィンクス)
「……え?」
(パンドラスフィンクス!?)
なんて格好いい名前だろうか。姿だけでなく、名前も格好いいなんて。(私のイメージのパンドラとスフィンクスから来ているのかはわからないので、下手なことは言わないでおきます)
説明を読むと、アメリカに生息するとのことだったけれど、まさか日本まで飛んできたわけはないだろうから……いや蛾はどのくらいの距離を飛べるものなのか知らないけれど。
近所に育てている人がいるのだろうか。けれどせっかく育てた蛾を、外に放つものだろうか。
(でも……そうか。パンドラだものな)
もしくは何か輸入品の箱についてきてしまって、とかだろうか、そんなことを考えていた。
私は一人でいるとき、意味もなく呟いてしまうほどにその名前が気に入った。
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2024.8
茶色を基調としたパンドラスフィンクスを見つけた。雌雄で色が異なるのだろうか。それとも枯葉色の保護色、というか擬態していたりするのだろうか。もしかして新種だろうか、と能天気なことを考えていた。
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2024.9
ある日、ふと気になった。本当にパンドラスフィンクスなのだろうか。
詳しく調べてみると……残念ながらパンドラスフィンクスではなかった。『ウンモンスズメ』という名前の日本の、かなり広い範囲に生息している蛾だった。
(そう……ですよね。そんな簡単じゃないですよね。アメリカからはるばるって……)
まだどこか諦めきれなかった私は、インターネット上のパンドラスフィンクスの画像と自分の撮ったウンモンスズメの画像を見比べてみた。確かに、変な言い方になるけれど、体の形は似ていて、同じ色の種類を使っているけれど、模様が異なっていた。
やはりウンモンスズメの頭部の模様が特徴的で、頭の広範囲が濃い緑色になっている。結構見分けやすいかもしれない。パンドラスフィンクスはそうではなかった。
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2025.10
無職になって、あちこちの図書館に出かけるようになった。
これを書く前に一応図鑑でも確認しておきたいと思った。市立図書館の蔵書検索システムでは2文字以上でないと検索ができなくて「蛾」と入力しても駄目だった。では、と「ウンモンスズメ」と入力したが、さすがにそれでは出てこなかった。
私は検索をあきらめて、虫のコーナーに行き、蛾の図鑑を調べてみた。その本にはウンモンスズメは載っていなかった。
県立図書館に行ってみる。そこでも図鑑を調べていると、ついに「ウンモンスズメ」を見つけた。やはり広く日本に生息しているそうだった。私が数年前まで出会うことがなかったというだけで。
私はもう今度こそ満足したというか、納得した。
これを書きながら、また画像検索してみると今度はきちんと「ウンモンスズメ」と表示された。言い訳のようだけれど、本当に数年前はパンドラスフィンクスが一番に表示されていたのだ。どなたか、あるいは多くの人々がフィードバックしてくださったのかもしれない。
やはり私のように、この蛾のことが気になる人が多いようだった。綺麗ですものね。
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変に聞こえるかもしれないけれど、私は間違った検索結果が出てくれてよかったとも思っている。
「パンドラスフィンクス」と口にしたとき、興奮があった。毎日、なんだか虚しく過ごしていた自分には滅多にないものだった。
その高揚は得難いものだった。
誰に迷惑をかけることでもないから、これからも、その蛾を見つけたらこう呼ぼうと思う。
「パンドラスフィンクス」
(完)
画像検索は本当にすごいですね。花の名前とか、今まで有識者の方に聞いたり、分厚い図鑑を紐解かないと分からなかったことも写真を撮るだけで簡単にわかってしまうというのは。ただそんなに簡単になってしまっていいのかな、という謎の思いもあるのですが。
読んでくださってありがとうございました。




