6、カウンセリングについて
会話文がグダグダになっていて読みにくくなっています。すみません。ただ実際こんな感じで話していました。
6、カウンセリングについて
皆さんには悩みを打ち明けられる人がいますか。
私にはいません。下記のような場合を除いては。
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2025.Ⅹ
私はこの年の(今年だけれど)4月から無職になっていた。
私の通っているハローワークでは臨床心理士の方とのカウンセリングを受けることができた。ただ、1回無職になるごとに1回カウンセリングが受ける権利が得られるという感じで、なんどでも、というわけにはいかない。
以前、無職になった時もカウンセリングを受けて、とても気持ちが楽になったので、無職で悩みを聞いてもらいたいという方は、是非申し込んでみてほしいと思う。
時間は1時間と決められている。今回の機会を逃せば、次回また無職になるまで利用はできないから、話したいことをまとめてカウンセリングに臨んだ。
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「今、35歳で……それでもう、同級生とかは結婚して子供ができたりしてまして。ただ……あの、自分も結婚したいとかはもうなくて、ていうかまあ無理っていうはなしなんですけど……。それであの、なんか自分みたいな人って最近増えてきている……って聞いてて。そういう、自分みたいな人たちってなんのために働いているのかなって疑問に思っていて……。何をモチベーションにして生きているんだろうか、みたいな。どう、どうなんですかね」
臨床心理士の方は優しいので、グダっていてもちゃんとはなしを聞いてくれる。傾聴というのだろうか。
『ご家族は……今、一人暮らしされているんですか?』
「ええ、そうなんです。一人暮らしなんです。もう、なんつーかあの、家族とあまり仲が良くなくて……なのであの、たぶん自分は介護とかもしなくていいんじゃないかなって思っていて。逆に戻って来られたら迷惑、くらいに思われていて……。ですから、あの本当に自分一人で勝手に、勝手というか……。とにかくあの、自分一人の面倒だけ見ればいい感じで、だから余計になんか、モチベーションがないというか。ない感じなんです」
『……』
私は沈黙があると、聞かれていない余計なことまで話してしまうところがある。
「本当はもう無職なんで、実家に戻りたいんですけどね。家賃とか払うの嫌で……金ないですし。でも帰ることも許されないみたいな感じで……」
『趣味とか、何か好きなものとかはないんですか』
「いや、今は本当になくて。映画観るのは好きだったんですけど、なんかもういいかなって」
『そうですかね。映画いいと思いますけど』
「なんというか、映画って結局観ているだけだし……。確かに面白いんですけど。でも映画で、あの主人公が頑張っていたとしても……なんというか、結局自分に関係ないっていうか。自分は自分だしなあ、というか。格好いい主人公を見ている(格好悪い)自分って、なんか悲しくないですかね……」
『でも、現実ではできないいろんな人の体験をできると思えば、いいと思いますけど』
「う……うーん。でも、どうなんですかね。結局自分の現実じゃないというか……。現実逃避みたいな感じがする、というか」
『現実が辛いものなら、余計に現実を忘れる時間が必要だと思いますけど。それでまた頑張れるなら、いいことじゃないですか』
創作物を楽しむために、現実を頑張るというのはどうなんだろう。
本来は現実自体が楽しいものであるべきなのではないだろうか。もしくは楽しくするために努力すべきなのではないだろうか。とはいってもそれは私には困難であるということは、自分が一番わかっているし、そのためにどうしていいのかもわからない。そうまでして生きないといけないんだろうか。
私は他にもなにかないか、聴いてみることにした。
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「なんか他にないですかね、映画の他に」言ってしまってから、なんだか人に聞くことでもないような気がしてきた。
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『ゲームとかはされないですか』(※ この場合のゲームは他人と一緒に遊ぶタイプのものです)
「あー、昔少しだけやってみたんですけど。なんか勝ち負けとかしんどいなって思って。負けたらイライラしてしまって。勝ってもなんか、嬉しくなくて……ホッとするだけというか」
『対戦ゲームじゃなくても、みんなで遊ぶようなものとかでも。そういうのを楽しみにしてる人もいますよ』
たしかにパーティーゲームとか、PvE的なゲームならどうだろうか。
「なんかやっぱ……失敗したりとか、迷惑をかけないかとか、気を遣うじゃないですかね。仕事で疲れて、で、家帰ってからも気を遣ってていうのは、なんかしんどいですね。……ていうか、あの一緒にやる友達とかもいないですし」
折角勧めてくれているんだからゴチャゴチャ言わずにやってみろよ、と思われるかもしれないけれど、めったにない機会で心にもないことを言って話をまとめても、それこそもったいないと思うのだ。
『なにか、アイドルの推し活みたいなのはどうですか』
「あー、なんか今、流行ってますよね」
メディアで耳にすることは増えた気がするけれど、実際私は推し活をしているという人を見たことはなかった。田舎だからかもしれないし、そもそもやっていたとしても公言して回ることでもないのかもしれない。私はそもそもこの言葉の持つニュアンスがいまいちわかっていなかったりする。(これは私がオッサンだからかもしれない)
『そういうのどうですか。年に何回かライブに行くのを楽しみにして仕事頑張る人もいますし』
「確かに……好きなバンドとかはありますけど……。でも、すごい熱意ですよね。ここ(田舎)からライブのあるところまで出て行くのだって大変なのに、チケット買って。すごい熱意ですよね。(2回目)そんなに好きなんですよね、みんな。……でも、自分にはもうそんな熱意がないかなあって……」
『……そうですか』
こいつ全部否定するやんけ、と思われたかもしれない。私は話の流れを変えて強引にまとめることにした。
「あ……やっぱり、あの……みんななんか休みの日とかに楽しみを作って、頑張っている、という感じなんですね。なんか……あの、すごい勉強になりました。ありがとうございます」
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1時間は想定していたよりも長くて、いろいろ話を聞いてもらうことができた。
家族仲が悪いこと、直近の会社でパワハラを告発したら犯罪者扱いされたこと、アパートの隣の人がめちゃくちゃうるさかったこと、友達が一人もいないこととか。
「でもみんな何のために生きているんですかね」
『……』
「もうなんか35って、結構生きたなーって思うんですよね」
自分の招いた結果だけれどこんなになにもない35歳になるとは思っていなかった。
『……』
「こんなこと言ったら、もっと生きるべきだった人とか、生きたかった人に本当に失礼なんですけど、なんというか、もう充分生きたんじゃないかなーって。俺にはなにもないですし、頑張る理由もないしなあって。なんかあの、パワハラの件もあって、なんかもう嫌になって、いや、あの本気で死にたいってわけではなくて……殺されるのも嫌なんですけど」そもそも生まれてこなければよかったのに。
すぐ我に返って、うっとうしいこと言ってしまったなあ、と反省した。
『失業給付はまだ残っているんですよね』
「ええ、まだ結構あります」
『今はゆっくり休んで、映画観てね、やりたいこと探したらいいと思いますよ』
(……、……)
「あ……そうですよね。もうなんか、あの、もう本当に、失業給付全部もらえるだけもらおうかなって思ってるんですよ。こんなこと言ったら怒られるかもしれないですけど」
『ああ、全然いいと思いますよ。そういう人いっぱいいますよ。たとえば……』
「えっ、それはすごいですね。いや……すごいな、ほんと」
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「今日は本当にありがとうございました。本当に話せる人いなくて、話聞いてもらえてよかったです。ありがとうございました」
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話を聞いてもらえて本当によかった。楽になった。
ただ、やりたいこととか生きる意味ははゆっくり休んでもわからないだろうな、と思った。
(完)
話の中でも書いたように、私は自分のことを話せる人が誰もいない(正確には聞いてくれる人が誰もいない)ので、こうして読んでもらえてとても嬉しいです。ありがとうございます。
※ カウンセリングの内容は事実を基にした創作です。