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空域ノ記憶  作者: 湯川 空
はじまり
6/32

#6 初陣

「おつかれー」

真っ先に声をかけてきたのは、薄茶の髪を一つに束ねた女性職員だった。

白衣のポケットからチョコレート菓子の小袋を取り出し、差し出してくる。

「聞いたよ。着いた途端、照明落とされたんだって?」

豪快な笑い声。悩みも吹き飛ばされるような明るさだ。

「でもさ、そもそも興味持たれただけで奇跡よ? 私なんて、存在ごとスルーされてるから」

そう言って、また笑う。

その言葉は慰めのようでいて、どこか羨望が混じっているようにも聞こえた。


「あれ、ユニットの接続位置、彼の部屋側だったんですか?」

隣で聞いていた男性研究員も話に加わる。

「たぶん。扉を開けたら、すぐ目の前にいて」

「うわ、それは災難だったね」

横でモニタを操作していた別の研究員が、苦笑をこぼす。

「ごめん、本来なら廊下を1本挟むはずだったんだけど」

「つまり私、直接……」

「そう。寝室の壁をドンってノックしたようなもん。あいつは、そういうの気にするからね〜」

「………」

「でも逆に言えば、無事に出てこられて良かったじゃん?」


さっきの出来事が、頭の中で何度もリプレイされている。

何がいけなかったのか。声をかけたのが間違いだったのか――今はただ、もう一度、あの凍った視線の奥に触れてみたい。その想いだけが、じわりと心に残っていた。


「落ち着いたら、気分転換に中を回ってみるかい?」

女性職員が明るく誘ってくれる。

夜桜(やお)が今いるのは、仮設拠点〈MB-07(エムビーゼロナナ)〉。

車両型のモジュールを線路のように連結した、可動式の多目的拠点だ。

一つひとつのユニットは六畳ほどの広さしかなく、生活用、研究用、医療用など、用途ごとに役割が定められている。内部は最低限の設備しか備えられていないが、連結された廊下を進めば、共有の食堂、シャワー室、モニタリングルームなども完備されていた。

各ユニットは磁力で接続され、必要に応じて増設・切り離しができる柔軟な設計になっている。

夜桜の個室は、接続ミスか、あるいは意図的な配置か――よりによって、凊佐の居住ユニットと直接隣り合っていた。


他愛もない話をしながら廊下を抜けると、不意に視界が開けた。

天井はガラス張りで、熱帯にありそうな植物が植えられた広めの部屋。腰かけられるような高さの段差があり、自然と人が集まる作りだった。正面は制御室とつながっている。

「ここが、この拠点の中心。意外と落ち着くでしょ?」

女性職員は、ちょっと誇らしげに言った。

「……きれいですね」

夜桜は天井のガラス越しに、うっすらと霞んだ空を見上げる。

人工の空調の下でも、ほんの少し自然が感じられる気がした。


「そういえば、名前をお聞きしてもいいですか?」

「あ、言ってなかったけ? 技術管理担当の夏井です。よろしく!」

「調査員見習いの立花夜桜です。」

「うん、知ってる。話題になってるからね」

「……悪い意味で、ですよね」

「ま、悪目立ちも才能ってことで」

その軽口に、夜桜が思わず吹き出す。

二人で顔を見合わせて、さらに笑い合った。

緊張が解けたからか、夜桜の目には涙が自然と滲んでいた。

「ねえ、チョコ、もうひとつあげよっか?」

「いただきます」

そう言って手を伸ばした、ちょうどその時だった。


――「ヴウウウウウゥゥン……!」


地の底から響くような警報音が、施設全体に鳴り響く。緑に包まれた室内が、一瞬にして非常灯で赤く染まる。


「近辺で危険なパルスの報告が上がった。この拠点は今から現場に急行し掃滅作戦を行う。総員直ちに持ち場に移動せよ。」

少しざらついた音声が、緊張を加速させる。

混乱しつつも、夏井に連れられ夜桜はその場を離れた。


***


静かな部屋に、機械の作動音だけが響いていた。

凊佐(せいさ)は無言で立ち、腕を横に伸ばしている。

一人の職員が無言で脚部を固定し、もう一人が胴体を締めていく。黒く光を吸い込むような繊維が、みるみるうちに彼の身体を包んでいった。

「左、締めます」

最後に、左腕に銀色の器具のようなものが嵌められる。そこから光のラインが走り、凊佐の瞳がわずかに収縮した。


老研究員は目を細めて見つめながら、短く言う。

「あとは頼んだぞ」

凊佐は何も答えず、ただ扉の向こうへと歩き出した。


***


「対象、正面から接近中。距離――30メートル」

オペレーターの声がインカムに響く。施設外の地表に、表面は艶のない灰黒色の球体が浮いていた。

音もなく、重力に逆らうようにゆっくりと進んでくる。

夜桜は息をひそめ、観測モニター越しにその姿を見つめていた。

「……あれが、パルス?」

初めて目にする異形の敵に、思わず声が漏れる。


凊佐は何も言わない。前線に一人立ち、黒い簡素な戦闘服に身を包んでいた。

球体がわずかに震えた。

見えない何かが弾けるように、外殻から黒い帯状の構造体が伸びる。

足にも似たその構造は、時折ノイズのように「コマを飛び」する不気味な動きを見せる。

ガラスをこするような不快な音が空気を裂き、凊佐の目の前にそれが迫った。

「来るぞッ!」

モニタ越しに叫ぶ研究員の声と同時に、凊佐の体が動く。

反射のように、一歩進む。

それは逃げでも防御でもない。

右手の打撃が、帯の一つを正確に切断。

回すように左足を蹴り上げ、次の一本をなぎ払った。

切断された帯は地面に落ちるかと思えば、空中でふわりと再構築される。


それを無視するように、凊佐は球体の中心へ一直線に踏み込んだ。

右手で数発叩き込み、構造が崩れた瞬間、左腕をそのままコアへ突き刺す。

閃光。


凊佐の腕の表面に、無数の回路図のような光が走る。

「侵入信号確認。ハッキング開始」

数秒間、何も動かない。

両者の間に奇妙な沈黙だけが流れる。


――カチ

乾いた音がして、球体にヒビが走った。

次の瞬間、全体が崩れ落ちるように解体されていく。

パルスは「死んだ」。

凊佐は腕を引き抜き、一言も発さず、その場を見守っている。


画面越しの室内に、小さな拍手が起きた。

「……制圧完了。さすが。」

夜桜は言葉を失っていた。

あれと真正面から向き合い、動じることもなく処理した彼の姿が、人間のそれとはまるで違って見えた。

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