#7 前線の日常
夜桜が食堂ユニットに足を踏み入れると、六人の職員たちが狭いテーブルを囲んでいた。その奥にはL字型のキッチンがあり、レンジや電気ポット、冷蔵庫が並んでいる。棚には器や調味料、缶飲料などが整然と収められていて、日常の匂いがほのかに漂っていた。
どこに座るべきか悩んでいた夜桜に、近くの職員がどこからか椅子を引っ張ってきてくれる。その気遣いに軽く頭を下げながら、夜桜は腰を下ろした。
隣には他とは違う椅子で、ひと目でそれと分かる特別席がある。
そこへ──足音もなく、凊佐が食堂に入ってくる。無言のまま夜桜を一瞥すると、隣の席にゆっくりと座った。
そのあいだに、食事係と思われる職員が、次々とカレーを配っていく。凊佐の皿には、他の者と少しだけ違う、具の少ないメニューがよそわれた。
医者風の年配の男が声を上げる。
「はい、そろったところで──おつかれさまでした。そして、夜桜くん、ようこそMB-07へ!」
軽い拍手と笑い声。カツン、と誰かが缶を鳴らす。
「パルス、どうだった?」
夜桜は一瞬言葉を探す。
「……正直、よく分かってないです。少し怖かったです」
誰かが「分かる」とうなずく。
「なんか、形があるようでないっていうか。生き物でもないし、機械でもないし……」
「初めて見た人は大体そう言うね」
そのあいだ、凊佐は黙って食事を進めていた。動作は静かで手早く、無駄な音を立てることなく、ただ機械のように食べる。
夜桜は隣に座る彼をちらちらと気にするが、話しかけるきっかけを掴めない。
「凊佐さん、今日もさすがでしたね」
凊佐はそれにも反応せず、無表情で食べ続ける。
やがて、時計回りに簡単な自己紹介が始まった。医療担当らしい落ち着いた女性、陽気な記録員、メカ整備班など──緊張しながら、夜桜も続く。
「お役に立てないかもしれませんが、これからよろしくお願いします」
──その言葉に、凊佐の手が止まった。彼はゆっくりと顔を上げ、じっと夜桜を見つめる。その視線は冷たくもあり、どこか期待を含んでいるようだった。
そのまま、ほんの一拍の沈黙。
「……凊佐」
そう名乗ると、食べ終えた皿を静かに片付けて、無言のまま席を立った。
その背を見送りながら、周囲の職員たちがニヤニヤと笑う。
「夜桜ちゃん、気に入られてるかもな」
「僕が最初に言われた言葉なんて、『邪魔。』だったからね」
笑いが弾ける。夜桜も思わず、小さく口元を緩めた。
***
何日か過ごして分かったことがある。
この拠点〈MB-07〉では、多くの職員が短いスパンで入れ替わり、山の上にある本部との間を行き来している。その中で、凊佐と橋本という二人は特別だ。基本的にずっとこの拠点に留まっている。
橋本は、優しいおじいちゃんのような医者だが、仕事になると一気に厳しくなる。夜桜が「ただの見習い」ではないことも、どうやら知っているらしい。普段は凊佐のスケジュールや健康管理など、常にそばについている。
一方の凊佐は、橋本の言葉には不思議と素直だ。どこか、弱みでも握られているのかと思うほどだ。
彼の生活は驚くほど規則的で、朝5時に起床し、トレーニング、朝食、再びトレーニング、昼食、さらにトレーニング、検診、夕食、シャワー──
そして21時半には就寝。
彼のリズムを乱すことは、暗黙の「禁止事項」となっている。
パルスの出現は稀で、中には敵対しない個体や、新型と思われるものもあり、生け捕りにして調査対象にすることもあるらしい。凊佐は、敵の内部に干渉し、プログラムを破壊することでパルスを無力化するという特殊な戦法を使う。
ちなみに、よく晴れた日には、空に巨大な飛行体が浮かんでいるのを見かける。それがパルスの母艦らしく、実際にそこから何かが「降ってくる」瞬間を目撃したときは、さすがに度肝を抜かれた。
凊佐はほとんど他の職員と話さない。
橋本には「……ああ」「……いや」程度の返事をするが、それがほとんどだ。それでも彼は、皆から大切にされているのが分かる。中にはあからさまに英雄視している職員もいる。
夜桜はというと、今はまだ「様子見」段階。
毎日交代で職員たちが、MB-07での日常や任務について説明してくれている。いずれはパルスの分析作業や、車両の操縦の一部も任されるらしい。
この拠点では、食事はみんなで摂るのがルール。間食は各自の自由で、昼になるとよく電子レンジの音が聞こえる。たいていの場合、それは大西研究員の仕業だ。ふくよかな体型の彼は、たびたび職員たちにいじられる対象になっている。夏井さんは「太りすぎだから」と言って、彼にだけはお菓子を渡さないのだが、大西さんはそれでもこっそり冷蔵庫を覗いている。
そんな日々が数日続いたころ、橋本先生に呼び止められた。
「そろそろ、少し動いてみようか。まだ軽めの任務だけどね」
手渡されたのは、見慣れない機材と、簡単な地図だった。
「明日、凊佐と一緒に観測ユニットの点検に出てもらう。パルスの反応が微かに出てる地点だ」
いきなり「凊佐と一緒」という言葉に、胸がざわついた。
(...... え、いきなり?)
夜桜は意識せず変な表情をしていたに違いない。橋本は笑って言う。
「黙ってついていくだけでいい。大丈夫、あいつは意外と面倒見は悪くないから。少なくとも置いていかれることはない。」
私は機材を見つめた。これまでの観察者としての日々から、ようやく一歩踏み出す時が来たのかもしれない。
あの無表情な彼と、二人きりで。
……何が起きるか、まったく想像もつかなかった。